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世の中はなかなか

望んだとおりには事が運ばない。でも、だいたい思ったとおりには帰結する。少なくとも私の人生はそうだった。

自制できているときでもそうでなくても、そうすることしかできなかったのが自分の限界で、よほど事故みたいな状況でもない限り、原因と結果に疑問を持つことがあまりない。

やってしまった、と思ったときにはもうそれは過去だ。事後にならないと後悔なんてできないわけだし、そして後悔したところで現実が改変されるわけでもない。東リベを読んでたとき、いくらタイムリープしてもヒナちゃんを救えないのを見てて、そういうもんだよ、と思っていた。

1つの選択しかできない以上、その選択範囲と精度を上げるほかない。要するに失敗を糧に何を学ぶかというありふれた真理にたどり着く。あとは、ゲームから降りない、ってことくらいか。

頑張っても頑張っても、上手くいかない。精いっぱいやっても、心を込めても、実らない。簡単な話で、その頑張り方が間違っているのだ。努力も熱量も、求められているものと食い違ってしまえば、ただのお仕着せにしかならない。そして、そんな簡単なことを見誤るのが、自分の限界。

そうはいっても、失意は残る。すくい取ろうとしたもの、掴みかけたもののの手応えだけが残り、温度と重さを感じられる実体はなにもない。仕事にしろ人間関係にしろ、そういう失意は、なるべく早くパンパンと手を叩いて払い落としたほうがいい。

同じステージにしろ別のステージにしろ、挽回したり挑戦したりするとき、失意は枷にしかならない。それもわかってはいるけれど、振り払い切れなかったホコリが幾層にも重なって、地肌が見えなくなっていく。

じゃあゲームから降りよう。そんなときに限って新作がローンチされたりするのが、非情な世の中のお決まりパターンだ。やれやれ。R18の入り口の先に、R40とかの出口を設けてほしいのに。まだなにかやれるはずだ、これまでの自分にも意味はあるはずだ。

この発想だけで私が動いていたとしたら、そりゃ老害ってやつだよな、たぶん。戦いたいならアップデートしないとな。今は昨日じゃなくて明日だということ、信じるだけなのさーと岸田繁も歌っている。


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