マガジンのカバー画像

おいしいアイディア

18
考えたことなどをつらつらと。フードエッセイを読んだ感想も書きます。
運営しているクリエイター

#グルメ

"韓国の深層に分け入る"緻密な食レポであり、感性的なフードエッセイを読む

 韓国料理を分かった気になっていた自分を反省した。韓国は5回も旅行した上に、新大久保にも入り浸っている私は全てを知り尽くした気でいた。表面をすくうだけのグルメ本にはない、"韓国の深層に分け入る"緻密で感性的なフードエッセイ。  これまで平野紗季子さんやスズキナオさんのフードエッセイを紹介したが、今回紹介する平松洋子さんはまた違うベクトルで食体験を描く。それは緻密な食レポであり、小説のような美しい表現をアクセントにした、彼女だけの読み味。どうやら30年以上韓国の味を探求してい

食への距離感は人それぞれ

 食欲は三大欲求の1つであり、世界がどう変わろうとも「食べる」という行為が変わることはない。とは言え全く変化がないわけではなく、生存欲求を満たす"動物的行為"に付随して、食を楽しむという"文化的行為"の側面が重要視されるようになった。これは時代の変化にも依るし、大人になるにつれて生まれる心理的な変化でもある。  何にせよ私たちに普遍的であることに変わりはなく、人間である限り関わらなければならない身近なものだからこそ、それぞれが持つ食へのスタンスが個性として見えてくるのだと思

チョコレートから途上国の可能性を開く #Little MOTHERHOUSE

 「途上国から世界に通用するブランドをつくる」ことを理念に掲げ、新たな挑戦を始めた会社がある。  MOTHERHOUSEはバングラデシュをはじめとした、所謂"発展途上国"に工場を持つアパレルブランド。その土地の素材と技術を使い、今まで見向きもされなかった各国特有の魅力に光を当てる。未だ気付かれていないが大きな可能性を秘めた「想い」を「かたち」にするのが彼らの仕事だ。  この魅力を伝えるのはそう簡単ではない。"途上国"と言うとどうしても心理的に同情が入り、モノ自体に焦点が向

コーヒーを美味しく感じた時

 高校生の時からコーヒーを美味しいと思ったことは一度もなかった。お金のない学生時代は高級なエナジードリンクを継続的に買う気にはなれず、消去法で手に取る"カフェインを摂取するための手段"としてコーヒーを選んでいた。私にとっては勉強中に覚醒するための薬だったので、その不味さが逆に良かった。良薬は口に苦しとはよく言ったもので、不味ければ不味いほど覚醒していた気がする。  はたまたス〇バのような"オシャレカフェ"にアレルギーを持っている私はなんとかフラペチーノなんて到底頼む気にはな

シーシャとワインの共通点とは

 ワインとシーシャ(水タバコ)は、食事やタバコと似て非なるもの。キーワードは「ストーリー」。はたまた自分が食に求めるのもストーリー。一口が一口で終わらず、一皿が一皿に終わらない、一の中に無限を感じるような味こそ「おいしい」と感じる。ただ複雑にするのではなく、調和を前提に五感の層を重ねていくような、とても繊細な作業が食にはある。下の記事では寿司を一口、一食、一年に分解し、それぞれのストーリーが多層的に重なって生み出す魅力を書いた。  東池袋「Shisha Tella」オーナー

なぜ私は寿司ばかり食べるのか

 寿司を食べ歩いて1年。多い時には月8で新店開拓していた時期もあったほど。なぜこんなにも食べ続けても未だに飽きないのか、それだけ自分を惹きつける寿司の魅力をよく考えてみた。  一言で言うなら寿司にはストーリーがあるから。それは一口の中にも、一食の中にも、一年の中にもあって、それらが重なって歴史と奥深さを形成している料理だと思う。  一口。料理を構成する味、食感、香り。シャリとネタ、至極シンプルな組み合わせを繋ぐ山葵と薬味。私にとって究極の三位一体はここにある。これに加えて

遠慮のかたまりとは言いますが

 お皿に残った最後の1つ。俗に「遠慮のかたまり」と言いますが、言葉の響きには何だか寂しさを感じます。出てきた時は全員の注目を集め、それぞれの言葉を以て共有されていた美味しさ。別の料理が届くと先程の興味はそちらに移り、気付けば一番美味しいタイミングはとうに過ぎている。。  餃子は中華料理のセットとして付いてくるイメージがあるからでしょうか、より一層そんなことを思います。そんな寂しい状況に置かれた餃子も大理石調の黒いテーブルの上では凛と佇んでいるように見えたのでカメラをパシャリ

遂に【とろたくの法則】を発見!

