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教えてイチロー先生

YouTubeで教えてイチロー先生という動画をみた。

現役を引退したイチローさんが自身の経験を踏まえて、教室で子どもたちの疑問に答えていく。

子供たちの質問
「友達の輪の中にはいっていけません、どうしたら良いでしょう?」
「人から嫌われるのは怖くないですか?」
子ども電話相談室のように、率直な質問が投げかけられ、それにイチロー先生が分かりやすく、真摯に答えていく。

見ている、こちらもすっきりするような返答に、イチロー先生の思考の深さが垣間見える。
イチロー先生のような求道者タイプの野球選手は、自らの野球人生をを抽象的に捉え、本質に迫るよう積み上げている。野球に興味が無い人にも通じる人生論が分かりやすく展開される。

ひとつ印象的だった、少年の質問。
「寿司が好きで、お店が好き。将来は寿司屋を開きたいと思っているが、なれますか?」
それに対する、イチロー先生の答え。
「それは素晴らしいこと。でも、覚えておかなければいけないのは、今好きでも、仕事となると、責任が出てくる。毎日それをしなければいけない。そうすると、きっと好きではなくなる時がくる。自分の野球人生もそうだった。子供の頃、好きで始めた野球が好きではなくなった。そこは分かっておくべきだ」

これは野球に限らず、社会人ならだれもが感じることだと思う。
好きで始めたはずなのに・・・
ずっと好きが続くと思ったのに・・・

子どもの頃に夢中になれたものが職業にするとそうではなくなる。
それは経験上、社会人なら感じることだと思う。

それではここをどう考える?

この「好き」というやつをもう少し深掘っていかなければいけない。
寿司が好き。⇒寿司屋をやる。
寿司を好きな自分が、誰かに価値を提供出来るから仕事になる。
寿司が好き、寿司を作って振舞うのが好きとしよう。
その作った寿司が誰かの価値になれば良い。
寿司という物が。寿司屋という場所が。寿司屋で過ごす時間が。

ここからは僕の想像だが、寿司が好きと言った少年はきっとそれまでの人生の中で寿司の美味しさ、寿司を食べるというスタイル、そこに良い思い出が詰まっているのだと思う。
通常、お祝い食や外食として食することが多いから、そのときの嬉しいテンションもそこに含まれているかもしれない。
大人でも、寿司を食べに行こう!今夜は寿司だよ!と聞いた瞬間に嬉しくなる。

つまり、日常と非日常のギャップにより好きという感覚が浮かんでくるのではないか?
そして寿司屋になると、寿司が日常になる。そこにギャップが生まれる。
ここはイチローさんが子供たちに伝えたポイント。

このようなパターンに嵌まり込むと、自分は何だか飽きっぽい?好きが継続できない人なのではと思ってしまう。

そしてイチローさんのように子供の頃の好きを、何だかんだ継続して成功を収めた人を崇め、自己嫌悪に陥る。

僕はこんな思いによくなっていた。
「一つのことをやり遂げる、やり続けることは素晴らしい」
「それができないからだめなのだ」

僕らがこれまでメディアなどを通して目にする偉人はイチローさんのようなタイプが多かった。何かの分野で突き抜けた人。突き抜けた結果を残した人。
そういった人の人生に触れて、刺激を受け、憧れもした。

イチローさんの返答から僕が感じるのは、イチローさんにとって野球は手段。目的は別にあった。イチローさんはどうして、全打席ホームランが打てないのか疑問に思ったことがあるらしい。誰に聞いても、そんなもんだから。そもそも、動いている玉を棒で捉えることが難しいから。というような答えしか返ってこなくて納得がいかなかったらしい。
そもそも、そういう高い次元に答えを求めていた。これはもう少し言うと、自分が思った通りの結果が出ないのはなぜか?
思ったことと現実が一致しないのはなぜか?
という問いの答えを求めていたと言っても良い。
もうここまで抽象度があがると、野球という事象を超えてくる。
きっと、野球を続けていくにあたって、開けてきた新たな境地だったのではなかろうか。
なぜ10割バッターになれないのかという問いを続けたバッターと3割を目指したバッターに大きな差が出るのは当然だ。
これは目標を高く設定するといいという意味ではない。そもそも別次元だ。
イチローさんは長く続けていくために、野球に哲学的な本質論を見出していったのかも知れない。野球道だ。

そして、もう一つ、イチローさんは生まれ持った身体能力があった。だからスポーツでそれを実践することが出来た。
そこを踏まえてみると、私たちの仕事へも応用が出来る。
まずは、能力。
他の人と比べてどんな能力があるのだろうか?

これは正直やってみないと分からない。他の人と比べるには、やっぱりやってみないと。
これって仕事をする上では、好きかどうかと同じくらい大切。
人と比べて優位な能力何か。

初めは具体的で構わない。
寿司屋をやる。車を売る。イラストレーターになる。起業家になる。。。
様々な職業がある。そこには具体性がある。この具体性は出してみないと分からない。
具体的に外に表現していけば、そこに人より優れた能力があったかどうかわかる。
その能力は社会では武器になる。
仕事として成立するためにその具体性を認めてもらう必要がある。
目に見える形で。

そして、その先に抽象度を上げた本質を見つける。
寿司屋になりたい少年が例えば、寿司職人の修業を始めたとして、初めは言われることをだたただ習うだろう。その先、何かにぶつかったとき、寿司が自分にとってどういうイメージなのか。寿司に付随している様々な概念を解体して、「自分にとっての寿司」の本質を削り出す必要があるだろう。
この「自分にとって」が大切。
どうしても一般的なイメージに引きずられやすい。
ここで自分と向き合うという作業が発生する。

イチローさんの口から出てくる言葉、話し方をみると常にここと向き合ってこられたんだなという感じがする。

何かを続けていくヒント、何かを諦めて、別の道へ進むヒント両方を内包したイチロー先生の言葉達。

やっぱり深かった。