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祈り(ここ数日の散文日記)

2024年、年明けは病室で。

体調はイマイチ。

何しても直ぐに息切れするので、話すことすら少し億劫。

新年になった感じもあまりせず、恋人が休みで映画に行くと言っていたことや、何となくテレビを見ていたり、ごはんや看護師さんの話すことに年が明けた事を感じてた。

元旦の夕方、スマホがなった。
もうすぐ地震が来る、震度3予想。
始まるカウントダウン。
(住んでる地域以外も自分に関係のある地域を数箇所登録している)

……え?全部で地震?

びっくり。本州全部揺れてる。
恋人からも「地震!」って。
こんなに離れてて互いに揺れる事ある?なんてテレビを見たら能登は震度7。
津波。
思い出される東日本大震災。

人生でいちばん大きな地震だった。

東日本大震災の地震の時、学校から家に帰ってからも不安だった。
当時、母親は東北に出掛けていて家におらず、電話も中々通じなくて、東北が震源の地震だったこともあり、僕はすごく心配した。
時間の経過が遅かったり速かったりだったので、小さい僕は初めての大地震にすごくドキドキしてたんだと思う。
愛犬も余震で揺れると、いつもは吠えないのに遠吠えのように鳴いて怖がっていた。
これは、そのあともずっと続く事になる。
対処法を、教えてもらったのは愛犬が無くなる少し前。
もっと早く知っていたら、あんなに辛い思いさせなかったのにな。

とにかく、東日本大震災がとても怖い記憶な僕は、能登で震度7と聞いてゾワゾワしてきてしまった。
津波も、あの時を思い出す。

アナウンサーの緊迫感。
二度とあの時のようにならないように。
逃げて、と。

自分のところはあの時のようには揺れていないのに、不思議と不安が押し寄せる。

LIVEの地震関連映像を見てると、色んな事を思い出して、怖くなって。
こういうのをエア被災者って言うのかな?

感受性が豊かなのか?
自分の心も変な感じなってくる。

やばいなあ。
身体が弱ってると、本当にメンタルも弱ってくる。


2日には、羽田空港での飛行機事故。
ちなみに、僕は日本航空(JAL)が好き。
理由は色々あるけど、なるべく日本航空の便を選ぶくらいには好きで、応援している航空会社なのだ。

その飛行機が、燃えていた。

え?!なんで??

海保の飛行機と接触らしい。

……なんで?どんなミスが?
(誰かを責めるつもりは無く、海保もJAL機のパイロットも管制塔もプロで気を使っている仕事だからこその疑問)

でも、JAL機に乗っていた人達は全員無事避難したようだった。
あんなに激しく機体が燃えているのに、脱出シューターは原型を留めていた。
すごい技術に驚いた。
誘導した乗務員の人達もすごい。90秒で脱出できる訓練は本物だ。

後から知った事で、海保の方々5名が亡くなったと。
心からご冥福をお祈りします。

あのサイズの差、遠目にはJAL機しか見えていなかった。

殉職者が居ない部隊だったとの事。
東日本大震災の時も活躍した飛行機。
元旦の地震の為に新潟の航空基地に向かう所だったと。
胸が痛くなる様な話。


2024年、始まりからあまりにも悲しい事が起きている。

僕には、直接、関係無いかもしれない。
そんな事を気に病むなんて、おかしいと言われるかもしれない。

それでも僕は、地震で被害にあった人、飛行機事故で亡くなった人、怪我をした人、大変な目にあっている人達を思わずには居られない。

そんな、どうしていいのかわからないこの気持ちをnoteに日記として記しておく。

いつか、心がもっと成長した僕が読み返して、返事を書いてくれ。
正解はあるのか。
どうすればいいのか。


世界は、平和なようで、とても残酷で。
生きている事は、奇跡みたいな事なのに、毎日を僕はちゃんと生きているだろうか。

皆が平穏な日々を送れない事は、わかっているけど。
それでも、僕は願いたい。
1人でも多くの人が、平穏で穏やかな日々を過ごせる事を。
平和である事を。

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