信仰と道徳☓ 社会性◯
宗教や道徳とは当時言葉にして相手を納得させるだけの説得力と知識の発展の未熟さの言い訳である。
だから神はクズとして描かれる。
信仰には人間が感じる畏怖を利用する。
神には危険性が必要なのだ。
圧倒的能力による権威によって道徳を押し付ける恐怖説教である。
恐怖の世界で神は道徳を求めてる。神は絶対。神のやることは神自身にしか裁けない。
神話の内容からよぎる理不尽がふりかかることを回避するため保身をするため信仰を続ける。
世界大戦の日本も同等のことをしている。
否定を許さず、全肯定でもって行動を強制することで無理矢理統制をはかるのが信仰なのだ。
つまり語彙力が足らず、時短を要した世界の旧世代の手法と言える。
結論が出るのと解決することとは別であるという事である。
上記のURLにあだ名等用語を記載しています。
私はほしんぺで初めて仕事を経験した。
パニック障害に陥ってついていけないと辞職か長期休養を会社に求めた。
しかし、それを許さないほしんぺと揉めて揉めてごねてごねて定着した部署での同期で同世代のツキ亭南方がいた。
社会経験では先輩であった。
パニック障害の症状でスピードについていけなくなった部署でついていけないとさんざん伝えてるのにはらばら(ハラスメント・野ばら)に次の担当社員の引き継ぎを求められた。
引き継ぎの社員は「請負人」。
初心者の請負人が仕事をしているとツキ亭南方がセイクー・ハーランか誰かに様子を見てくるよう指示を出され、請負人とともに作業を行っている部署「ジマブ」にやって来る。
そこでツキ亭南方は請負人に
「まだやってるんですか?」
と半笑いで聞いてきた。
部署ごとに仕事量がまず違う。
請負人は初心者。
この二つを加味できず無礼な発言をしていた。
そして、ツキ亭南方と部署「フレキシブル」で仕事を始めた際セイクー・ハーランとマウンティ・パンプティが丁寧にミスが誘発されやすい方法だと指摘された際もセイクーとマウンティが去ったあとなぜかツキ亭南方はキレていた。
そこから彼とは関わらない選択を一度した。
しかし考慮すべき障がいは理解していた。
ツキ亭南方は一つの作業を繰り返すことには長けていた。
そしてマルチタスクや急に求められた仕事など変則的な仕事内容に対応できずパニックに陥りやすい。思考が停止する。
私はフレキシブルに慣れ始めていたし、
ツキ亭南方の障がいには理解があったので、実習や仕事がなくてよくやって来る臨時作業員等変則的な作業メンバーの対応を基本私がこなして、同じ仕事をさせ続けた。
そうしてしばらくフレキシブル部署からはらばらを遠ざけながらツキ亭南方とも極力交流なしで仕事をしていた。
しかし、他部署「ネジロ」の連中、イスナシの体感スピードのみを求め、会社の求める手順を無視して自身の記憶のみを頼り部品を揃えて作業をしたために社外に30件以上不良を発生させた。
はらばらはいつもどおり感情のまま保身のみを求めた指示、“連帯責任”を命じた。
フレキシブル部署にも連帯責任は訪れる。
私以外パソコンを触れられなくなる。
ほぼ同じ時間フレキシブル部署で作業していたツキ亭南方もパソコン業務を除外された。
フレキシブル部署は当初四人体制であった。
私が入る頃に三人に減らされ、
ハドック、ツキ亭南方、私となった。
次にハドックは異動になり、代わりにマウンティ・パンプティが入社し、配属となる。
そしてすぐにマウンティは実力を見出され、部署ごとを見回る社員となり、はらばらが昇進時マウンティも役職につく。
フレキシブル部署が二人になった途端、イスナシの勝手がフレキシブル部署にふりかかった。
私はツキ亭南方の再指導と、新入社員の「くちあに」の指導を要することになる。
関わりたくなかったが、他部署の勝手が連帯責任となってフレキシブル部署に影響を及ぼし続けるなら同じことを繰り返し続けて障がい上パニックに陥りやすい者へ影響を続けることとなる。
上司が勝手にほとぼりが冷めたと判断してハラスメントを繰り返し、精神面に影響する。
上司に叱責され、作業を増やされ制限を受けた現場の面々が勝手にほとぼりが冷めたと判断して同じ身勝手を繰り返し、ミスからまた上司からの制限を受ける。
この繰り返しが精神面に障がいがある者たちが勝手に会社のカーストの下位にレッテルを貼られる面々の仕事に影響を及ぼす。
そうすると私の仕事が増えるだけである。
これはこの体制を改善しない限り私の負担が定期的に作業制限を受けた状態になる。
そのため私はただ序盤に作業手順を教えるだけで放置するわけでなく、どういった理由で手順が必要か教え始めた。
ツキ亭とくちあに同時に教えるのは彼らのメンタル上、能力上私の能力では不可能と判断した。
そこで知識がまったくないくちあにより以前まで同じ作業をしていたツキ亭に絞った。
しかし、私の判断はそこで間違っていた。
ツキ亭には社会経験から何も学んでおらず、ほしんぺに入るまで社会経験のない私より大きく下回って常識に欠けていた。
一般で働いていた時のエピソードやほしんぺでのふるまい、
ここでは述べないが、結構引いていた内容があった。
そこでまず私はツキ亭の教育に挑んだ。
彼の話す内容から彼は一般社会での失敗で障がい者雇用選んだはずなのだが、何も学ばず同じことを繰り返していた。
なので私は一般雇用では障がいを加味していないので君の非常識から判断して“距離を置く”という選択、
障がい雇用なのでほしんぺ社員面々は“認知”という状況の違いから選択の違いがあるだけ。
なぜなら君(ツキ亭)自身はふるまいを一般と障がい者雇用で変えてないんだよね?
