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思考は現実化する

さあ四連休の最終日、noteに何か書いておきたいと思い、何を書こうか思いを巡らす。
この時に、様々なことが蘇る。
何を書き残しておきたいのか?
ちょっと大げさだが、これだけは書き残さないと死んだら後悔する?
みたいな内容があるのか?
そんなことを考えると優先順位が上がってきて、内容が決まる。

そして、今日は大学時代の話だ。おそらく、大学四年生だったときの話。

近くの本屋に立ち寄った。当時はあまり読書の習慣は無かったと思う。
ふらふら本棚の周りを歩いていると、ある本が目に飛び込んできた。

その本は自己啓発本としてはあまりにも有名な「思考は現実化する」ナポレオン ヒル著。
その当時はビジネス書やこういった類のカテゴリーがあることも良く分からなかった時期。
でも、なぜか数ある本の中でこの本が輝いていた光景を今でも思い出す。
静岡の本屋で出会ってしまった。

当時、自分の将来や現状に不安があった時期ではあった。
寮生活の不自由さも感じていた。
潜在的に何か変わるタイミングを探していたのかも知れない。

思考が現実化する・・・それはつまり「夢が叶う」ということだと思う。
これから先、将来僕は夢を叶えるのか?夢を叶えたいのか?

そんな思いを抱きながら、本を読み進めていった。
初めて接する自己啓発本。
はまった(笑)

読み終えた後の、不思議な自信。
この手の本を読んだことある人ならわかるであろう、高揚感。
何でもできる!
やはり、自分もそんな気持ちになっていた。

この手の本を読んでも、反応は人さまざま。特に何の影響も受けない人もいるだろう。
でも、僕にはなぜ響いたのか?

これはそれまでの僕の実体験と関係していると思っている。
それまでも小さな成功体験をしてきた。
その一つが大学、「静岡大学」に入学できたことだった。
高校生の頃、僕はクラスでも落ちこぼれ。国公立大志望コースにいたが、ボーダーラインにいた。どこも受からないかも知れない。高校三年生の夏もそんな状態だった。
高校三年生の夏、当時サッカー好きだった友達5人で神戸に日本代表対イタリアのクラブチームユベントスの試合を観に行った。まだこの頃はJリーグが始まる前。代表戦というより僕らはユベントスが見たかった。
その友達はみんな同じクラス。みんな同じく国公立大を目指していた。
僕らの担任の先生が出来たら夏休みに自分の志望校へ見学に行って来いと指導していた。そして、入学した自分の姿を想像すると良いと。
当時僕はまだ志望校が決まっていなかったが、友達5人のうち何人かが神戸大を志望していた。せっかく神戸にいくなら、大学に行こうと計画しみんなで行った。
電車やバスを乗り継いで大学へ。
そして、キャンパスを見渡した。高校に比べるとあまりにも大きなキャンパス。大学生の人たちも大人びていてかっこいい。受かればこのような生活が待っているのか。僕も大学生活を想像してワクワクしていた。
そして、島根に帰り受験勉強。その年の秋には「静岡大学」に志望校を決めていた。
そして、大学へ行ったらこれをしよう、あれをしようというイメージを膨らませた。
静岡はサッカー処。サッカーを観に行ったり、サークルでプレイしたりする姿を想像しながら、勉強を頑張った。
そして、見事に合格!

僕はセンター試験推薦という枠で入ったが、センター試験の結果と面接が選考科目だった。センターの結果を踏まえ、前期後期日程の前に一度チャレンジできる。
センターの出来はそう良くなかったが、面接で逆転できる可能性もある。

この面接で僕は二つのラッキーに恵まれる。

その選考で合格者はおそらく25名位だった。まず全員が一つの教室に集められた。当然人数を数える。すると、27名しかいなかった。落ちるのは2名?いける!と思った。元々競争率が低い学科だったので、やっぱり!穴場!行けた!と思った。
しかし、入学してから、同級生と当時のことを話して分かった。2グループに分かれていたのでもうひとグループあって、倍の数はいたようだ・・・。
いい早とちりをして、余裕をもって臨めた面接だった。

そして、もうひとつのラッキー。
面接直前に化石の本を読んでいた。僕が志望したのは地球科学科、地学。どんな面接になるか分からなかったが、落ち着くために当日持参したその化石の本を持って行って読んでいた。
面接では目の前にたくさんの岩石や化石が置いてあって、ひとつ気に入ったのを取って、それについて話すという内容があった。
なんとその時、直前まで読んでいた本にあった化石(フズリナ)がそこにあったのだ。
直前に読んだ内容では岐阜県大垣市にたくさんの採掘場があって通称ヤベイナと呼ばれている。セメントの原料として貴重、というような内容が書いてあった。まさに目の前にそれがあった!迷わずそれを手にして、得意げに話した。おそらくヤベイナなど、高校の教科書では習わないワード。教授たちは「こいつやるな」と思っただろう。
そんなミラクルが重なり、自分にとって難関だった静岡大学に見事合格!

僕にはこんな実体験があった。

だからこそ、「思考は現実化する」を読んだとき当たり前のようにそれを受け入れる自分がいたのかも知れない。

思考は現実化するか?
今もう一度、自分に問う。

大学を卒業し社会人となり、もちろん夢に破れた経験をしている。
それでもなお、Yesと答えたい。
思考の現実化を自分の人生で証明してきたわけでもない。
このYesには大きな矛盾も含んだいる。
しかし、Yesだ。
やはり、思考は現実化する。

これから先の人生を思ったとき、間違いなく「今の自分」が一番若い。
一か月先の自分は今より一か月、歳をとる。
先のことを考えれば常に今が一番若いのだ。

その若い自分が未来の自分に託せるのは、贈れるのはこの「想い」しかない。

そして、自分の人生、結果で「思考が現実化するか」を証明するということに関しては、まだ結論付けるのは早い。まだ僕らは途中だ。まだ、走り続けている。

ラッキーやアンラッキーを経験して、思う。
そのひとつひとつの意味はその時にはよくわからない。
その時は、感情的に上がったり、落ちたりはする。

しかし、何か大きな意志によって動かされているのかも知れないし、それが僕たちの思考の原型なのかもしれない。

人生や運命をテーマに物を考えたとき、そこには計り知れない未知が存在していて、僕たちは途方に暮れる。
このテーマに関しては誰かが答えを知っているわけでもない、正解がある訳でもない。

長い人生の羅針盤として自分の思考と向き合い、そこから導き出された方向性。それが描く現実世界。

気づけば十代のころから、そういう生き方を選んでしてきた。
周りの大人や仲間に恵まれたからこそ、出来た生き方。

今、もう一度その存在に感謝し、明日もまたしっかり生きていきたい。