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私を補う5つの恋愛マンガについて

毎年、その年のベストマンガというのを五作品くらい選ぶ。
オールタイムベストの十作品を選んだこともある。
そういう幾つかのリストを見ていると、どうも恋愛マンガが多い事に気付く。
全体の半分ほどか、それ以上か。
それはなぜなのかなぁと考えていて、やっぱり自分の中の女のコの部分がそういうものを求めるんだろうなぁ…と(東京都・三十代男性)
というのは置いといて、直視するのが大変につらい現実なのだが、生きる上での五大栄養素みたいなことを考えると、まあ夢とかいろいろあると思いますけど、たぶん恋ってのは大抵の人のそれに入ってくるんじゃないですか。
で、それがまるごと欠けているのが私の生なので、補う意味で、そこはサプリで摂っとこうよっていう、それが恋愛マンガなんかな?って少し思ったわけです。
そんなわけなので、今まで読んだ中でとりわけ印象深かった五つの恋愛マンガについて書く。


『愛人 [AI-REN]』 田中ユタカ
病気で余命いくばくもない少年が、孤独を埋め合わせるためにつくられた人造人間の女の子と最後の日々を過ごす。

愛蔵版という形で、辞書のような本が上下巻で出ている。
最初に読んだのは十代半ばのときだったのかな?
まだ全五巻のコミックスのうちの最終巻が出ていなかったように思う。
このマンガはちょっと変わった刊行のされ方をしていて、連載は99年の5月から02年の5月まで。
コミックスも四巻までは順調に出ていたのだが、連載版に大量の加筆修正を加えた最終五巻が出たのが04年の9月となっている。
このあたりの経緯は愛蔵版のあとがきに詳しいが、かいつまんで言うと「ある日突然マンガが描けなくなった」というようなことだ。
『最終兵器彼女』と同時期で、この『愛人』もいわゆる「セカイ系」のひとつとざっくり言えるところがある。『イリヤの空』あたりもそうだけど、このあたりの「セカイ系の終わり」の作品群が揃ってぶつかった課題、困難は、やはり9.11なのではないかと思う。
その困難に向き合いながらこの作品がどういった答えを出したかはここでは触れない。
ただ、このことを書いておきたい。
ここまで苦悩の刻まれた作品というのを、自分は他に見たことがない。
その血の滲むような悩み苦しみの軌跡をなぞることそれ自体が、この作品に触れることのひとつの価値であるように思う。
破局的な暴力を前にして、人を愛することは虚しいか?
表現は無力だろうか?
この『愛人』のあとの『ミミア姫』という作品のあとがきの中に書かれた言葉がずっと印象に残っている。

「『戦車で踏み潰されても殺されないもの』を描きたいです。
『どんなに殺されても消えないもの』を描きたいと願います。」

全人類に読んでほしいなんてさすがに言わないよ(言いたいけど)。
でも、せめて何かを表現しようとする人には、一度は読んでほしいと願う。
「表現すること」それ自体の力に殴られるような読書体験。
それから、だいぶあとになって氏は『初愛』(全三巻)という作品も描いている。
これ、作品としては『愛人』よりも好きだったりするのだが、ただ、『愛人』あってこその作品、ということもあって、ここではこちらをとり上げた。
『愛人』と真逆の、作中の言葉を借りるなら「笑ってしまうくらいありふれた」ことを描いていて、こちらも本当に美しい作品なので、ぜひ。

なんか『愛人』については、どうしても読んでほしいってのもあって無限に書いてしまうんだけど、ここでは最後にもうひとつ、一番好きなシーンのことだけ書かしてください。
主人公のイクルとあいが野外ライヴを観に行くエピソード。
そのバンドは、役目を終えた用済みの人造人間たちのバンドなのだが、そこでやはりパートナーに先立たれたという人造人間の女が歌をうたう。

それは…
とんでもなく悲惨な内容の歌詞だった
育ちの悪いバカな女が苦しく激しい恋におちた
女はそれがただひとつの本物の恋だと信じた
不幸でバカな女だった 苦しいつらい恋だった

それで結局女は相手の男を殺してしまうわけだ。
場面は変わって、こわれた精神のまま刑務所で臨終の際にいる女が、夢を見ている。
自分が殺してしまった男との性交に耽った日々をずっと反芻している。
曲は最後こういう風に幕を閉じる。

清らかな天使たちにだって 胸をはって大声で言えるわ
生まれてきてよかった あたしいましあわせよって

世界が死にたえようと
あなたが死んでしまおうと
あたしが死んでしまおうと
そんなのたいしたことじゃない

そんなのたいしたことじゃない



『恋風』 吉田基已
フラれたばっかの男が、自分もフラれたばっかだという女子高生とたまたま会って話すうち、うっかり涙を見せてしまう。
ただ、その女子高生は実は全然会ったことのない妹だったという話。

脚本家の倉田英之が前にどこかで「『恋風』は家の全ての部屋に一揃いずつ置いてある」みたいなことを言っていた。
私もわりと似たようなところがあり、実家にワンセット、今住んでいる部屋に新装版でワンセット、更に電子版でワンセット所持している。
それほどこの作品が好きだ。
いわゆる「禁断の恋」的な話ではあるのだが、爽やかできらめいている、だから罪深い。

そんな顔するくせに
そんな顔しながら
あきらめようとしないで

「神様はなにも禁止なんかしてない」って歌にあるとおりで、恋しちゃいけないなんて誰が決めたのか、そういう規範以前のプリミティヴな感情、それがすごく眩しいんだよな。これ読んでいると。
心をすり減らすような社会と、その外側にあるイノセンスさによって治療されていくようなことを対置したときに、正しさってどっちにあるの?とも思うし。
淡い色彩、あるいはセピアを感じさせるような、優しくノスタルジックな普遍。
いい意味で文学的なまといというか、飛躍のない描写の積み重ねでドラマを描き出す手法も作品の純粋さをひきたてる。
登場人物たちの、いい意味で華やかさのない、素朴な顔立ちも好きだ。


