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お洒落するのに抵抗がありすぎることに気がついた話。

美容室で髪を切ったけれど

今月頭に数年ぶりに美容室に行きました。「センスええで」といわんばかりの美容師さんばかりの中、えいやっ!と飛び込みました。

切ってもらってブローしてもらったあとに「あれ?この髪型似合ってなくね?」と悩んでしまいました。美容室に行く前は自分で適当に染めた髪型に満足していたのに、プロにやって貰ったはずの髪型はなんか気に食わない。

これは一体なんだろう?と思い、検索をかけてみることに。自分と似合わなさ過ぎて鬱になった人もいるとかいないとか。それくらい髪型はメンタルに直結してると感じました。

サブカル女子の憂鬱

「じゃ、自分が変だと思うのも普通か」
と考えたあとに「もしかしたらお洒落にブロックがあるのでは?」と考えました。

サブカル女子だったので変な服は着れるけど(イギリス国旗のパーカーとか)お洒落な服って着てもすぐ脱ぎたくなる衝動に駆られます。
いい生地のやつとかすぐに脱ぎたくなるのです。どんだけ野生児?オオカミ少女ですか?

ディズニープリンセスのドレス?何それ美味しいの?状態の私にはオシャレ(というか無難)髪型な自分に慣れてないのではないだろうかと感じたのです。

「これが習慣ってやつか」と思わず戦きました。自分のコンフォートゾーンから抜けるときって鬱っぽくなります。安全圏から抜けてデンジャラスゾーン(別に命には関わらないけど)に行く時にいったんグーンとメンタルが下がるんです。これはもう経験済みなのでだいぶ俯瞰してみれるようになってきました。

案の定、ブーメラン

周りに洒落たフレンズもいないし、昔いたときは「なんでそんなにお洒落するの?」とその人に思ってた言葉が自分にブーメランで返ってきてるわけです。

そりゃ痛いよ。あんなに否定したことを自分でやろうとしてるんだから。「人は見た目じゃない」とか「中身があればいい」とかそんな事を無意識に言っていたんだろうと思おます。それって、自分に甘えてない?オシャレステージじゃ勝てないからって押さえつけてない?と自分に問うてみたのです。

繊細さとはかけ離れた性格

服の扱いはかなり繊細さが要求されます。ずぼらすぎる私は繊細な服にイライラしてしまう。ブランド品の物にもイライラして、プレゼントでもらっても売ってしまったこともあります。

ズボラというかパワーイズジャスティス!という世界観で生まれ育ってしまったのでもしかしたらこれは曲げられない運命の可能性も残しつつ、お洒落を楽しむとはなんぞや?と言うことをしばらくやってみてもいいなと感じました。

お洒落って生活感を無くすって事ですが、そんなこと田舎っぺっぺの私に可能なのかしら。

唐突に思い出すトラウマ

あ、今、書いてて思い出した。20代のころの彼氏が兎に角お洒落な人で部屋も周りにいる人もオシャレだったけど、最終的に浮気していてどうしようもなく逃げ出した経験があるからトラウマなのかもしれない。その人には服も髪型も指定されていて、たしかに周りからは「可愛くなったね」と言われたものの逃げ出したくて仕方なかった。そんな評価はいらなかった。彼は私に何か投影してる気がして嫌だった。私はスクリーンじゃねぇよ、実態のある人間だよ。そんな風に感じたんだと思う。

セルフイメージとの乖離

セルフイメージと見た目がズレてるってこんなにもストレスなのか。LGBTQの人のストレスが計り知れない。そりゃホルモン剤打っても自分のセルフイメージと合わせたくなるよな。髪型ですらこんな憂鬱になるんだから。

そんな訳で、結局自分の中身には嘘がつけないというオチになったのでした。さようなら、お洒落!!また来世で会いましょう!!
(あーあ千円カットにいくかな)✂️

最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!