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夢には日付を

よく成功法則の本に書かれる「夢には日付をつけなさい」これについて考えてみた。

成功した人の話は様々で、全く逆のことを言う人もいる。いついつまでにこれを成し遂げる、とか目標を立てると、それ以上の可能性を失う。その時々夢中になっていれば良いとか。

大きく分けて有言実行型、「こうなると宣言しそれに向かって今を使う」と今を生きる型、「今のワクワクを実践したら結果こうなっていた」にわけられると思う。

この二つは相反するところもあるし、人によって合う合わないがあるから自分がどちら寄りなのか考えておくことは必要だ。

夢に日付をつけるという考え方は、未来になりたい姿を描き、それがいつなっているのかも決めていくということ。
未来から逆算して今を選んでいく。何年後、この仕事をしていたいから、今これをする、というような感じ。

僕はこっちのタイプだ。今、ワクワクすることをしなさいと言われると戸惑う。ワクワクにしたがって生きるとかよく言われるけど、なんだかそれも苦手。

そこの違いを考えた時、決め手となるのは僕の中にある「死生観」なんだと気付いた。

期日を決める、いついつまでにこれをする、というのは終わりを決めるということ。そのことの根底に人はいつか死ぬというあたりまえの大前提がある。

僕は心のどこかでいつも、終わりを意識していて、その終わりにおいての物語性に価値を置いている。
物語性に価値があるので、いつ死んでも悔いが無いように今やりたいことをやるとは少しニュアンスが異なる。
物語は起承転結で進み、時間の流れが必要だ。そして最後を迎える。その過程に価値があるので決して「今」だけにフォーカスしない。終わりに向かって紡いだ時間そのものに価値を感じる。だから過去を振り返るという作業がすごく大事。過去の点と点を繋げて線にするという作業で完結する。

夢に日付をつける行為は終わりを決めるという行為でもあり、一つの物語の完結だ。
例えばアスリートがオリンピックを目指す。四年という終わりを設定する。そこにアスリートのドラマ、物語が生まれる。観ている僕らもその物語に共感する。オリンピックの四年間はきっとその人間ドラマが作られるのにちょうどよい期間だろう。

夢に日付をつける、僕にとっては、夢を叶えるための方法というより、終わりを設定して物語を作るという感覚に近い。もちろん夢が叶った方が嬉しいし、その為にあくせくするのだけれど。

その過程で出会う人、生まれる葛藤、何かが転じる時、そういったものが面白いし、人生を豊かにしてくれる。

死ぬまで、いくつの物語を描けるか、どんな物語を描けるか、それが楽しみなんだと思う。