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風呂のすみ見つめて半時間おでん

ひとりでゆっくりお風呂につかれることってなかなかありません。
久々に一人でオフロに入って、湯船でぼーっとして気がついたら30分も経っていた、という話です。
ぼーっとするのが好きというか、ぼーっとすることを自分に許しています。
ぼーっとするのが大事なんです!という温度感ではなく、単に許可しているという感じです。
「あー!ぼーっとして時間を無駄にしたーッッ!」とかは思わないようにしています。

息子が生まれる前は、何事もつめつめが大好きでした。
平日の仕事終わり、休みの日、隙間なく予定を入れ、なければ予定を探しました。
じぶんはそれが好きだからやっている、と思っていました。
が、ちょっと違いました。

何かしていないと自分には価値がないと思っていたんですね。
自分の価値はなにかすること(do)にあると思っていて、それは自分の存在(be)には価値がないと思っているところに端を発していました。
ひたすらdoを詰め込んで、価値を与えていると思い込みつづけなければ、いけなかったんです。
思い込み続けられたら、それが幸せだったんだと思います。
beの価値を信じていなかったからです。
なので、その対極にある、ぼーっとすることは罪だと思っていました。
でも、あるときだんなさんが言ったんです。

「おれは何もしないことが最高に幸せ」
雷に打たれたような衝撃でした。
そんなところに幸せはあるわけないと思いました。
でも、理解したいと思いました。だんなさんの幸せは理解したい。
そこから、ぼーっとすることはわたしにとってチャレンジになりました。
試行錯誤の末、今ではお風呂で30分もぼーっとできるようになっています。

幸運はすきまにやってくるそうです。
時間のすきまをつくって、脳みそにも心にもいい意味のすきまをつくって、おでんのようにじゅわ~っとだしがしみた人生にしたいものです。


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