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絶望の先にあるもの

OnlyUPという
ゲームが流行っている

ひたすら上に登るだけ


人間は何かに
縋(すが)って生きている

このゲームは
「地面に立てる」という
この地球上にいる生物が
もれなく縋っている
その「縋り」を一蹴する

つまり足場をなくして
精神を不安定にさせるのだ

(あと進行度がわからないのが
絶妙にストレスかかる)

似たようなものに
バイオハザードがある

固定カメラ視点

このゲームは
視点を通常通り
変えれないことにより
「不安定さ」を
演出している

ホラー映画や宗教は
人間の縋りを無くす事を
重要視している

暗闇で視界を奪ったり
吐息で距離感を奪ったり
見えないものが見えたり
世界は終わるとか

布団の中が
安全だという概念を壊すために
布団の中から出てきたりする

そう考えると
不安の種は
逆に『自分は何に縋っているのか』
という解答にもなり得る

不安は克服したのではなく
それを認知したかどうか
ということになる

不安になってしまうのは
肉体の生理現象なので仕方ない

ただ、それを恐怖のまま受け取るか
認知しながら受け取るかで
感情は大きく左右される

認知が広がると
安心感は増えるが

ドラマチックな事を
体験できなくなる

「小説は現実より奇なり」
という言葉があるように
人が考えた物語には限界がある

私は「時間を守れる」
というものに縋っていた

だから体調が悪かったり
タイミングが悪くなって
「時間を守れない」と
ものすごく情緒不安定になる

誰かは言う
"確かなもの
何ひとつ無い"と

それはそうだが
パターンはあるだろ
と考えるのが
ゲーマーの思考なのかもしれない

最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!