見出し画像

2分メモ:映画モンテッソーリ子どもの家

■映画「モンテッソーリ子どもの家」を見てきた

子どもたちが幼稚園(子どもの家)で集中して作業している映像がメイン。
字幕はほぼなく、子どもの名前と年齢ぐらい。
モンテッソーリ教育がどのようなものかという説明もナレーションベースのみ。
ある程度の知識を入れてから見る方が良かったなとも思ったけど、何も入れずに見るのも良かったと(見てから)思った。
文字での説明がない分、集中して見ることができた。

見終わったと、取り入れてみたことがこちら。

■取り入れたこと① 遊び=仕事ととらえる

子どもの家にはさまざまな道具があった。
カラフルなおもちゃというより、日用品のセットという感じ。
ポットからポットへ水を移したり、花瓶に花を生けたり、ねじを回したり、ボタンをとめたり、ジッパーを上げたり。
モンテッソーリ教育ではそれらを遊びではなく「仕事」と捉えていた。
大人は見守るのみ。特に助けない。

たしかに、子どもがハイハイしているとき、スタッキングカップどうしをぶつけているとき、その眼差しはとても真剣だ。
一心不乱に、ときには眉間にシワを寄せることもある。
いまの私が家事が仕事のように、子どもにとっては遊ぶ・食べる・出す、すべてが仕事なんだな。

■取り入れたこと② 好きなだけ繰り返させる

この映画を見る前の日に、こんなことがあった。
ベビーサークルにつかまり立ちして、アンパンマンのおもちゃを片手で持ち、サークルの外に落とす。
親が手渡して、落とす。
別のおもちゃを手渡しても、同じようにまた落とす。
親としては不思議な気分だった。「楽しいのか?」

映画を見て気づいた。「集中現象」だった。
好きなことを好きなだけ繰り返すことのできる状況が大事らしい。
「できること」に意味はなく、「繰り返すこと」に意味がある。
大人は「できたら次のこと、できたら次のおもちゃ」となりがちだが、子どもにとってそうではないとのこと。

■取り入れたこと③ 子どもをよく観察する

子どもの家のなかでの先生のポジションは、教室をもっとも広く見渡せるところ。
そこから一人ひとりを観察して、「文字に興味を持ち始めた子ども」を見つけるらしい。
見つけたら、マンツーマンで、文字のカードや写真をつかって、遊びながら文字の学習をはじめる。

文字への興味に関係なく、観察することは大事だなと思う。
やっていそうで、意外にやっていなかった。
「一人で遊んでくれてる助かる~◯◯しよう~」と目を離して別のことをしがち。
そういうときもあっていいけど、たまには、遊んでいるところをしっかり見てみよう。

■モンテッソーリ教材がモンテッソーリ教育を実現するわけではない(たぶん)

「名だたる成功者が受けた、あのモンテッソーリ教育の映画か!」と、ミーハーな気持ちで見に行った部分もある。
「何をしているんだろう?」「何を教えているんだろう?」ワクワク

ふたを開けてみると、先生から何か働きかけることも、何か教えることもなかった(ように見えた)。
たぶんだけど、大事なのは大人の姿勢だ。
あの教材をつかったら!あの遊び方をしたら!あの成功者みたいになれる!ではない気がする。
同じ教材をつかっても、繰り返しを遮ったり、手助けばかりしたりするならたぶん意味ない。

子どもの意思はあるし、もちろん大事だけど、それが好きなだけ発揮される環境をつくるのは私たち。
映画を一本見ただけとはいえ、まず私がモンテッソーリ的価値観で生きねばね。

この記事が参加している募集

#育児日記

48,428件

サポートありがとうございます!うれしいです!