Journey behind me, journey ahead of me
4月から新しい職場に異動になったわけですが、異動に至るストーリーがいくつかあるから、忘れないように記しておこうと思う。
私の目前にある道のりにどうつながってるかも、紡ぎたい。
バーチャル会議の罠
北米、欧州、日本の3リージョンと仕事してた。
朝から、北米とのミーティング。
日中、国内の所属組織のミーティング。
夕方になると、欧州とのミーティング。
夜になると、3極ミーティング。
特に夕方以降のミーティングがつらかった。
子どもと夕飯食べたい時間に、定例ミーティングが入ってる。
ご飯を作りながら打合せを聞く。
ご飯できたよーと言って目の前で食べさせながら、耳ではミーティングが続いてる。
Take care! と言ってフゥーと息つくと、いつのまにかワークデスクに戻ってて一人になってて。
あれ、食事したっけ?…したよな。
子どももご飯食べてた?食べさせたよな。
ちゃんと食べてた?どのくらいの量?なんか残してた?
おいしく食べてくれてた?どんな顔してたっけ。
なんにも覚えてない。
そんな日が増えすぎて、あるとき自分の中で何かがプツンと切れた。
こんなふうに働けない。こんなふうに生きていけない。
危機感から上司に相談したら、話しながら泣いてしまった。
思ったより自分がまずい状態なんだと、初めて気づいた、
呪いに「ホンマかいな?」
泣き出してしまうほどの働き方をしてしまったのは、時差のある仕事をしてたから…ではない、と思った。
寄せられる期待、渡される仕事、私より働いてる上司。
私はもっとやらないといけない。まだ足りてないんだ。
みんながんばってる。自分だけ手を抜くわけにはいかない。
さもないと、私には居場所がなくなる。選択肢はない。
プツンとなって泣いてしまったとき、少し休ませてほしいとリクエストして、日本のタイムゾーンの打合せ以外は私は呼ばないでもらうことにした。
“念のため”も、”人の目がある手前行かねば”も、全部手放した。
私がやったらみんなきっと助かるだろう、と思ってた仕事も、全部やめた。
私は、自分の顔のあんぱんをちぎって差し出しすぎてた。
アンパンマンの顔は、いのちそのものなのに。
あんぱんを渡しすぎると、健やかさが失われる。
私は、自分の大切なものを無頓着に削りすぎていたし、そうしないと悪いことが起きてしまうような不安も持ってた。
実際は、毎日ゴキゲンにパトロールし続けることが大事なのだ。
みんな私のあんぱん渡さなくても、最後は自分で自分のこと満たせるし、ケツも拭けるのだ。
みんな、自分で自分のいのちを生きればいい。
その日その日を、1日ずつ生きればいい。
それでも、何も悪い事は起こらない。
呪いの呪文が聞こえたら、ホンマかいな?と問い返そうよ。
そんなふうに、自分の中にある声と付き合うことを知っていった。
飽きたな
こうして、ムリせずおびやかされない私になっていった。
安心して生きてると感度が上がり、感覚が澄まされてくる。
必要とされてる。まあまあ上手くやれてる。
しんどくなくても、やりくりできてる。
あなたはこの仕事やってくんだね、と期待されてる。
でも、なんか、うーん、これなんだっけ?ピンと来てない。
マイコーチは、私がこんな感じで仕事のことを話してたら「これから毎日ずっと松屋の牛丼を食べるのか、ってことだよね」と絶妙なことを言った。
(あ、松屋が悪いわけじゃない!松屋もおいしいし!と、なぜか私に対して松屋を必死にフォローしてたw)
そこで気づいたんだよね。
「この仕事、私はもう飽きてるんだな」と。
この日から「私は仕事に飽きてる」をポケットに入れて持ち歩くことにした。(比喩ですよ)
そしたら、日々の仕事の中でなかなかに冷めている自分に出くわしまくった。
