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オリンピックより大切だったもの

本来であれば、今頃東京オリンピックの話題で持ちきりだっただろう。
暑い夏、日本選手の活躍、そこに秘められた感動のストーリー。
それに酔いしれる国民。

そういう、僕もオリンピックやワールドカップは大好き。
四年に一度の祭典を毎回楽しみにして生きてきた。

東京オリンピックが延期になって、今年の夏、それだけでなく様々なイベントも中止になって、何事もない、ただただ暑い夏。外にでる用事も少ないから正直暑さを感じる機会も少ない。いつも冷房のかかった部屋で過ごしている。

2020年夏、オリンピックは無くなったが、その代わりに僕らが得たものは何だろう。
今年の夏。圧倒的な暇。そう暇なはずだ。暇というとちょっと語弊があるので敢えて言いかえると自分の時間。(もちろん、業種によっては忙しさが増した分野はある)

オリンピックと引き換えに自分の時間を手にしたのだ。
きっと、みんなが。
更に、もう一つ・・・こちらの方が大事。

みんなで同じものを共有しなくてもいい自由。

オリンピックがあると、話題がそれ一色になる。なんとなくそれについていかないといけないような雰囲気にもなる。
今年はそれが無い。
強いて共通の話題と言えばコロナ対策として各自がどういう対応をすべきかくらい。
それは話題というより、国からの要請だったりする。
そこに対してああだ、こうだは言うけど、実際個々に降りかかってくるから、そこは生きていく上で必要な情報だ。

それ以外のいわゆる社会的な話題、ネタが無い。それもそのはず、動く人が少ないのだからそれも枯渇する。

そこに入り込んできたもの。

第一にはやっぱりデジタルコンテンツ
ネット上ではYouTubeはじめ、動画のストリーミングが溢れている。
今はそれに時間を費やしている人は多いはず。ここには過去のアーカイブも大量に用意されていて、一生あっても見切れないほどのコンテンツが溢れている。
第二はリモートのコミュニケーション
ZOOMなどテレビ電話機能を使って、離れている人とコミュニケーションを取ったりも以前より増えた。

つまり、ディスプレイの前にいる時間が増えた。
そのディスプレイは時間や空間を超えて、僕らをいろいろなところへ連れていってくれる。
そのコンテンツは個々にセグメントされていて、その世界に簡単に浸ることができる。

2020年夏に僕らが得たものは外の共通世界ではなく、内の個人的世界だったんだと思う。

これは大きな時代の転換点を意味する。

オリンピックより大切だったものが、もしかしてここにあったのかも知れない。

外にある共通の価値、一番を目指してピラミッドの頂点を目指す価値観から、ひとりひとりの中にある価値観、わたしの姿を浮かび上がらせる。

この大きな転換を示す出来事が「東京オリンピック延期」
これは歴史的な出来事であったと後に語られるだろう。

思い起こせば、第二次世界大戦も日本に原爆が落とされ終焉した。
それ以降、世界を巻き込む大戦は起きていない。
この戦争の終わりが、直接的武力による世界支配の終わりを意味していたのかも知れない。

それから、75年、また一つの終わりを迎えている。
僕はこう考える。
宗教による世界支配の終わりだと。
ここでいう宗教は一神教的宗教。
外に正しさがあるとする考え方。
人間は生まれながらに罪を背負っていて、その正しさを学ぶことが生きること。
なぜ学ぶかは、自分の罪、不足を補うため。
不足を埋めるため、学び、働き、財を得る。ピラミッドを登っていくように生きていく。
この「不足を埋める」という感覚が無意識に刷り込まれていて、私たちは気付かなかった。
それが宗教の力。その見えざる力で動かされてきた。
自ら動いてきたわけではない。動かされてきた。

2020年。この動きにストップがかかったのだ!
みんなの集合意識でかけたのかもしれない!

そもそも、罪なんて無い、不足なんて無い。
無かったんだ・・・

このことに世界が気づいた2020年。
そして今回も日本発で起きたパラダイムシフト。
このことの意味は大きい。

これから色々なことが変わり始めるだろう。
お金中心のピラミッド構造、人を組織化する企業体系、中央集権的な国家運営、サーバーとクライアントというインターネット環境、学校教育という制度、周りを見渡せばピラミッド構造だらけだった。そしてその根源は宗教、一神教的宗教の思想。
ここが解体され、ひとりひとりの中の気づきが生まれてくる。
神はいなかった。外に神はいなかった。ではどこに?・・・

童歌「かごめかごめ」に出てくる歌詞・・・鶴と亀が統べった、後ろの正面だあれ・・・?

この歌には色んな意味があると言われている。解釈も様々。
僕は敢えて新しい時代の神の場所、位置と捉えたい。
後ろの正面・・・神がいる場所。
後ろの正面・・・そこは、もうひとりのわたしの場所。もうひとりのわたし。

そこは一神ではなく、多神教的な神。それぞれの内面にいるはずの神。
もう外に答えを求めなくてもいい。気づけば後ろの正面に神はいた。

長い間、無意識に抑圧されてきたものが、溶けていく。
そこには必ず大きな気づきがある。気づきが世界を変えていく。
全く新しい世界が始まっていたことを気づかせてくれた今年の夏。
そんな2020年夏、気づきの夏。

金メダルの数より、ひとりひとりの気づきの数を優先した私たち。

その先に本当の平和の祭典があるに違いない。