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言葉だけを集めても生命を生み出すことはできない

父性と母性という2種類の性質がありますね。

こう聞くとだいだいは、お父さん、お母さんを思い浮かべるでしょう。

その時に思い描くイメージは育った環境で少々違うことがあるのかも知れません。
しかし、一般的にいうところの父性と母性は少なからず固定したイメージがあると思います。

父性はどちらかというと「~せねばならない」
学校の先生だったり、会社の上司だったり。上から正しさを教える存在のイメージ。

母性は「生む、育む」
ありのままを認めたたり、存在そのものを愛おしむ。

こういった2つの性質はだれでも内側に持っています。
そして、一般的には男性は父性的で、女性は母性的と言われます。
人間関係でも、ひとりの中の感情でも、このふたつが葛藤を生む元です。

だれでも、子供の頃からこの2つを自分の中に取り入れて成長してきました。

この2つについてもう少し、考えてみると、

父性=言語的
母性=非言語的

とも解釈できるのではないかと思います。

言語で組み立てた世界は言語的概念です。

概念としてのリンゴは食べれません。味もしません。
でも、リンゴという共通概念を他者と共有することができます。

リンゴの話やリンゴ論で創造、概念を膨らますことはどこまでも出来る。

そう!概念の創造はある意味、無限なんです。

で、結局、その創造は今は「お金」として君臨しています。

信用創造というやつです。

現代のお金の価値の裏付けはもう、ものではなくて人間の概念でしかないんです。

つまり、父性は言語的な価値創造をする力を持っています。

言葉がどんどん膨らみ、価値はどんどん膨らみます。

父性的な考え方から資本主義は生まれ、どんどん成長してきました。

その本質は概念でした。

概念を実体に合わせ続けたとも言えます。

でも、それも限界です。

資本主義の終焉は、この価値と実体の価値が全く合わなくなった時に起こるのです。

当たり前ですね。

無限に増やせる概念の価値に実体がついていかなくなるのは、初めからわかっていたようなものです。

今はそういう時代に来ていて、もうこのままの社会が続くわけがないというのは、薄々、誰もが思っています。


父性の反対側の母性はこれまでの社会では、父性を癒す、あくまで支える側として存在していました。

社会というものが、そもそも概念で、父性的ですから。

そうした時に、これからの時代の母性の働き、意味はどういうものになっていくのでしょうか?

父性の後手で出てくる母性ではなく、そもそもの母性って?

それは、ひとつは非言語的であるということですね。

そして、生命を生み、育める力。

言葉の前にあって、創造の源と言える力。

それはもう、イデアと呼ぶものに近いのかも知れません。

これまで、言葉をつなぎ合わせて作ってきた、長い文明が終わりに近づこうとしています。

当たり前ですが、言葉だけを集めても生命を生み出すことはできなません。

生命だけでなく、そもそもこの世界が生み出されるのは、どういうしくみなのか・・・?
そういったことを、根本から考える時代になってきました。

決して、科学が言うように、世界はビックバンから始まって、長い時間をかけて進化をしてきた訳ではないのです。

そこのところを明らかにすると、本来の母性が明らかになり、生み育むというのはどういうことか分かってきます。

当宿の近くの須佐神社はスサノオノミコトを祀る神社です。
スサノオは海を治める神に任命されたと神話にあります。
この海は「生み」と解釈することも出来て、世界を生み出す作用そのものということも出来ます。

スサノオの霊力がイデアを表しているとするならば、出雲神話はこの世のしくみが書かれているといってもいいのかも知れません!!

これまで、ただの昔話ようなポジションにあった神話がこの世のしくみを表している、高次元の物語とするならば・・・

そんなワクワクを物語に書いてみました!