イデアが必要な時代

前回、ゲシュタルトについて書きました。

ゲシュタルトという言葉、そもそもの意味を僕がしっかり理解しているかはわかりませんが、僕が使っているゲシュタルトという言葉のニュアンスを書いてみました。

今回はイデアについてです。


以前にも神話とイデアについて書いたり、ちょくちょくイデアという言葉を使うのですが、僕がどういう文脈で使っているのか、確認する意味で今回しっかりまとめてみたいと思います。

イデアとは・・・?

イデアについての起源は古く古代ギリシアに時代に遡ります。
哲学者プラトンが説いたことの中心はイデア論。

プラトンがどのようなことを説いたのか、イデアとは何か、プラトンの説明から紐解きたいと思います。

「イデア」とはギリシャ語で「姿・形」という意味があり、プラトンはそれを「真の実在」という意味で使いました。

イデア論の中で有名な比喩「洞窟の比喩」というものがあります。
これはどういうことを言っているのかというと・・・

私たち人間は生まれながらにして、手足を縛られて、洞窟の壁に向かされているようなもの。その背後に松明の明かりがあって、背後の塀の上で動く人形の影を見ている。

人間はそれが影だと分からず、実態だと思い、あれやこれやと考えて生きている。
あるとき、そのうちのひとりが拘束を解き、立って後ろを振り返る。
そこで人形と松明の姿を目にする。
今まで見ていたのはただの影だった。

そして、本当の世界の真実に気が付く。

本当の世界は太陽が照らす世界だった。
自分が生まれてからずっと洞窟の中にいたことに気が付いてしまった。
影を見て、本物と思い込んでいたなんて・・・

真実の世界を知った者は洞窟の世界へ戻り、そのことを説明するが周りからは全く理解されない。

この洞窟の世界が現代で言うと物質世界、洞窟の外の世界が真実の世界

イデア論はその真実の世界、真実の宇宙こそ、外にあって全く違う世界である。

そのように考えます。
この成り立ちをイデア、真実の世界と呼んでいます。


このことを知って、まず僕が思ったのが映画「マトリックス」の世界。

人間がコンピューターに繋がれ、仮想現実の夢を見ています。
そこはある意味、普通の幸せな日常世界。そのことに誰も気づいていません。
そんな環境の中、主人公「ネオ」はひとり目覚めてしまいます。
今まで現実と思っていた世界は仮想現実!本当の世界は別のところにある!

そこに気づいてしまったネオは仮想現実、洞窟の世界を出て、真実の世界に生きるのです。

この映画が表しているのはまるで、プラトンのイデア論のようですね。

この映画が公開されたのは1999年。21世紀を前に人類にイデア論をいよいよ突き付けてきたのではないかと思います。

イデアを考えると、そもそものわたしたちが持っている概念を疑っていくことになります。
松明に映っていた影が現実だと思っていた。
でも、それは映っていただけだった。では、現実って何?

そういう思考になります。
そういう思考自体は古代ギリシア時代からあったんですね。

それは哲学として、現代に受け継がれてきましたが、現代において哲学の価値や意味は実用的に使われているものではないと思います。

わたしたちが社会構造上、常に意識しているのはこの現実世界での物質的な部分、つまりお金ですよね。
この物質世界が影とするなら、その影はお金とも表現できるのではないでしょうか。
お金は影なのに、それを実体かのように思い世界を作る。
物質文明の歴史はそういう流れだったように思います。

そして21世紀、この当たり前の現実に波紋を投げかける映画や考え方が出てきました。
そしてお金の形も近年、キャッシュレス化と大きく変わってきました。

物質と思っていたものが実は概念・・・?
物質は影・・・?
では、実体は・・・?

お金のキャッシュレス化は実態が影に隠れたことを表しているし、世界のオンライン化も実体がデジタル化、影化しているとも見ることが出来ます。

こうなってくると、いよいよイデアが必要です。哲学が必要です。

もう影を追っかけるのをやめて、真実の方の実態を見る時代です。

その為に洞窟の比喩にあったように、後ろを振り返るのです。

その、後ろの振り返り方を哲学が説いてきたのです。
哲学というと、道徳的なことや、理想を学ぶというようなイメージがあったのですが、よくよく学ぶと実は全然違っていました。

世界の在り方、本当の世界の成り立ちを明らかにするという構造論なのだと思います。
そう考えると何だかワクワクしてきます!

最後に有名な童歌「かごめ歌」を引用します。

かごめ かごめ かごの中のとりは いついつ 出やる
夜明けの ばんに つるとかめと すべった うしろのしょうめん だーれ


後ろの正面は誰なのか?
この歌もイデアへとつながる意味の深い歌なのかもしれません。

今まで当たり前と思ってきた、常識や観念は映っていた影・・・?

後ろを振り返るのは勇気がいるのかも知れませんが、真実が知りたいと思ってしまったら、それは新しい風が吹いた証拠でしょう。

すさのわではそんなお話会もちょくちょくしています!
みんな何かに気がつきはじめた・・・。
でも、それがなかなか言葉にならない。
そういうときは自由に思ったことを話してみるのが一番です。
新たな発見ができますよ!