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豪速球の愛を受け取った話。愛は野球の球種くらい形が変化する。

自己対話を進めていくと、自分の「闇」(と思っているもの)に触れることが多い。闇は自己否定を繰り返す。これは「心配性のオトン」が脳の中にいて、身を案ずるがあまり行動させないという思考回路を引っ張ってくるらしい。

私たちは地球に生まれてから、不安定な環境で過ごすことが多かった。今でこそライフラインがある程度整っているのだけれど、狩猟時代に身につけたサバイバル能力もまだ機能として脳の中に備わっている。

私はゲームをやるのでよくわかるのだけれど、生き残りをかけて戦うバトルロイヤルという形式はサバイバル能力がかなり試される。 神経質な人ほどこのルールの元だと上手く生き残れる。相手の位置や能力を把握して「勝てるかどうか」を判断する。戦うだけではなく、ときには身を潜めたり、気づかれないように目的地まで走り抜けることもある。

つまりこの不安を感じる機能は、人間である以上全ての人に備わっている機能だ。この「生存本能」をうまく利用しているのが広告やニュースであり、宗教であり、教育や政治だ。

少し話がそれるが、広告と宗教は共通点があると感じる。それは「横」というものをかなり意識しているということだ。
政治や教育は基本的に上から情報を下ろしてくるという形で「縦」で成り立っている。これは確実な方法を伝える為だと推測できる。
一方で「横」は自由な反面、情報の質に差が出やすい。身も蓋もない事実が真実のように流布してしまうこともある。無駄に生存本能を煽ってしまうこともあるのだ。

しかし、この世界は愛で出来ている。この不安を煽るのは「生存本能を呼び起こせ」と言っているのだろうと思う。君には生きてきた歴史がある。頑張って耐えた歴史がある。その事を思い出して!とオカンは私たちにオトンを通じて不安を与える。とにかく、生きている実感が湧くようにあの手この手で不安を生み出している。まるで野球の変化球のようにカーブしてきたり、ボール球になったり、たまにデッドボールを投げてくる。コントロールのいいオカンはまっすぐストレートで投げてくるが、それも体調によって変わってくるのだと思う。

オカンは愛に気づいて欲しくてずっと球を投げ続ける。人間の生存本能は愛という剛速球をもらい続けていると言い換えてもいいだろう。『不安』とラベリングしているのは自分の中のオトン(社会性)だ。不安というものもラベルをはがしてしまえばエネルギーそのもの。これも生きるのに必要なものだ。不安を感じる力が強い人は生きるのびるのに最も適しているといって過言ではない。

不安を感じたら『愛を受け取る』と決めて、エネルギーだけもらえば結果オーライということだ。オトンは言葉という一定のルールの中にいるため、オカンからのエネルギーを不安としてラベリングしている場合があり、その場合『否定』と翻訳してしまうことがある。これが闇の正体である。

これ以上簡単には説明できない!!!(笑)


最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!