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ふぉーえばーやんぐ

ドジャースが地区優勝をした。推してはないけど日本国民が大谷くんを推してるので大谷くんの一挙手一投足はナチュラルに入ってくる。ほんと毎日大活躍。すごいよ、大谷くん。

例えば100年後、今同じ時代に生きてる大谷翔平が銅像になったとして、この一緒の時代に生きていたことを光栄に思う!みたいなことがあるとすればわたしにとっての大谷翔平は周りにいる友達だと思ってる。同じ時代に一緒に生きて、共感し合って、共鳴し合って、刺激をもらって、励まし合って、常に癒し合ってる。本当にチャーミングで尊い存在。大好き。

だから共感共鳴は基本マブダチたちとできたらそれで最高で最強だと思ってる。旦那さんはわたしと正反対の生き物で、いい意味で本能的にこのひとは自分と違う生き物という認識でいて(お互い思ってそう) だからこそ、まじか!なんやねん、こいつ〜!!(←口が悪い) となる部分ももちろんあるし、あぁ、そっか!なるほどな!さすがやなぁ〜という発見も大いにある。お互いの「無い」部分を「有る」に出来ている関係で補い合っている。

わたしは動物としての本能的にこのひとと一緒なら死なない!って思ってます。動物的な本能で選んで、生きようとしてる自分に対して、「ってかわたし、遺伝子レベルで無意識にめっちゃ生きようとしてて草!」ってなるけど、彼を人生のパートナーに選んだ理由は、例えば仮にわたしが「死にたい」って言ったとして、そういう時わかった!ってゆうて一緒に死ぬひとじゃないからなのね。メンヘラ製造機じゃないひと。落ち込んでる時に一緒に落ち込まない。もうええてぇ〜って笑い飛ばすひとやねんなぁ。それってもしかしたら繊細さが全然ない感じにも見えるし、ひとの機微を感じ取れないイメージかもしれないけど、そうゆうんじゃなくて、ただ、それが彼の愛のかたちなんだよね。愛情の表現の仕方はみんなそれぞれだと思うから、一緒に死んでくれるひともたぶんその人にとっての愛のかたちやん?でもわたしは動物的本能で、こっちの愛を選んだ。一緒に悩むひとじゃなくて、何言ってんのこいつって笑うひとを選んだ。出会ってからまあまあ時も経って、いろんなことがあって、さすが何章目なんかももはやわかんないけど、今はこの絶妙な夫婦のバランスが不思議で仕方ない。夫婦ってナマモノだから、日々変化もするものだし、綺麗事ばっかじゃ全然太刀打ちなんてできなくて、わたしたち夫婦が最終どんな仕上がりになるかなんてわたしたち自身でもわかんないけど、少しでも穏やかに長くおれたらいいなぁと今は思ってる。旦那さんにこんなことゆうたら、オェェェ〜!!とか言ってきそうで想像しただけで、まじ黙れよ?って言いたくなるけど、うん。

旦那さんとは違うタイプの人間やから、わかってほしいとかはあまり思わない。そう思わない分、だからこそ、寄り添ってほしいとはすっごく思う。わたしも彼にとってそうでありたい。


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