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瀬戸の花嫁、愛、意志

小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を聞いて泣いてしまった。

歌の冒頭から涙ぐんでしまう。

瀬戸は日暮れて 夕波小波
あなたの島へ お嫁に行くの
若いと誰もが 心配するけれど
愛があるから だいじょうぶなの

周囲の人はよかれとおもって心配しているのだろうが、縁談はもう決まってしまっているのだから、決まった未来を心配されても不安になるだけだ。反発するほどではないにしても、自分の未来を肯定する材料がほしい。でも当然、はじめて結婚する人間は結婚をしたことがないわけで、経験から安心材料を得ることができない。他人の人生を自分に当てはめて未来を想像しようとしても、おそらく友人たちもまだ若くて結婚していないし、していたとしても、若くて心配されているということは同じくらいの年齢で別の島に行って結婚生活をしている人はいないのだろう。そうなると、自分の行動を後押しするためには、"愛"のような肯定的だが具体性に欠ける概念にすがるしかない。愛があるから だいじょうぶなのと言うしかないのだ。不安だらけで、ぜんぜん大丈夫じゃないのに。

でも消極的な理由だけで"だいじょうぶ"と言っているわけでもない。心配されているのを押し切って別の島での結婚生活を決断した、あるいは縁談に身を委ねたのは彼女自身なわけで、彼女はやっぱり人生を"愛"に賭けている。

彼女は歌詞の中でなんども故郷を振り返り、その美しさを具体的に歌いあげていくが、その歌詞の中でも"愛"という単語は明らかに浮いている。でも浮いているのは、彼女が容易く言葉にできる未来からの切断を決意したからこそ、浮いているのだ。愛があるから だいじょうぶなのと言う彼女の眼には、郷愁だけでなく愛への意志がある。

「瀬戸の花嫁」のおわりはこうだ。

あなたとこれから 生きてく私
瀬戸は夕焼け 明日も晴れる
二人の門出 祝っているわ

ここでどうしても泣いてしまう。おれはこういうのに弱い。

故郷の美しさと決断する怖さを知る彼女に降り注ぐ陽の光が
本物の祝福でありますように

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