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noteでアートの記事を書く時に...「これまで」と「これから」

写真は、アートフォト専門ショップYellowKorner。東京日比谷にも支店があるようだけれども、パリには、結構な数の支店がある(*)。

当時は、YellowKornerも知らなくて、パリの街を歩いていて、偶然みつけた。私は、ヨーロッパの中庭が大好きで、みつけるとワクワクしまう。このYellowKornerも通りから1本入ったところにあった記憶がある(だから住所がわからない)。

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noteでアートの記事を書く時に、自分が撮影した画像を用いることにこだわってきた。その理由がこの数日、noteの記事を書いてきて、わかった。

もう独りよがりで戦うことも訴えることもしない。わかる人がわかればいい。ありがたいことに、noteの記事は、不思議なほど放って置いても、PVが増えるときがあるし。

アートの記事は、正直いって画像と資料があれば、誰でも書ける。だから、自分の人生の中でみつけた名品を紹介していこうと思って、名品を訪れる記事を書いてきた。もちろん、画像は、自分が撮影した写真を使った。

でも、それは、とても個人的な旅であり、美術館で自分が撮影した作品は、私の宝物だ。それを今のnoteで紹介するのが、辛くなってきた。どうでもいいことだけれども。それは、多分、文章にも表れていたと思う。この件についても、noteで書いてきた。

ただ、【よみがえる遺産】という企画に参加させていただいて、よくわかった。なぜ、noteで自分がアート系の記事を書くときに「自分の撮影した写真」にこだわってきたのか。

見えない何かと戦っていたのだ。

私は、写真=アートだと思う。YellowKornerで販売している写真がまさにアート・フォトだ。版画と似ているかもしれない。量産されているから価値がないわけではない。人それぞれが自由に作品を見て、それぞれなりに作品を楽しめばいい。

だから、私も自分の写真にこだわらず、クリエイターとして、いや文章を書くアーティスト(表現者)として、作品とその制作者であるアーティストと所有者(本人や美術館など)をリスペクトしつつ、公式に提供される画像を用いて、アートの記事を書いていこうと思う。ひとまず、noteの世界では、それがいい。

そして、写真の中にある私の思い出は、私が知っていればいい。あるいは、私だけのnetの場所で、写真を公開すればいいことだし。

アートフォトと同じように、同じ作品の画像でも、私の思い出や経験は、唯一無二なことには、変わりないし、それは、誰にでもそうだと思う。そんなアートの記事を書いていきたいなと、あらためて思った。


今後とも何卒よろしくお願い致します。


NOTE:
*YellowKornerの公式サイト。