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〈ゼロ〉地点の重要性

前回、幸運と不運について書きました。この世界はコントラスト。幸運も反転すれば不運、不運も反転すれば幸運になります。


苦手、不快を捉え直すと欲しいものが理解出来る


例えば、私は美容室に通うのが苦手です。なぜ苦手なのかを考えた結果、ヘアスタイルという存在は承認欲求を争う競争的な部分と自己肯定を満たすアーティスティックな部分の両方を兼ね備えているもののうち、競争的部分が露見しやすいものだろうと言うことがわかりました。

ホットペッパーというものがあるので点数が高い方がよい。お客さまの注文通りにしなければならない⇒芸術性が損なわれるというような感じなのではないかと思います。

芸術性とはつまり〈主観的解釈〉なのですがサービス業の結果、美容師からの提案は殆どできない状態なのが現状だと思います。
そして、そこからどうしたらいいのかを問い始めるとこういう記事に出会して〈自分なりの解〉を導き出すことが出来ます。

この記事の中では〈ヘアスタイルはキャラクター要素が多大に含まれている〉〈信頼出来る美容師さんを探すのは恋人探しのようなもの〉と、相性がいかに重要かそしてそれを探す手立てまで見つけることができました。
実は〈主観的〉な部分が一致している事がとても大切な訳です。

私が今まで仕上がりがいいと思ったのは実は千円カットでした。昔でいう床屋さん💈✂のような〈形〉がビシッと仕上がるあの感じが、私にはとても気持ちいいのです。ヘアアレンジとかしたくない人からするとこっちの方がより自分の主観に沿っているという事になります。

本来、ホットペッパーのような仲介媒体は点数や口コミなどではなく〈どうすればパーソナライズされるか?〉という点から構成しなければならないのかもしれません。

いきなりマイナスからプラスにいくのは無理すぎる

マイナス(不快)な状態からガッと切り替えができる装置が人間の脳内には備わっていません。電気ならオン/オフがパチッとできますが、人間はできないので一度〈ゼロ地点〉に入る必要があります。

ゼロ地点とは〈快/不快〉というものが存在しない世界、つまり物質的視点です。一番物質的なものは肉体であり、この地球という星。
〈肉体を鍛える〉〈自然と調和する〉〈瞑想する〉というのは物質的視点にたつことでフラットなゼロ状態をつくるということです。

このフラット状態はあくまでコントラストを体験する為に必要なだけで、フラット状態だけが手に入ればいいというわけではありません。(それはもはや死んでいる状態と同じ)

マイナスに進んでいる船を方向転換させるときに港に止まった方が前を向くのにスムーズに行ける為に存在しています。

〈命〉という船に乗る我々は〈感情〉というコンパスが指し示す方角へと真っ直ぐ進みます。そして、その不快な感情から快の感情へと方向転換するのに〈港〉というゼロ地点を作ってスムーズに方向転換させる事ができるのです。

〈オーバーソウル〉という考え方を知ってゼロ地点をつくる

古今東西、色んな人が同じような事をいうのはなぜでしょうか?それは人間の魂は本来ひとつだからです。

アカシックレコード(宇宙の図書館)と同じでそこには全ての人類の英智が格納されています。ここにアクセスすれば情報が入っているので同じものが見ることができますが(というか無意識下ではアクセスを常にしていますが)人間は生きている以上バイアスが必ず入るので「解釈」や「伝え方」が少しずつ変わります。

つまり、人が思いつくことはある意味全て〈正しい〉わけで、バイアスのかかり方が真反対の人ほど〈悪者〉に見えてしまっているだけなのです。

私の場合は承認欲求による比較競争が大嫌いなバイアスが入っているので、そういう人が人生の中で〈悪役〉として登場してくれます。忘れそうになると思い出して!と出てきてくれるわけです。そして、大抵悪役は刺激的な存在なのでまちがって恋に落ちたりします。笑えます。

この、全ての人の根源の名前を〈オーバーソウル〉や〈ソース〉、〈愛〉と呼ぶことが多いようです。※愛という言葉は使われすぎていて胡散臭いので敢えてオーバーソウルという言葉を採用していますが解釈は全く同じです。

オーバーソウルには存在そのものを全肯定するという、ある意味〈圧倒的な承認欲求〉を手に入れることができるので比較競争のラットレースに入る必要がなくなります。

よくわからない自信がある人はオーバーソウルに繋がる存在なんだという許可が自分に降りている状態なのです。人間の作ったラットレースからみれば変な人扱いされること請け合いです。そして、一度オーバーソウルを認めた人もその中にいると自分の思考もだんだんとラットレースに慣れてきて刺激がないといけないと思い込むようになるのです。

比較競争するなら圧倒的承認欲求を満たしてから

承認欲求が悪い訳ではありません。中途半端に欲しがるとラットレースに巻き込まれて濁流の中溺れること水の如しというだけです。

100%の承認欲求を満たしたあとにラットレースに参加して適当に楽しむくらいでちょうどいいのです。余裕のある人はラットレースに参加がてらオーバーソウルへ導くのもいいのかもしれません。(ガイドと呼ばれる存在)

人間がつくるラットレースは宇宙の完璧な仕組みに比べれば全て遊びです。しかし、私たちは遊びを楽しみに地球にきているのでたくさん遊べばいいのです。楽しく遊ぶ為には〈圧倒的承認欲求〉を満たしてからの方が楽しいよという事なのです。

人生は楽しんだもの勝ちという言葉の気持ち悪さ

私がとても嫌いな言葉に〈人生は楽しんだもの勝ち〉という言葉があります。圧倒的に不快です。不快ということを口にするのも嫌なほど不快です。

それは本当の楽しさというものは〈圧倒的承認欲求〉を満たしたあとにくるものであって、楽しいから承認欲求を満たせますよと意図しているこの言葉を信じてしまうと、楽しまない自分はダメだという罪悪感だとか楽しまなきゃという義務感に襲われたりします。

それは否定のエネルギーなので感情が下振れしやすい状態であってフラットに戻ることがとても大変になります。この言葉でオーバーソウルから切り離されてしまった人はたくさんいるんじゃないかなと感じてとても嫌いです。

楽しむ前にまずゼロ地点にたつこと。勝った負けたはオマケ。という感覚を忘れがちなので大切にしましょう。いや、忘れても私が何度も提案します。宇宙はずっと私たちに愛しか流していないのだから。私は宇宙くらいの愛を扱える人になりたいのかもしれません。(夢のまた夢)



最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!