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子どものありのままを受け入れる。

子育てをするようになって、この「こどものありのままを受け入れる」と言う言葉をよく目にする。

多くは「子どものダメなところも受け入れる」という意味で使われていることが多いように感じる。
どんな子どもでも、それを肯定する。と言ったところだ。

私はそれが難しかった。
なるべく、子どもがどんな風であっても○としよう。と思っていたが、実際は自分の言うことを聞かせようと怒ったり、怒鳴ったりしていた。
まず、「なるべく」って言うこと自体がおかしいし、「子どもがどんな風であっても○としよう」と言うのも、思えていないからなのだ。

ずっと、今日もできなかった。今日もできなかったと自分を責めていた。
どうしたら出来るのか、図書館に通っては夜な夜な本を読んでは、良いなと思うページをコピーして実践した。
それでも、上手くできなかった。

今思えば「子どものありのままを認める」ってどういうことなのかわからないのに、それをやろうとしてた。
・・・なんて、今はちゃんとわかっている風だけど、何となく掴みかけているだけではある。

その掴みかけてきた、私なりの考えは、

子どものやっていること、やりたくないのと、好きなこと、嫌いなことに対してまず受け入れること
と言う、非常にシンプルなものだった。
自分の子どもに対して「うちの子はそういう子なんだ」と素直に思うこと、だと思った。

子どものありのままを認めると一緒に出てきやすいワードに、「子どもに期待をしない」もある。
これがまた、難しい。
期待しているつもりなんてない。
それなのに、無意識に「どんな子どもであってほしいかを願っている」のが親なんだと思う。
それはどんなに思ってもいい。
あり得ないことを思ってもいい。
でも、目の前の子どもがその思いと違っていても「それがあなたなんだね」とただただ感じるしかない。

この子はこういう子なんだなあ
これが好きなんだね
これが嫌いなんだね
これがやりたいんだね
これが楽しいんだね

それだけで良かったんだ。

私はと言うと、長男が生まれて3日後くらいから「何で?」「何かおかしい?」にとらわれていました。
子どもに対して不安しかなく、否定的な疑問ばかりが浮かびました。
子どもが好きでやっているのに、不安だからやめさせたりと、私の気持ちで中断したり関わったりということばかりだった。
それでいて、どんなあなたでも○と思うのは続くはずがない。

では、私は自分に対して「ありのままを認めていた」のだろうか。
答えは×だ。
私は、自分のやることなす事感じること思うことに対して不安で、否定して、責めていた。
結果的に良かったことですら、やっぱりあの時ああすればこうすればどうしてやらなかったんだ・・・
エンドレスに何度も責め続ける。
自分で責めるからさらに不安になる。
肯定は安心だが、否定は不安になる。
とにかく何もかもが不安だった。
生きているだけで不安で堪らなかった。
何も自信が持てなかった。

子どもに「良いよ」と言ったことも、不安が故に「本当に良かったのだろうか」と考えだし、「やっぱりダメ」と思ってしまう。
「ダメ」と言ったことも、「そんなにダメだろうか」と「やっぱり良いのではないか」と思ってしまう。
子供からしたらたまったもんじゃない。

このような状態で「子どものありのままを受け入れる」は出来るわけがないのだ。
子どもが良いことをしてもしなくても、不安になる。
何をしても結局不安から「否定」をしてしまう。

そんな子育てが本当に嫌だった。
子どもを産んだことを心から後悔したし、言うことを聞かなくて子どもを嫌いになるくらいイライラする、
そんな子育てが大嫌いだった。
子どもはかわいい、でも、もう彼らを育てていく自信が、なかった。

私は現在、自分を責めて否定するのをやめる練習をしている。
そうしたら「この子はこういう子で、これが好きなんだ、これが苦手なんだ」と思えるようになってきた。
何より「子どものありのままを受け入れる」が何かがわかってきた。
今までわからなかったこと、それが気付けるようになった。

きっと私ならできる。
ちょっと癖のある子どもたちのありのままをありのままに認めてあげられる、そんな気がする。

子どもがその時に感じている
好き、嫌い、楽しい、悲しい、不安などを認めてあげられると思う。
否定的な疑問を持つことよりも、子どもの思いを肯定できそうな気がする。
いや、できる。

今度は「子どものありのままを認める」練習をして、上手くできるようになったら
その時にまた、その時感じた「ありのままを認める」事について書きたいと思う。

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