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マイ・デイアレスト・アメリカ 4

そう私が、最初にアメリカに行ったのは、17歳の夏。本当なら受験勉強で苦しんでいなければいけない時期に、なぜ行こうと思いついたのかは覚えていない。けれど、その前にフラなんとか留学制度があり、それに応募しようと思ったが、女の子の日にどうすればいいのか、外人さんが使うほにゃは、果たして日本人も使えるのかといらぬ心配ばかりして、結局、頭もついてはいかなかったので、逃してしまった。でも、行きたかったので、父に頼んだら承知してくれた。余裕のない家庭ではあったが、父は教育に関して、特に本を買うことに関してはお金を惜しまなかった。さて、いくぞ!旅行会社の3週間のホームステイプログラムに申し込み、まずは説明会。ともかく、初めての海外旅行で右も左もわからない。男の人と二人きりになる時は、必ずドアを開けっ放しにしてくださいなどと、ほへっと思うようなことまでも説明してくれる。そこですかさず、一人のお母様が立ち上がり、「うちの娘がレイプされたら、どうなるのでしょう!」といきりまくる。いやいや、それを心配する前に、アメリカに行くことをやめたらどうなのだと高校生ながら、自分は考える。でも、周りを見渡すとみな父兄同伴というか、母親と一緒でうらやましかったな。
最初に到着したのは、サンフランシスコ。カリフォルニア大学のバークレー校に宿泊。空港からのバスがこのうえなくアメリカンで、グラフテイだったのをよく覚えている。寮について、さあ、ランチだ。同室の女の子とハンバーガーを食べにいく、もちろん言葉はわからない。チェーン店ではなく、カフェみたいなところでにいちゃんが一人で切り盛りしているような、そんな店に入店。しかし、バーガーは、でかすぎた。それから、ぶらぶらして暗くなる前に、夕食をとろうとやみくもにレストランに入る。おそらくそこそこの価格かなと思っていたが、メニューがちんぷんかんぷん。自分の英語力がここまでひどいとは思わず、適当におススメを注文。そして、でてきたのが、エンチラーダ。そう、そこはメキシカンレストランだったのだ。人生初のメキシカンフードは、食べたことのないような味だった。これは、一体!と一緒に行った女の子と文句をいいながら、ほとんど残してしまった。もったいなかったなあ。その後のアメリカ生活では、メキシカンフードは私の大好物になり、今でもポテチより、トルテイアチップを好んで食べるようになった。その後、日が暮れる前に寮に帰らなければと急ぐ私達に、カップルが声をかけてきた。何やら話しかけてくるが、さっぱりわからない。そうだ、こんな時は、パードンミー、プリーズスピークスロウリィだ!と満面の笑顔で、言ってみた。するとそのカップルは、少し驚いたような顔をして、何かをいって通り過ぎていった。一緒にいた子をみるとなぜか青ざめている。
「あの人達、お金を要求していたよ。」えっ!英語がまるでわからないというのは、危険にも気づかないということなのかなあと命拾いしたものだった。

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