と丁寧に教える。
そしてとうとう本題に入る。
私はまず社会性について教えた。
ツキ亭が今まで接した人間にない選択。
遠のくでもなく認知、許容でもなく、
“訂正”
教える作業を仕事以前の事から始めてしまった。
聞こうとする意思は感じたので教えようと思ってしまったのだ。
この姿勢こそがツキ亭のやり口、甘えだった。
それに気づかず社会性をメモしながら口頭で教えた。
まず君(ツキ亭)は指摘された際、がんばると言葉にする割には
「僕はこういう人なんで」
とよく言い訳するよね?
それって君の個性の主張だよね?
じゃあ他人も同じことができるってことだよね?
個性をデコボコと表現した場合そのデコボコがピッタリ互いにフィットする場合だけじゃないよね?
個性は多様だから。
じゃあ君(ツキ亭)と同じように個を主張しあうとぶつかり合う。
すると揉め事になるよね?
地球っていくつある?一つだよね?
人間って何人おる?80億人くらいだよね?
地球内で自己主張だけする者だけになったら、
地球一つで80億÷2で単純計算で40億弱の揉め事がおきるよね?
揉め事を続けることで人間社会は維持できないよね?揉め事ばかりに手を負うから。
じゃあ地球という居住地で生活するにあたって必要なのは共生だよね?
その共生に必要なことはなるべく揉め事を減らすことにあるよね?
じゃあその方法って何?ってなったとき自身が今まで関わったことのある人間の一番パーソナルエリア広い人に合わせて交流することになるのね。
なぜならAとBがいてAよりもBのほうがパーソナルエリアが広い場合当然AはBよりもパーソナルエリアが狭いからBに合わすことでAのパーソナルエリア許容範囲になるよね?
これは“可能性への考慮”が必要と言えるね。
それを常に伝えてる。
とある時ツキ亭に伝えた。
するとこれって道徳ですか?と言ってきた。
なので、
「道徳は理由をまともに人に伝えられへん語彙力ねえやつの言い分や。これは社会性の話や!」
と返した。
ツキ亭は
「教員免許持ってるんですか?
“可能性への考慮”かっこいいですね!
覚えました。」
結果理解力が乏しいと判断して普段の説明以上に丁寧に1〜10を一気に伝えるのでなく、1から2、2から3・・・と長々と説明したけど内容理解せず、ワードを抜き取り厨二病増し増しのカッコいい判定したフレーズを覚えるだけだった。
というよりその都度の説明のフレーズをその瞬間抜き取るだけで、その後その気に入ったフレーズすら残ってはいない。
彼を教えると判断したその時、私は負けていた。
追記
障がい上できないは考慮していた。
当然ツキ亭にも同様にしていた。
彼はよく相談しに来るのだが、その度
「もっと頑張りたいです。」
とがんばるという言葉を多用する。
しかし、君(ツキ亭)は現状を打開できずにいるから相談しに来てるのであれば具体案もなくがんばることでその場をしのげたと仮にしたとしても続かないことを伝えていた。
才能を職にしてるわけでもないのに仕事はがんばるものではない継続させることだからだ。
だから障がい上の“できない”を考慮して
現場の“めんどうだからしたくない”にキレ散らかしていた。
そしたら上司の目に入り、パワハラしてる輩どもに口が悪いと圧かけられた。
まずおまえがなおせ!!
となって下から上司を突き続けた。
辞める最後まで指摘し続けた。
ほしんぺ側が和解する気がそもそもなかったからだ。
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