BTCのグラント・フィッシャーの活躍:大事なのは過去の選手との比較でなく今の立ち位置

2022年の陸上の世界選手権はユージンで開催される。これは、アメリカで初の屋外の世界選手権開催である(室内では2016年にオレゴン州ポートランドで室内世界選手権が開催された)。

東京五輪の中長距離種目ではBTCの男女選手の活躍があった。

男子はモー・アーメドが5000mで銀メダル獲得。女子は3000mSCで2000mからのロングスパートで一時は金メダル獲得かと思わせたコートニー・フレリクスが銀メダル獲得。

一方では、5000mと10000mで日本の湿気に苦しんでいるBTCの選手も数人確認できた。男子10000mのキンケイド、女子10000mのシュヴァイツァーなど。

気象条件は各選手にとって同じであるが、コロナ禍で事前合宿をキャンセルせざるを得なかったアメリカチームにとっては、東京の夏の高温多湿の気象に対して暑熱順化に対応できていなかったのかもしれない。せめて、2週間か10日前から日本入りしたかったところである。

今年の世界選手権は陸上の聖地、ユージンのヘイワードフィールドで行われる。昨年、改修が終わったヘイワードフィールドでのいくつかの大会を見ていると、国立競技場のトラックと同じように「高速トラック」としての印象を受けた。

BTCのように北米拠点の選手、特にアメリカ西海岸を拠点としている選手にとっては、ユージンは時差がない。そして、暑熱順化対策も東京五輪の時よりかはそこまでプライオリティが高くないだろう(今回の世界選手権は7月中旬〜下旬の開催)。

そう考えると、BTCの男女選手がユージン世界選手権でどれぐらい活躍できるかの期待値は東京五輪の時よりかは高く、女子1500m、5000m、10000m、3000mSC、男子5000m、10000m、3000mSCにおいて、入賞やメダル争いの可能性が東京五輪の時よりも高いと考えている。


BTCの若きエース:グラント・フィッシャー

東京五輪男子10000m5位、5000m9位のグラント・フィッシャーは今季、5000mで12:53.73(室内北米新 / 屋外含めてもラガトに次ぐ全米歴代2位)、10000mで26:33.84(北米新 / 世界歴代7位)の好記録をマーク。

ゲーレン・ラップの26:44を破った記録も印象的であるが、フィッシャーが五輪メダリストのチームメイトのアーメドに2連勝したという事実がある。

アメリカ国籍のフィッシャーはカナダで生まれ、アメリカのミシガン州で育った。高校3年の時に全米高校クロカンで優勝し、1マイルでサブ4を達成した当時から脚光を浴びていたフェノム(天才)である。

大学はスタンフォード大に進学し、フィッシャーは名将のクリス・ミルテンバーグの指導を受けた。その時点でBTCにはクリス・デリックというスタンフォード大出身の先輩がいた(ストリークフライの開発チームのエリオット・ヒースもスタンフォード大出身)

フィッシャーは大学2年の時に全米学生選手権5000mで優勝。スタンフォードカージナルス(スタンフォード大のチーム名称)時代のフィッシャーの1つ先輩にはBTCに在籍しているショーン・マクゴーティ(先日初10000mで27:18.15)、女子のヴァネッサ・フレイザー(5000m 14:48.51)、エリス・クラニー(5000m 14:33.17=室内全米記録 / 10000m 30:14.66=全米歴代2位)がいる。

フィッシャーは全米学生選手権5000mで優勝しているが、一方ではスタンフォード大での勉強に集中する時期を作っていた。

そのこともあって走行距離は月間でも450kmとこのレベルの選手にしては控えめ。量をこなすよりかは、大学では必要最低限の練習をこなしていった感じだろうか。

BTCに加入してからは着々にどの強度の練習もボリュームを増やした。フィッシャーのプロ3年目の室内5000m12:53.73の前のフラッグスタッフ(高地)合宿のマイレージやワークアウトは以下。

・週90-100マイル(月間600km程度)
・1サイクルは10日間(1週間ではない)
以下を含む
・ロングラン
・プログレッシブラン(ビルドアップ走)
・3×ワークアウト
スピード:20×200m
ストレングス:10×mile or 5×2mile
レースペースのトラックセッション

