映カ!が許せて猫カレが許せない理由 - 2024/03/01 日記#226
・映画『カラオケ行こ!』を見て齋藤潤さんが気になり、他の出演作をチェックしている中で見つけた『猫カレ -少年を飼う-』というドラマ。私は今、齋藤潤さんのお芝居が見たい気持ちと、このドラマの設定が生理的に受け付けない気持ちで戦っている。
・なぜ『カラオケ行こ!』は楽しめて、『猫カレ -少年を飼う-』は一歩引いてしまうのか、考えてみた。
・私が考えうる大きな理由は、
①相手役と自分が持つ属性の距離
②公式が恋愛と銘打っているか
③属性と関係性のリアリティ
④未成年の役者を使う必要性
⑤単純に好むジャンルの違い の5つだ。
①相手役と自分が持つ属性の距離
・私の属性はどう考えても森川藍の方が近い。より自分に近しく、想像しやすいキャラクター設定というのが拒否感の大きな要因になっていると思う。
・例えば森川藍が40代、50代などもっと年上女性の設定だったり、男性の設定だったり、職業がもう少し特殊(なんか政治家とか、知らんけど)だったり、とにかく自分ともっと属性が離れていたら今感じている違和感は薄れていただろう。
・逆に私が16歳当時にこのドラマと出会っていたら、難なく受け入れていたようにも感じる。大人の恋愛いいじゃんって。だからドラマ版は深夜枠だけど原作はもしかしたら中高生向けなのかもしれない、と思ったがそうでもなさそうだった。
・現実で成人している私が16歳に手を出すのは100%犯罪だ。感情を抱くくらいならまだ留まっているのかもしれないが、それを純愛といって肯定的な描き方をするのも、自分と近しい属性だからこそ受け入れられない。
・とはいえ、この手の話のキャラ設定はいかに普遍的な設定にするかが鍵だとは思うのだけど。女版なろう系というか。
・逆に成田狂児はあまりにも自分とかけ離れすぎているので、私にとってはファンタジー感が強い。
②公式が恋愛と銘打っているか
・『カラオケ行こ!』は同人誌版の発刊当時、BLジャンルとして括られていたらしい。続編の展開からいっても、おそらくBLを意識して描かれている作品なのだと思う。
・しかし、映画公式サイドからは二人が恋愛関係にある、恋愛感情があるという触れ込みは一切ない。あくまで一風変わった青春モノ、友情物語として宣伝されている。とはいえ映画の方も一切の恋愛要素を排除しているかといえばそうでもなく、恋愛とも友情とも、鑑賞者の自由に受け取れるような原作のバランス感をそのまま実写化されているように感じた。
・グルーミング(性的関係を目的に子どもに近づき、信頼関係を築いて抵抗感を薄めること)という点においては、大人から故意に近づいている『カラオケ行こ!』の方がよっぽど危うい。実際、この映画が与える影響を危険視する声も少なからずある。ただ映画版では原作にあった性的、恋愛要素を匂わせるような台詞、行動(いちごや乗り心地)は一切削除されていて、未成年を扱うにあたり慎重に作られているのがわかる。
・一方の『猫カレ』は第1話予告の時点で、はっきりと30歳と16歳のラブストーリーだと宣伝されている。男女逆だったらこの予告の時点で炎上していたような気がしてならない。むしろ、女性の人権団体は未成年女性を守るのと同じくらい「未成年に手を出す(と取れるような)成人女性」のキャラクターを描かれることに反対した方がいいのではないだろうか。
・あらすじを読んだ限りでは、おそらく令和の倫理観をギリギリ尊重して、齋藤潤さん演じる遠野凪沙が16歳の時点では恋愛関係には至っていないように感じる。それでも、公式からはっきり成人と未成年の恋愛を未成年の役者にやらせます!と書かれてしまうと、プロデューサーや所属事務所のスタッフをはじめ、周りの大人達の倫理観は一体どうなっているんだ、と疑わざるを得ない。
・『猫カレ』の公式が一切恋愛要素を押し出さず、あくまで同居生活から信頼関係を築いていくホームドラマ的な作り(受け手によっては恋愛的に見ることも可能、くらいの『カラオケ行こ!』と同じようなバランス)だったら、私は拒否感なくすんなり見れていたと思う。
・というか、もしかすると実際の本編の内容自体はそちらの方が近いのかもしれない。ただ、予告や触れ込みで公式から恋愛を押し出しているというのは事実なので、私の『猫カレ』公式に対する信頼感はかなり薄い。
・「猫カレ」や「少年を飼う」というワードセンスも結構きつい。例え内容が恋愛メインではなかったとしても「カレ」という単語を使うのは恋愛が意識されているし、言葉のあやとはいえ「飼う」というのも少年をペット扱い(動物は民法上所有物)をしていて、少年を成人のおもちゃにしているように思えてしまう。
③属性と関係性のリアリティ
