やりたいことがあるのに始められないのも悪くない、という話
テレワークがメインで、日がな一日自宅にいる日が多い。
運動不足だから昼休みに近所を散歩しよう!気分転換にもなっていいじゃん!
と思って久しいのだけど、一向に出かけない自分がいました。
罪滅ぼしみたいに、猫の額である玄関前の掃き掃除とかしてるんだけど。
おい、散歩はどうしたんだ。
忙しい日でも、食後20分くらいはあるし、それだけあればその辺りをぶらっと回るくらいはできるはず。
頭ではそう思うけど、私という人は散歩に行かないのです。
この時、自分の中で何が起きてるのかを観察。
なんかお二人のこんな会話が聴こえました。
休みたい、ゆっくりしたいと言ってる人がいるみたい。
お分かりいただけただろうか。
「散歩したいマン」と同時に「時間に追われたくないマン」も出番を待っていたのだ。
このことに気づいちゃうと、いろんな思いが湧いてきました。
というわけで、散歩に行けないなあとウジウジしてたところから、だいぶ次元の違う行動を取り始めたのでした。面白いな、改めて。
ちなみに、1月は2日ほど丸々ノープランDAYを予約しておいた。
偶発的にノープランHALF DAYも出たりして、私の中の「時間に追われたくないマン」がシバイヌのように駆け回っていました🐶
何かやりたいと思ってても、先延ばしにしたり、着手できずにいたりすることはきっと誰にでもあります。
なにかが始まらない/やめられないということには、なにかしら聴かれたい声・大事な意味がそこにあるサインなのだと思います。
「やりたいけどやれてないことにはその人らしさが詰まってる」と、私のコーチングの学びの師も言っていました。
自分はそうしたくてしてるわけじゃないのに、そこに何かブレーキを踏んでる存在がいる。
そんなときは、その存在の声に耳をすますという選択肢もある。
そしたら、ど根性で歯を食いしばって何とかやるとか、やらない自分を責めるとかとはまた違った場所にたどり着けるかも。
私は散歩するしないの話から、ノープランDAYを作るというアクションに変わっていったけど、これはロジカルに考えてたら出てこなかった気がします。
私のエピソードで、なかなか進まないことがある人にとって、なにか世界の見え方が変わったらうれしいな〜と思いながらシェアしてみました。