驚くことに、仕事以外でも同じ自分が出てくる場面を見つけた。
それは、もう何年もやってた某グループへの参画だった。
明らかに熱量がない。そのグループのせいなんだと思ってたのに、私以外はなかなか前のめりに参加してて、その温度差に「おや?」と思っては、この人変わってるな〜と思ってた。
そうじゃなくて、むしろ私こそが異分子だった。
そうか、私はここにももう飽きているんだ、旅立ちのときなんだと悟った。
4月生まれなせいか、パッションと好奇心から何かを始めることは、息吸うくらい簡単にやれる。
だけど、辞めることは意識しないとできない。
大人になったら、辞めどきですよの旗を自分で挙げるしかないし、自分で決めていいのだ。
「もう十分にやったから、終わりにしたい」
いくつかの事について、自分からお伝えしていくことにした。
仕事は「飽きちゃいました」と言ってもすぐどっか行けるわけじゃないし、コトには飽きてても仲間にはいつまでも絶えない思いがあるよな〜などと噛み締めてから3ヶ月。
その日はいきなり来た。
「異動です」
というわけで、3月末の投稿につながるわけだ。
一つの旅は、ある意味私の望みが叶うように終わり、そして新しい旅が始まって今に至る。
ムキになりたい
こんなすぐの異動は予期してなくてビックリした。
長々と練られた人事でもなかったらしい。
玉突きな側面もあり、けっこう土壇場でこうなったと風のウワサが鼓膜を揺らした。
そんな行き先は、なんとも縁のあるチームで。
私のキャリアで過去一番在籍が長く、大好きな上司に何人も出会えた、なんともなつかしい特別な場所に戻される形だった。
しかも、かつて私がゼロから一人で起こした仕事を、詰め合わせで手掌することに。不思議な巡り合わせだ。
世界は私に、何を求めているのだろう。
思わずそう自問してしまうくらい、ミステリアスな展開。
ひとまず、この場所にはやった方がいいと強く感じる仕事がいくつかある。
強く感じてる自分は、かつてここにいた自分とはちがう。
3年間、とてもしんどかったり、呪いがかかったり破ったり、むやみに顔ちぎるのやめたり、そんな展開をくぐり抜けてきた今の自分。
あれがなかったら、この場所にまた来ても何も感じてなかったかもしれない。
そう思えるだけでもう、なにかあるね!始まりそうだね!と思わずにはいられない。直感でわかる。
やった方がいいことに気づいて、声を上げ始めている自分。
今年の私の得意技「スタンスを取る」が唸りを上げている。
おかげで同志たちを見つけた。
同時に、反発もガンガンある。対立の炎が燃えている。
すばらしい、すでに次のフェーズに進んでる。
対立の炎にとどまることは、人として本当に試される。
逃げ出したい。相手をぶっ潰したい。固まってバカみたくなる。
それをグルグルと毎日いろんなふうに体験してる。
すごく疲れてるし、心細いし、大丈夫なのか、むりかなと絶望気味にもなる。
だけど、なぜだろう、これはやるだろ!って思えて仕方ない。
ちょっとだけ、ムキになってる私がいる。
熱くなってる。熱量がある。
そう、熱量があるんだよ。
こないだまであんなに冷めちゃって「飽きたな」とか言ってたのにさ。私にもまだあったよ、のめり込む力が。
もっと一心不乱に、何か少し見失うほどに、愚かなほどに頭から突っ込みたい気持ちです。
その先に何があるだろう? ぜんぜんわからない。
でも、やり切った先にしか見えない景色が必ずある。
しんどかった経験も、パーソナルコーチング/チームコーチングの学びも、仕事の専門性やコネクションも、なんかここできっと花を開くんじゃないかなあ。
そうあってほしいな。期待してる。
ここまでとっても長い旅をしてきて、そこに飽きたな〜と言ってみたからこそ、今の場所に来れたんだ。おめでとう私!
これから始まる旅は、ムキになる無我夢中の旅であれ。