大人が持っている最大の価値
子どもと大人を比べれば、大人は経験があって、やっぱり物事を知っている。
知識も豊富です。
最近、ネットなどで動画配信をしている人を見ると、若くてもすごい知識量の人を見ることもあります。
その人の論理や話の筋、エビデンスも確かです。
今の時代、ネットに噛り付いていれば、あらゆる知識は手に入り、理論で相手を上回ることは年齢関係なく可能になってきました。
そういう若い人(こういう言い方はあまり好きでは無いですが)を見ていて、思ったのはもう知識ではない、ということです。
知識量ではもしかして、年配者より若い人が上なのかも知れません。
何せ、ネット社会はそれ以前とは比べ物にならない位、情報量が爆発的に増えたから。
家にいてPCからそこにアクセスし続ければ、昔で言えば、一生をかけて得る情報量を一年とかで超えていってしまうのかも知れません。
これは、単に知識量をビット数に変換したようなイメージなので、それにまつわる経験値は除外しますが、ビット数的には、もうそんな時代になっています。
だから、知識だけの価値はどんどん減りつつありますね。
ではでは、それまで大人の専売特許だった、知識という価値。
これは、何に取って代わるのでしょうか?
大人の持っている価値って・・・?
僕はそれは「楽しめること」だと思っています。
今ここを。
楽しむって、面白さを見出したり、気づきを得たり、能動性を発揮することです。
楽しむと能動性はとても近い関係にありますね。
きっと、そんなに難しいことではなく、まずは自ら動いてみる。
闇雲に知識を増やすんじゃなくて、ピンときたらやってみる。動いてみる。
そんなことだと思います、
子どもって、それが出来るようで、やっぱり親の保護下に置かれいて、やっぱり枠の中にいるんです。
大人はやろうと思えば、やれる環境で生きています。
それにブレーキをかけるのは、ただ自分・・・
大人の持っている最大の価値は能動的に楽しめることなんだと思います。
そして、その楽しみ方も人それぞれ。
僕は宿泊で出雲にいらしたお客様とお話したり、また一人で文章を書いたり、すさのわをもっと、楽しい場所にしたり、そんなことをいつも考えています。
やっぱり、それには実際の出会い、経験は欠かせません。
デジタルの世界から少し、離れて、大自然に身を委ねると、新たな自分を発見するかも知れませんよ。