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私たちはどう生きのびるか #未来のためにできること

そろそろ地球は終わりだな。

そんなことを思いつつ、内心では地球の終わりに期待もしている。もし火星人に会えたらビールとか酌み交わしたい。

しかしそんな妄想をしている場合ではないのが現実。

地球に長生きしてもらうためには、「社会」が持続可能である必要がある。「生きのびるチカラ」を持てと言いたいんだよね、たぶんSDGsって。

「社会」を長生きさせるには、合理的で生産的な社会になるべきだろう。

同性カップルは生産性がないと言った政治家がいた。「社会」を生きのばしたいと考えた結果、あの政治家は「子供を生まない同性カップル」は「社会の厄介者」と断じたのだ。

「社会」は私たちに合理的で生産的な生き方をしろと仕向けてくる。そうしないと排除するぞと脅しながら。

冗談じゃない。

私は飲酒が好きだ。好きすぎて某メーカーでアルコール飲料を生産する仕事をしている。

仲間と夜更けまで飲む。そして貴重な休日を二日酔いで台無しにする。まったく生産性のない愚行である。

作る側の人間がこんなことを言わないほうがいいとは思うが、飲酒ほど非合理的な行為はない。ストゼロを危険ドラッグとして規制すべきと言った精神科医がいた。合理的に考えるならたしかにね。

でもね、残念ながら私が「生きている」と実感するのは酒を飲むときだ。

無人島に「水とワインのどちらを持っていくか?」と聞かれたら「水!」と即答すべきだ。生きのびるためなら水のほうがいい。

でも死が早まるとわかっていても、ワインを選んだら楽しいだろうなって思う。だってワインも好きなんだもん。

私はタバコを吸わないが、「社会」の片隅に追いやられた喫煙室で一服する時、それはきっと至福の瞬間なんだろうと想像する。

その瞬間、その喫煙者は「生きのびている」のではなく「生きている」のだ。

「生きのびる」ことは宿命だが「生きる」喜びを知らなければ誰も「生きのびる」ことに興味を持てない。そんな社会が持続可能なはずがない。

だから社会から害悪だと言われても、私は美味しい酒を造る努力をやめない。

私の仕事が誰かに「生きる喜び」を与えられるならこれ以上誇らしいことはない。生きる喜びを知った人類が結束すれば未来も明るいはずだ。

火星人と出会ったら、これは地球人の大発明だと胸を張ってビールを差し出そう。我々は数千年もの時間を生きのびた。それはそれで誇らしい。でも「生きる」喜びも知ってるんだぜって自慢してやろうじゃないか。

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