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象徴の周辺(4)

中村昇『ホワイトヘッドの哲学』によれば、ホワイトヘッドが象徴について語っている時、それはベルクソンのイマージュの議論を引き継いでいる。象徴は知覚に入り込み、現在の知覚と、過去の知覚をつなげている。そしてそれは必ずしも言語によらない。

「 ホワイトヘッドは、われわれの知覚にも、これとおなじ抽象化が、その根底にあるのだという。なんとも名づけようのないバラバラの感覚与件を「山として」知覚するはたらきこそ、象徴のはたらきだというのである。」

『ホワイトヘッドの哲学 (講談社選書メチエ)』中村昇著

これはラカンとはまた違った、原初的な人間の知覚を根底から支える作用としての「対象化」ー「象徴作用」であろうと思う。