・私達が生きる現実世界で、親族など元からの関係性が一切ないヤクザと中学生の組み合わせを見ることは99.9%ないと思う。しかし、血の繋がりはなくとも親族という繋がりはある、OLの叔母と高校生の甥、という組み合わせは特に珍しくもない関係性だろう。
・もちろん、ヤクザが中学生をカラオケに誘うくらい、姉の結婚相手の連れ子が一人で家に転がってくるなんて展開は人生でそうそう起こり得ない。しかし、社会人の叔母(叔父)と学生の甥(姪)という関係性はどこにでもありふれていて、関わり合うことは多くの人の人生で起こり得る親族との付き合いなのは間違いない。
・そして、この世の大半の人は異性愛者。同性同士の組み合わせより、異性同士の組み合わせの方が恋愛関係に発展する確率が高いのも現実だ。
・この2つの点から、展開やストーリー構成などは一旦追いやって、二人の属性と関係性という点においては『猫カレ』の方が圧倒的にリアリティがある。
④未成年の役者を使う必要性
・『カラオケ行こ!』は話のキーポイントとして変声期という設定があり、歌唱シーンもある。作品全体を通して変声期前後の役者をキャスティングする理由や必要性が感じられる。
・一方『猫カレ』は予告などを見ている限りではおそらく童顔・小柄な18歳くらいの役者を使っても成立する設定だと思う。もちろん本編で未成年の役者でなければ表現できないシーンがあるのかもしれないが。
・正直私が一番引っかかっているのはこの点で、齋藤潤さんのお芝居が見たいのに16歳の齋藤潤さんが成人と未成年の恋愛ものをやらされている、という状況が大きな大きな懸念点になってしまっている。未成年の役者を大人の娯楽のために性的目線で消費することが目的になってしまってないかと。
・大人に恋愛・性的目線で見られるという経験をドラマ内の役とはいえ未成年にはして欲しくない。女の子ならそのあたりのコンプライアンス管理はかなり厳しくなってきているように思えるが、男の子になるだけで緩くなってしまうのは課題のように見える。
・『カラオケ行こ!』も老若男女が見られる映画とはいえ原作からのBLファンもかなり多く、結果的には消費されている側面も絶対にある。実際、『猫カレ』7話の予告画像に関連した『カラオケ行こ!』のファンアートが増えた。それも私の体感としては気持ちはわかるけどめちゃくちゃに気持ち悪いな、と思っている。これ以上エスカレートせず、書きたくなる気持ちはわかるがパスワードや専用サイトを使うなど、見たい人にしか届かないような配慮は絶対に必要だと思う。相手が未成年なので尚更。
・しかし、ここまで書いてきたように、作中で恋愛としてはっきり描かれているかどうか、公式やスタッフ側が意図的に宣伝しているかどうか、という点では明確に異なる。
・もし『猫カレ』のキャスティングが成人済みの方だったら(齋藤潤さんではないなら私が見る理由もなくなるが、それは一旦置いておき)設定はちょっと気色悪いなとは感じても、ここまでの拒否感はなかったと思う。
⑤単純に好むジャンルの違い
・私はもともとブロマンス、BL系の話を好んで見ているが、TL、レディコミ系の話はほぼ読まない。たまに興味本位で覗くくらいはするが、わざわざ好んで読むことはない。
・上記の属性の話にも通じるが、BL系の作品は自分とキャラクターの属性がかけ離れているため、物語に集中して楽しむことができる。しかし、TL系だとどうしても自分と近しい属性のキャラクターが多く、それ自体がノイズになってしまってあまり楽しめない。
・ノイズの正体は、自分が同じ状況になったらどうだろう、実際似たような出来事があったな、こんな都合良くはいかないな、など物語を自分の経験を通して解釈してしまうこと。
・これまで書いてきたように様々な理由が考えられるが、そもそもの問題として好きなジャンルではない、というのも一つ要因としてあるような気がする。
まとめ
・長々と書いておいてつまりはnot for meというだけの話ではあるのだけど、何か一つが決定的な要因になっているのではなく、色んな要素が組み合わさって私の中での受け入れられなさが大きく形成されているように思う。
・私も常々自分の好きなものが批判・規制されていく苦しさを味わっている中でこうした倫理観を元に批判を書いている側面もあり、両方の立場の言い分が理解できる。
・広く大衆に目に付くように出す場合と大々的に宣伝せずマニア向けに発表する場合。然るべきゾーニングやローカライズを行い、どちらの層も満足できるようなバランス感覚でこの世の創作の自由が守られていくことを祈っている。
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