消えた銅鐸の謎 6
【6】銅鐸の神は今に生きている
さて、最後に私が気になっていることをお話しします。
先ほど、銅鐸の民が自らの神を捨てた、と話しましたが、本当にそう言い切れるでしょうか?
銅鐸そのものはたしかに土中に埋められました。しかし「神は天雲に宿る」という銅鐸の民の思想まで完全に消し去ったとは、私にはどうしても思えないのです。
かつて大場巌雄國學院教授は、銅鐸の出土地をくまなく調べ、 その近くに三輪(ミワ)氏・加茂(カモ)氏に関係の深い神社や地名が36例あると指摘しまし た。
教授によれば、
銅鐸は三輪氏・加茂氏両族のものであるとし、 三輪氏の本拠地は大和三輪、加茂氏の本拠地は大和葛城と結論。
その学説発表後の1996年に、一ヶ所では全国最多39個の銅鐸が島根県加茂(カモ)岩倉遺跡から発見されました。教授の学説をさらに裏付けた形となったのです。
その後、2015年には淡路島で、入れ子状態になった松帆銅鐸が発見され、
なんと最古級の銅鐸である加茂岩倉遺跡のものと、 一部同じ鋳型で作られたものと判明しました。
(ちなみに松帆銅鐸の近くにも、加茂という地名と賀茂神社を見つけました)
ということは、出雲に住んでいた銅鐸の民であるカモ氏やミワ氏が、
紀元前の早い段階から瀬戸内海・大阪湾沿いへも拡散していたと見てとれます。
そして最終的には、両族とも大和に落ち着い たのではないか、と。
さてそうなれば、当然思いつくのは、
ヤマトの中枢・纏向遺跡のすぐ東にそびえる聖地「三輪山」。
三輪氏(美和氏・神氏)はここを本拠にして、三輪山を本殿とする日本最古の神社・大神神社(オオミワ神社)の祭祀をつかさどりました。
大神神社の御祭神はオオモノヌシ神。
実はこの神様は、出雲の神・大国主神の和魂(=分身)と言われているのですが、
大和の中心にいる神がなぜ出雲の神の分身なのか、イマイチわかっていません。
大神神社の公式の御由緒にも
「オオモノヌシ神はすべての精霊(もの=もののけ)を統べる神」
とだけ書かれ、一般には蛇神とも言われているんですが、どういう出自なのかよくわからない。 謎の神なのです。
しかし、もし三輪氏が出雲からやってきた銅鐸族だったとすれば、 話はスッキリと明快になります。
なぜオオモノヌシ神が出雲の大国主神の分身とされたのか?は、
もともと三輪氏の出身が出雲だったので、三輪氏が銅鐸信仰の神を大和へ連れてきたから、と。
そして三輪氏とオオモノヌシ神は、古代天皇家が纒向にやってくる数百年前から、大和に土着するようになっていた、と。
つまりオオモノヌシ神は「天雲に宿る銅鐸の神さま」と解釈できるのです。
これは、日輪神を信仰するヤマト政権にとっては、マズイ存在です。
本当なら纏向建設の際に、排除すべき神でした。
ところが「記紀」によると、
第10代崇神天皇の御代(推定3世紀後半)に大規模な疫病が流行り、人口の半ば失われるという 非常事態に陥った、とあります。
ヤマトの祭祀で疫病を治めようとした天皇でしたが、叶わず、その夜夢に現れたオオモノヌシ神に「我を三輪山に祀れ」と告げられます。 で、そのとおりに社を建て三輪山に祀ったら、立ちどころに疫病は終息し、五穀豊穣の世となった、ということです。
ちなみにそのとき初めて、アマテラス大神はヤマトの宮から外に遷され、今の伊勢神宮に鎮座することになりました。
つまり、おそらくこのときオオモノヌシ神は、ヤマト政権を守護する第一主神に躍り出たのでしょう。
「記紀」では、”神のお告げ”というスピリチァル的な表現をし ていますが、
要はこの疫病は、日照りと乾燥が続き、水が汚染され、不衛生になったせいもあるだろうと私は考えています。 崇神天皇の御代(3世紀後半)の降水量データを見ますと、 雨量が減っています。 つまり、崇神天皇はこのとき
「日輪の神ではなく、雨乞いの神を祀れ」と宣言したのではないでしょうか。
そう、銅鐸の神の復活です。
そう考えたとき、
神社にある、あの「しめ縄」を初めて見たらあなたはどんな印象を受けるでしょう?
まずはヘビを連想する人も多いはず。
ヘビは湿地を好みます。ヘビの出る場所は、稲作に適した良好な湿地帯だというところから、ヘビを縁起のいい”神の使い”と考えたのでしょう。
しかし、しめ縄と紙垂(しで)がワンセットになっているところで、私はこれを
「もくもくと垂れ込める雨雲と稲妻」に見えるのです。
さらに言えば、私たちは知らず知らずこんな言葉も使っています。
「雷(カミナリ)」=神鳴り・神が唸る
「稲妻(イナヅマ)」=稲の妻、すなわち稲が育つのに不可欠な存在
これらは、「豊作のため、神が雲に宿って雨を降らせてくれるのだ」
という発想がなければ、成り立たない言葉です。
いかがだったでしょう?
銅鐸の謎を追いかけてきたら、なんとヤマト建国の謎やオオモノヌシ神の正体にまで触れてしまいました。歴史は常につながっており、たとえ消滅したものであっても、置き去りにされた過去のものではなく、その痕跡は後年に伝わっていきます。
このように私たち現代人は、2000年の時を超えて、
ヤマト政権の神「日輪神」と銅鐸族の神「天雲神」の両方に、手を合わせ願いを託している、 そう言えるのではないでしょうか。
END
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