 知っている人は知っている、知れば虜になってしまう「とろたく」は回転寿司でも食べられますが、店によって味わいが少しずつ異なります。味の違いを決める要素は2つあると思っていて、1つは「とろ(鮪)」、1つは「たくあん」です。今回は「とろ」に関して発見したことがあるので発表します(笑)。  100円回転寿司とグルメ回転寿司の中から有名なお店をいくつかピックアップしたところ、くら寿司以外は全てとろたくかそれに準じたものを提供していることが分かりました。主役を張るネタではなくとも根強

フードエッセイを書くということ

 言葉や文章とは形のないアイディアを形にしたもの。だからアイディアの数だけ存在し得るものだし、一つの決まった正解は存在しない。現代風に言うと全てが正解ということになるが、アイディアは人に伝わらなければ不正解になる。言い換えれば、答えはあるが見えづらい。"おいしい瞬間"をそのまま冷凍保存した、鮮度感のある"おいしいエッセイ"を届けたい私にとってはシビアなことだ。  「味」にだって形はない。砂糖は甘いし、塩はしょっぱい。他にも色んな「原味」があって、それが合わさると、とたんに表

安納芋から紅はるかに原点回帰

 さつまいもは昔からあった。ただ、気付かぬ間に昔の味はゆっくりと変化していた。その変化は長い時間をかけて徐々に変化してきたが故に意識的に知覚されることもなく、自分の中にすっかり馴染んでいた。  今“さつまいも”と言えば「安納芋」が一世を風靡している感がある。蜜芋の中でも糖度が高い上にねっとりとした食感が合わさって、これでもかと蜜を主張する。これほどまで明確に、分かりやすい魅力をマーケットが無視するわけもなく、世間は安納芋で溢れている。  安納芋を使用していること自体が焼き

"食欲のしもべ"平野紗季子ワールド

 以前に一度だけ紹介したが、私は"フードエッセイスト"として活動する平野紗季子さんの著書「味な店」に影響されてnoteを始めた。彼女の文章はふわふわと感性的でありながら、時に核心を突いて読者を頷かせる。そんな印象を受けた。  先日、彼女の別の本を読んだ。「生まれた時からアルデンテ」という如何にもエッセイなタイトルだが、中身はエッセーをはるかに超えていた。仮に評論→エッセイ→ポエムの順に感性的で人を選ぶ文章になるとしたら、これは完全にフードポエム。相性が悪ければ胃もたれする表

お皿に魅せられて

 iittala表参道 ショップ&カフェで出会ったTeema(ティーマ)シリーズのお皿。器をよく見る前から、デザイナーのカイ・フランクさんの思想に惚れてしまった。 "必要な装飾は色だけ"  皿を人間と重ねる。「自分の個性(色)を持ちなさい」と言われる時代。その「色」は決して外部から取り入れた派手な装飾ではなく、自分自身の内に秘める力でないといけないと思う。シンプルさから溢れる自信、そして美しさ。それを体現したのがTeemaではないかと感じた。  洋服も結局は「何を着るか

フードエッセイストって魅力的

 noteを始めたきっかけはフードエッセイストの平野紗季子さん。彼女の著書「味な店」が想像以上に魅力的で、自分もリスペクトのようなパクリのような"パクリスペクト"な文章をnoteやInstagramにせっせと投稿してしまう。 ↑ ここから買っても私には1円も入りませんが、気になる方は是非。  グルメブックだと思って手に取ると印象が全く違う。グルメブックが情報を載せているなら、この本は食べ物を前にした胸の高鳴りと感動を書いている。それは料理そのものかもしれないし、内装かもし

鮨を通して感じた"食べる"ということ

 「生きるために食べるのか、食べるために生きるのか」と言われれば、私は完全に後者で、人の幸福は即ち「口福」だと思っています。1年間、鮨を食べ歩きながら考えた"食べる"ということを自己紹介の代わりに書いてみます。 「旨い」と「美味しい」 自分の食体験を振り返ってみると、この2つを使い分けるタイミングが確かにあります。口に入れた瞬間、脊髄反射のようなスピードで「旨い!」と感じるものと、咀嚼を繰り返しながら「美味しい。」と嚙みしめるもの。前者は鮪や鰤など味の濃いもの、後者は白身や