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喋らないといけないと思っていた 93/365

外向的と内向的ってあると思います。

自分自身を振り返った時、みなさんはどちらだと思いますか?

僕は圧倒的に内向的です。

外側のことより、自分自身の内側のことに興味が出てしまい、自分の中だけで自己解決しがちだったりします。
そんなに外側に大きな変化が無くても、自分の中の見方や意識を変えることで、勝手に変化をもたらせてしまうのかもしれません。

今では、自分は内向的だと、認めて生きていますが、若い頃はそうではありませんでした。

外向的な振りをして、外側に色々な働きかけをしていました。
常に明るく、周りを楽しませるような人に近づいて、その人のそぶりをまねようとしたり、そして一番の努力は喋らないといけない、ということでした。

とにかく、喋って、周りを相手を惹きつけないといけないと思っていました。

だから、人といることが、いつもプレッシャー・・・
楽しいんだけど、結果的に疲れるんです。

でも、喋って、自分の存在をアピールしないと、自分がいなくなるような気がしているから、必死でした。

一人芝居のように、自分に圧をかけて、自分で苦しんでいた訳です。

そんな自分に気が付けたきっかけは心理学を学んだこと。

元々、人間は外向的と内向的という2パターンの性質に分けられます。

そこには優劣は無く、それぞれの良いところがあります。

しかし、僕は内向的の良いところを理解せず、外向的の良いところばかりに目を向けていました。

心理学的に自分の性格の本質を理解する為に必要なのは、親を見ることと言われてます。そしてさらに上の代も。

そう考えて、僕が振り返ったのは、自分の母と母の父(祖父)の姿でした。

母は息子の僕からみても、内向的な人でどんどん外側に向けて、何かを広げていく人ではありません。日々の生活をコツコツして、その中からささやかな幸せを見つけるような生き方をしてきた人です。
そして、祖父。祖父は少し離れた場所に住んでいます。
僕が子供の頃、家で取れた野菜をよく、我が家へ届けてくれましたが、決まって、こそっと玄関に野菜を置いて行かれました。
声を掛けるでもなく、こそっと。
だからよく、おじいさんのバイクの音がして、玄関を開ける音がして、行ってみると野菜が置いてあるのです。
「野菜を持ってきたよ」の一言でもあれば、お話もできますが、あまりそういう場面はありませんでした。

何だか、いつも恥ずかしそうで、シャイなおじいさんというイメージがありました。

そして、ある時、気がついたのです・・・!

僕はこの血を引き継いでいる。しかも、かなり!

そう思えた時から、少しずつ肩の力が抜けて、内向的な自分を受け入れれるようになったのです。

やっと、喋らなきゃいけないから解放されました。

もう、自分自身を解放して、しばらく経ちます。

それまでは、何か苦しかった・・・
幕がかかったように自分自身の心がぼやっとしていた。

そんな時期がありました。

意外と自分自身の〜せねばならないは気が付きにくいもの。

でも、そこに気がついた時、必ず新しい自分に出会えます。

そういう気づきを得るタイミングっていうものが誰にでもあって、ある意味必然のような出会いが生まれます。
これから、そういうことが意外と重要になってくる気がします。
外側から内側へ!

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