『ナナとカオル』 甘詰留太
受験勉強の「息抜き」と称して、昔から好きだった幼馴染とソフトSM関係になる。

ああ、SMとかはちょっと、って思うかもだけど、ちょっと待ってほしくて。
何言ってんだって言われそうだが、純愛マンガなんよ、これは。
今日びこんなに大声でクソ真面目に愛を叫んでるやつ、いませんよって。
そもそも甘詰留太が得意としている表現ってこういうもののように思う。
最新作『せふれ』でも顕著なのだが、かなりの外角からストライクゾーンに吸い込まれるような純愛マンガ。
あえてそういう球種を研ぎ澄ませているのは、「愛の形に貴賤はない」ってことを描くためじゃないかと考えている。
読み始めたときに、一巻で衝撃を受けたシーン。
主人公のカオルという男の子が、好きな子を縛るための縄を用意するくだり。
相手の肌を傷つけないために、半日縄煮て陰干しして油染ませて弱火で炙って…みたいなのを延々5頁使って描いているわけ。
たぶん我々は、無意識のうちに、「SMなんか愛ではあり得ない」と考えている。
でもこの描写読まされたらすぐ瓦解するわけよ。そんな偏見は。

わりとどの巻でも一度は泣かされるような感じなのだが、とりわけ好きなのが単行本九巻~十巻にあたるエピソード。
手足の膝と肘から先を拘束して、言葉も喋れなくして、いわゆる犬プレイをするっていう話。
甘詰先生のマンガって、普段は大量のモノローグとセリフで埋め尽くすようなところがあるのだが、ここでは逆に言葉を放棄している。
作家性を締め上げるように制限を加えることで、純粋でストレートな情感が弾けていて。
「犬になる」っていう人間性の放棄と思えるようなことによって、逆説的に人間賛歌を描き出す。
「ね?これは愛でしょ?」っていうその語り口に、いつも自分の下らん色眼鏡はたき落とされながら涙している。


『猫で人魚を釣る話』 菅原亮きん
医者が難病の患者を好きになってしまう話。

難病恋愛ものというベタな題材に、マンガの魔法をありったけかける。
コマを超えてページ全体の上から漫符や擬音が降りかけられる。
コマの接続で空間的距離を乗り越える。
同一空間での異なる時間軸の出来事が同時に展開する。
キャラクター・コマ・吹き出しの配置が連動する。
とにかくトリッキーな表現技法のオンパレードで、画面構成は実にアバンギャルド。
ただそれは実はかなり目的化されている。
時間を描く、時間を描き直すということに向けて。
結局、映画や音楽というものに比べて、マンガ固有のアドバンテージは、時間だけは好きにできるということなのではないかと思う。
物理運動の制約を離れて、内面の、感情の時間で物語を動かす。
それが目指すところは明白だ。描きたいことはひとつだ。
恋していた時間は、永遠なんだ。

なにかこの作品の良さを文章で表現することって無謀な気もしている。
マンガだけに表現し得るものを追求した作品だから。
マンガへのラブレター。

その夜は、
引く波に立つ足の裏の、
砂に埋もれる感触みたいに、
上級者向けのゲレンデの、
コブの向こうの景色のように、
先生の、声の余韻が一晩中、
鳴り止まなくて眠れなかった。


『オトメの帝国』 岸虎次郎
女子高生群像百合マンガ。

終わらない物語が嫌いだ。
惰性のようにズルズルと続いていく長期連載マンガが嫌いだ。
作品は、終わって初めて作品になると思っている。
終わるべきときに終わることが、傑作の条件だと思っている。
基本的に、マンガで五巻を超えて語り続けられるような強度を持った物語なんてほとんど存在していないと思う。
それでも、どうかいつまでも終わらないでほしいと願っている作品がひとつだけある。

岸先生のマンガが昔から好きで、この作品も読み始めた。
初期は(言葉が悪いけど)ちょっと下品なお色気コメディ路線がしばらく続く。
二巻、三巻と巻を重ねるうちに、ムードが変わってくる。
そこで描き出されるシンプルなこと。

人の言葉で恐縮なのだが、

ありふれた様相でありながら、どのエピソードにも崇高とさえいえる美しい一瞬が存在するのが見どころだ。

このマンガが描いているものって、結局のところこれに尽きるように思う。
別の言い方なら、『フォレスト・ガンプ』の有名なセリフにもあるそれ。
「奇跡は毎日起きている」。
無限に繰り返すありふれた風景のかけがえのない美しさ。
そこに君がいるからだ。
そのことを、手を変え品を変え、何度でも何度でも描き出すから、それをもって、このマンガは恋愛マンガなのだと思う。

何か良いセリフを引用しようとすると気付くのが、このマンガってあまりキメゼリフめいたものはなかったりする。
ただ、何でもないセリフがすごい。
「昨日Mステ見た?」
というようなセリフから立ち上がる情感の豊潤さ。
毛づくろい的な当たり前の言葉と胸の奥の秘密が、絶妙な緊張感で結ばれる。
終わらない作品は嫌いだ。
でもこの日常は、永遠に続いてほしいとも思っている。



てな感じで五作品について書いてみた。
他に『きみといると』かがみふみを、『こはるの日々』 大城ようこう あたりはかなり迷った作品。
恋愛マンガ縛りつけなければ、『ちーちゃんはちょっと足りない』 阿部共実、『トライガン・マキシマム』内藤泰弘、『キャッチャー・イン・ザ・ライム』 背川昇 あたりについて書いていたかもしれない。



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