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山岳ベース事件

山岳ベース事件

同志に対するリンチ殺人事件。
警察庁においては大量リンチ殺害事件と称される。


赤軍派出身メンバー
森恒夫(27)
坂東國男(25)
植垣康博(23)
青砥幹夫(22)
他 

革命左派出身メンバー
永田洋子(27)
坂口弘(25)
吉野雅邦(24)
加藤倫教(19)

本事件は1971年(昭和46年)年末から1972年2月にかけて、
新左翼の組織連合赤軍が警察の目を逃れるために群馬県の山中に築いたアジト(山岳ベース)において、
組織内で「総括」が必要とされたメンバーに対し、
人格否定にも近い詰問・暴行・極寒の屋外に放置・絶食の強要などを行い、
結果として29名のメンバー中12名を死に至らしめた事件である。
本事件による犠牲者の続出、脱走者や逮捕者の続出で
最終的に5名だけになったメンバーは
警察の追跡を逃れる過程で
あさま山荘事件を起こすことになる。

1971年12月初旬、
赤軍派ベースの新倉ベースにおける赤軍派・革命左派両派の合同軍事訓練が行われ、
革命左派メンバーによる赤軍派メンバーの批判を皮切りに
両派各メンバーが各々の問題点を相互批判・自己批判を通して「総括」していく体制が構築される。
合同軍事訓練後の12月20日、
赤軍派の森恒夫らが両派の指導部会議のために革命左派の榛名ベースを訪れると、
同時期に起きた両派の合法部・非合法部間の軋轢をきっかけに両派の非合法部が合同する路線が作られる。
これにより森と革命左派の永田洋子を中心とした革命左派メンバーの「共産主義化」のための「総括」要求が強化され、
「総括」要求されたメンバーは正座の強要や食事を与えないなどされ、
やがて「暴力による総括援助」が行われるようになる。
この過程で新倉ベースに残っていた赤軍派メンバーも榛名ベースに呼び寄せられ、
暴力・絶食・大半の日において最低気温零度を下回る極寒の屋外で束縛されたこと等により、死者が続出。
死亡したメンバーは「総括できなかったところの敗北死」とされ、「総括」要求は続行された。
こうして1972年2月までの約2か月の間に12名が死亡。
内2名は組織への「裏切り」等を理由に「死刑」とされ、ナイフやアイスピックで刺された上で絞殺された。
残されたメンバーの脱走・逮捕により組織が壊滅するという形で事件は終結した

 「わたしは持久戦には強いので頑張ります」永田洋子死刑囚死亡

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

 

革命バカ一代 塩見孝也

 

夜の谷を行く / 桐野夏生

1972年2月19日~2月28日 あさま山荘事件

虐待についての考察: 山岳ベース事件を巡って 心の闇シリーズ

 

砂田好正

 

 

あさま山荘1972 上

 

坂口 弘

彩流社

 

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

 

坂井真紀

 

 

 

 

連合赤軍 少年A

 

加藤 倫教

新潮社

 

夜の谷を行く (文春文庫 き 19-21)

 

桐野 夏生

文藝春秋

 

 

兵士たちの連合赤軍 《新装版》

 

植垣康博

彩流社

 

連合赤軍事件 50年目の真相 (宝島SUGOI文庫)

 

別冊宝島編集部

宝島社

 

 

レッド 最終章 あさま山荘の10日間 (イブニングコミックス)

 

山本直樹

講談社

 

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