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The Dead C 『Trouble』 (旧ブログより転載 2016.9.7)

ビートルズの『1』というベスト盤がある。
これ、出た当時の00年頃に非常によく聴いていたのだけど、その00年というのはビートルズの解散から30年の節目なのだね。

このジャケは誰でも見たことあるんじゃないかな。


で、ビートルズの国イギリスの植民地であった(今でも紙幣にはエリザベス女王が描かれている)ニュージーランドのバンド、The Dead C ザ・デッド・Cが結成30周年の今年に発表したアルバムがこちら。

ビートルズの『1』は79分越えの内容だけど、こちらデッドCの『Trouble』は83分ある。"One"、"Two"、"Three"、そして"Five"、最後に"Four"の5曲入り。

デッドCは徹底したアイロニストだ。
ビートルズは世界にロックを届けたオリジネイターのひとつかもしれないが、デッドCの音楽はその真逆のものだ。
僕にはこう聴こえる。
ロックは死んだ?いいね、ならそいつで死姦が楽しめそうだ。


ただ弛緩した砂嵐のようなハウリング、低域で輪郭もなく唸るだけのギター、濁りぼやけた黒雲のサウンドテクスチャ、極端に右に寄った明らかにおかしな場所で他の音と絶望的に無関係なビートを勝手に刻むドラムス。それらのパーツはかつてロックの一部として踊っていたものが、いま腐り落ちた身体でズルズルと這い回っている、そんな調子。
そして、無意味で音律もなくリズムも持たず他の音に埋もれ何を言ってるかもまるで聴き取れない気味の悪い歌…歌?ちょっと意味が分からないのだが、これ聴きながら今鼻とクシャミが止まらなくなっている。涙が出てくる。"One"。
恐るべきはやはり、このどこにも向かわない、ただ虚無の中にわだかまる、病んで壊れて腐った演奏、これが20分続くことだ。
でもって、前作『Armed Courage』ではそれに2セット耐えれば終わったが、今回は倍の4セットある。耐えられるか?

"Two"ではドロッドロに融解したギターが微妙にリフを組み立てるような素振りも見せ、ドラムも一瞬追随する様子を覗かせるが、後半に行くにつれロック的なカタルシスから遠く離れてひたすらミニマルに暗く沈んでいく展開にうんざりさせられる。
"Three"はほぼ意味不明なノイズ。轟音というのでもなく、垂れ流しの吐瀉物のような汚い音にはただ不快な気分になる。
"Five"は支離滅裂な聴けたもんじゃないジャムで、バンドの中心Bruce Russell ブルース・ラッセルは最近のインタビューで「おれはジミ・ヘンドリ『クズ』だ("I think of myself as the Jimi Hendrix of no technique.")」と言っているが、その通りの、ただギターに火を付けて喜ぶような音楽サイコパスのなれの果てと思しき人柄を思わせる演奏。音楽で何を表現したいのか?誰に伝えたいのか?どこを目指すのか?まったく音の向こうに見えるものがない。
No。No。No。Nothing。
この音にあるものはそれだけだ。

最後に申し訳気味に添えられた5分間の演奏"Four"。
これが最もふざけている。なんだこれは。キレそうだ。
何が鳴っているかは聴いてのお楽しみということにしておくけど、最後の最後にこういうものを、
事もなげに、それも一瞬見せてくることが、リスナーを侮辱しているとしか思えない。
だったら最初っからそれをやれ、バカ。

ここまで書けば解ってもらえたと思うけど(僕はこの人達のような皮肉屋ではないので本当に裏表なく素直に言うが)、30年の活動の集大成と呼ぶに相応しい掛け値なしの傑作。精神をズタズタに攪拌せしめるノイズロックの…いや、ロックというものの、反作用的な、逆位相の、到達地点。誰にも望まれなかった子どもの産声。
本当に本当に素晴らしい。この人達の音を生で引っ被る機会があったら間違いなくボロボロに泣いてしまうだろうな。

デッドCで即興ダンスしてる人いて意味分からなすぎてヤバい

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