この世にいない自分を発見する
この記事は3年前に書いたものです。
夏になると、よくヌーソロジーのことを考える気がします。
8月初旬にライオンズゲートが開くからなのか、中旬にはお盆があるからなのか、宇宙やあの世のことをよく考えます。
星の向こう、宇宙の彼方。
この世界はどこまであるのか?
私たちは実際にはどこにいるのか?
私たちの存在の場所について、少しずつ理解が深まり、腑に落ちてきた感覚があります。
そして最近、よくこのフレーズを頭の中で唱えます。
この世にいない自分を発見する
この世にいない自分を発見するって矛盾に満ちた言葉だけど、これが見えないものを感じ取るセンスなんだと思います。
この世にいない自分、この世の影響を受けない自分、そんな場所に存在している自分の存在は絶対的な安心をもたらしてくれます。
絶対的自己存在。ちょっと哲学的な言い回しをするとそんな感じになるでしょうか。
今まではこの絶対的自己存在はあまり語られることはありませんでした。
ある意味、当たり前すぎて潜在化していたのです。
万有引力を発見したニュートンが物が落ちるということを体系化して説明した訳ですが、この発見があるまでも、もちろん物は落ちていました。
でもそのことを深く思考し認識することは一般的では無かったのでしょう。
しかし、ニュートンの発見以来、重力という概念が共有され意識化されたのです。
それと同じことが起こりつつあるのが今現在だと思っています。
今度は私たちの現存在に対する概念が意識化されつつあります。
それは本当に私たちがいる場所がわかるということです。
位置がわかるということ。
位置は命(イノチ)が生まれる場所。
イとチの間に生まれてくるのが命なのです。
そしてそれが始まりの一(イチ)
やっと位置(一)について!と命の場所に辿り着こうとしている私たち。
位置につけば、そこは終わりもない始まりもない、永遠の場所だと気がつくことが出来るのです。
♾️
こちらとあちら
主体と客体
見ると見られる
そして、
わたしとあなた
この二つが出会う場所が命の場所。
わたしの位置。
互いに反転したわたしとあなたが、イとチの関係だったと分かった時、陰陽が統合され、次元が一つ上がっていくのです。
おそらく、あと2年後くらいにはこの感覚はもっと顕在化しているでしょう。
それまでにやるべきこと・・・
この世にいない自分を発見する
しっかり目を見開きながら、この世にいない自分を発見するのです。
新しい時代はそういう方向に流れています。