BTCはオレゴンプロジェクトのようなスプリント練習をしているかどうかまではわからないが、LTインターバルなどの中強度練習のボリュームがそこそこあるように感じる(もちろんペースはそこそこ)。これが彼らが3000-10000mまで高いレベルであることのポイントではないかと考えている(ヤコブも同じようなLTインターバルのボリュームを基礎期から鍛錬期にかけて持っている)

フィッシャーはプロ1年目に5000mで13:11.68の自己新を出しているが、先日の10000m 26:33.84のレースでは後半5000mが13:10で走ったことがとても印象的であった。

【男子10000m世界歴代】
1.  J.チェプテゲイ 26:11.00
2 K.ベケレ 26:17.53
3 H.ゲブレセラシェ 26:22.75
4 P.テルガト 26:27.85
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7 G.フィッシャー 26:33.84
8 J.キプリモ 26:33.93
9 M.アーメド 26:34.14
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17. S.ワンジル 26:41.75(U20世界記録)
19 G.ラップ 26:44.36
20 M.ファラー 26:46.57
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24 E.キプチョゲ 26:49.02

10000mにおいて非アフリカ系選手で歴代最速となったフィッシャーであるが、今年のユージン世界選手権10000mでのメダル獲得の可能性は20-30%程度だと予想されている。

これは少々意外かもしれないが、フィッシャーよりも強いのではないかと考えられているチェプテゲイ、キプリモ、バレガ、アレガウィの4人は世界記録を更新できるポテンシャルがあるとも考えることができる。


過去の選手との比較でなく今の立ち位置

フィッシャーは現役選手の中では10000mでチェプテゲイに次ぐ2番目の記録を持っているが、上記のようにメダル予想ではメダル候補として考えられていない。

これは、過去の選手との記録の比較ではなく、あくまで今の現役選手同士との比較にこそ意味があるということが示唆できる。

フィッシャーが26:33.83で走ったTHE TENの10000mでは日本の清水歓太(SUBARU)が27:31.27の自己新で9位、吉居大和(中大)が29:06.93の20位という結果だった。この清水の27:31.27は色んな捉え方ができる。

・早大OB最高記録: 現役の太田と大迫を除けば、これはあくまで”過去の選手との比較”である。

・先頭との差:26:33.83のフィッシャーと57.4秒差。これはあくまで“現役選手との比較”である。もうすぐで1周抜かしされそうな位置。

・3位争いの集団との差:3位の選手と16秒差。8600mぐらいまではこの選手と清水は同じ集団に位置していたが、そこからついた差。

スクリーンショット 2022-03-07 14.58.41

3位の選手のラスト1200m:3:03.38
9位の清水のラスト1200m:3:15.63

このラスト1200mの12秒差が当面の課題ではないだろうか。それを、彼はこのレースで痛感したはずだ。

私は海外選手について発信することが多いが「海外選手びいき」ではなく、単純に誰がどのレースで1位になるか、表彰台に上がるかを予想したりしているだけで、そこに入れる選手をピックアップしているに過ぎない

過去の記録との比較は「もはやあまり意味を持たないこと」を最近大きく感じている。今の世界トップクラスと日本トップクラスの選手の差がどれぐらいかは、そういった意識を持っているかどうかで、見え方が変わってくる。

このフィッシャーの26:33.83の記録をどう考えるかで、見え方が大きく変わってくる。現状では、26:33の選手が世界大会のメダル候補の筆頭選手として考えられていない。

東京五輪に出場した選手、海外遠征で差を痛感した選手。しかし、それらの経験があることによって、彼らは目指すべき次の山が見えてくる。逆に「お山の大将」であっては次の山は見えそうでなかなか見えてこない。

そういった意味では、今回の東京マラソンで男女ともに海外勢と「ガチンコ勝負」できたことの意味は大きい。鈴木健吾に関してはWMMで2回連続(シカゴ、東京)の4位に入っているが表彰台には上がれなかった。彼がユージン世界選手権でメダル獲得を視野に入れているなら、記録だけでなく今後はより順位に対しての意識を強く持っていくだろう。

男子10000mの世界大会での活躍を目指す日本人選手にとってまずは10000m26分台を目指すところであるが、その時に26分台の選手がどれぐらい増えているかに今後注目したい。5000m12分台についても同様である。

【THE TEN:男子10000mレース動画】


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