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将来が不安なのでは無い

将来が不安に思えるときがある。

将来に不安を抱えるという意味も感覚もよく分かる。

これまで将来に不安がない、なんてことがあっただろうか?

将来って実は永遠に来ない未来のこと。
将来と思っていた場所にくれば、そこから先がまた将来になる。
だから、不安と思えば不安なものになるし、希望と思えば希望なものになる。

今の気持ち、状態をどう未来に乗せていくかの問題でもある気がする。

つまり、主語をどこに固定するかの違い。

将来がを主語にするか、不安がを主語にするか?

将来が不安な場合は、もしかしたら、不安が主語になっているのかも知れない。

不安が未来のことを考えているような状態。

主語が不安になるのだから、そもそもそれが前提となってくる。

不安でどんどん色が染められていく。

何だか、調子が悪い時は、不思議とそんなサイクルにはまり込んでいるのかも知れない。

だから、時々、ちゃんと考えてみる。

将来が不安なのか?不安が将来を案じているのか?

本来、将来はニュートラル。

どの状態からでも考えてみることが出来る。

不安という状態から考えることもできるし、希望という状態から考えてみることも出来る。これは全くイーブン。

僕らの自由な魂は、このどちらからでも考えることが出来るのだ。

だから大事なのは主語。

将来がきちんと主語になっているのか?

そして、将来を考えている今の自分の状態がどうなのか?

そういうことの方が大事。

だから、大事なことは今ここにある。

今をきちんと整える。

そこから、将来を案じてみる。

すれば、自ずと未来は作られていく。

なぜなら、本当は今と未来は重なっているから。

今に全てがある。

今の中に希望は溢れている。