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『気を使う』と『波動を出す』の違い

目上に気に入られる人は「気使い」が上手い

私は上司や先輩から気に入られることが多い人生です。
その一端を担っているのは『気』が使えることにあります。

家族の中で一番下のポジションだったので
『気』を使うのがとにかく得意なのですが
母親から譲ってもらったものだということを理解する出来事がありました。

母は隣人や親せき、身内にも気を使える『気使い』の達人です。
母が適当に人に接しているところをみたことがありません。

先日も隣人の庭からバナナの木がこちらに向かってはみ出しているのだが
それをどのタイミングでどうやって伝えるべきだろうかと悩んでいました。
母の悩む場面をみているとそういった相手を慮る場面が多いのです。

ずっと幼い頃からそれを見ていた私は
『気を使う』ことが自然と身についていることに気がつきました。

少し補足で『気を使う』と『気を遣う』について書いておきます。
少しだけニュアンスが違うようですが、相手を思いやる点では同じです。

「気を使う」は主に、特定の状況や相手に対して必要な行動や言葉を適切に選ぶことを表す。これは、具体的な行動が求められる場面で用いられることが多い。一方「気を遣う」は、他人の気持ちや状態に配慮するという感じで使用され、周囲への気配りや思いやりが含まれる。

「気を使う」と「気を遣う」の違いは?

私はこれをずっと自分の短所だと思っていました。なんてもったいない!
一見すると『気が使える人』は優しくみられたり、弱くみられがちです。
しかし、相手のことも自分のことも冷静にみれていないと『気を遣う』ことはできません。

陰陽では『』の部分にあたるのではないだろうかと感じます。

自分の意見を押し通す力は「波動」を使うのが上手い

私は頑固な部分もあるのですが、それは明らかに父親譲りです。
父は何事もやり遂げる能力に長けていました。

その強引さがときにトラブルを起こすこともありますが、
実行力に関してはピカいちだったと記憶しています。

仕事をしていると父のそういった頑固な部分がでてくるときがあります。

これは陰陽では『』の部分にあたるのではないだろうかと感じます。


極陰と極陽を乗りこなす

人は必ずどちらも自分の中に持って生まれてきていると感じます。
『陽』が強くなれば『陰』も増します。
憧れが強くなればなるほど、好きになればなるほど憎くなる。
そういった現象もここからおきているのではないかと考えます。

生きていることが楽しすぎると『死』が怖くなるのと似ています。
生きているのが素晴らしいなんて思わない若者が安易に危ないことしてしまうのは大人よりふり幅が少なくて命が軽いのではないだろうかと感じます。
逆に、大人は重くなりすぎて恐怖で動けなくなる場合もある。

大事なことは『陰陽』でつくられたこの世界を偶には俯瞰して
今自分にはどれが必要だろうか?と判断することなのではないでしょうか。
もしくは自分の性質を生かして生きていくという方が正解かもしれません。

またひとつ実験してみたいことが増えて嬉しかったのでnoteに書いてみました。最後までお読み頂いてありがとうございました。

最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!