第1話 目が覚めたら、そこは…

1995年2月の上旬の朝方、
自分の運転していた車が、
ガードレールに突っ込む事故をボクは起こす。


原因は、居眠りだった。

実際、その前日は、朝から学校に行き。
その後、夕方からゲームセンターで
深夜12時までアルバイトをして。
それから先輩を車に乗せて
朝まで、クラブでバカ騒ぎをしながら、
踊ったり、女の子に声をかけたりして
遊んでいた。

で、その帰り道の、朝日が昇る頃の
出来事だった。


今から思えば、むちゃくちゃである。

完全に自分を過信していた。



こんな横暴な生活をしていたボクに
神様が
「こいつをこのまま放っておいたら
 何をしでかすか、わからん」
と言って、熱ーーいお灸を据えてやろうと
思ったとしか考えられなかった。


それくらい、当時の自分はラディカルの塊
だった。


事故は、国道から左に曲がった
閑散としてた宅地区域で起こした。



当時、携帯電話がなかったボクがとった行動は、
クラクションを鳴らして自身の存在を知らせ、
助けを呼ぶことだった。

なぜなら、自分の記憶の中で、自分の右脚が
見たこともない曲線に折れ曲がっていたからだ。

それを見て、
太ももを骨折したことが分かったのだと思う。


ただ幸いなことに

顔や頭は、打っていなかった。
また内臓も完全に機能していた。



なので当時、自分を搬送してくれた救急隊員は、
右脚の大腿部(太もも)が骨折していただけの
ように診えたらしい。


だから、消防署から実家の母に電話が入った時、
「息子さんは、命に別状ありませんが…」
と言われた、と後から聞いた。




(ただ、あまりの激痛からなのか。
 それとも、あまりの眠気なのか。
 今となってはハッキリしないが、搬送中に、
 ボクの意識は遠のいていった…)




そして、
搬送された病院は、自分が当時暮らしていた実家から
車で1時間もかかるほど遠くに在る
大学病院の救急救命センターだった。


なぜ、そんな遠くの病院に運ばれたかと言うと、
ヒザの靭帯(じんたい)が潰れていたからだ。
つまり、普通の病院では対処できないくらい
重症だったのである。

ただし、その程度のケガなら、当時の搬送先の
大学病院なら他愛もないことだっただろう。


しかし、この後、
恐ろしい致命的な発見をされるのだが、
この続きは





第2話に⇒続く

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