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究極のストレス発散方法

双極性障害(躁鬱)からの復活

私は仕事のストレスで双極性障害を発症しました。

そのとき、治療するにあたって肉体に重きを置いていました。
心とは脳であり、肉体として治せるものだという認識だったからです。

しかし、まったく逆だったのです。結論から言うと
肉体というのは見えない心を物質化して見せるためのスクリーン
という理論に至ったのです。

肉体のみにアプローチしているのときは
あくまでスクリーンに映し出された汚れを消しているようにみえるだけで
心という映写機が汚れを映し出す限り消えることはないのです。

病気になったときのこと

病気になってしまったときのことを思い返してみると
世の中の人間全員が敵、全員コロスか自分が死ヌ
というような端的な思考でした

これはどちらも深いところでは同じことなので
24時間自分を責め続けている状態です

そして体はそれに反応するように色んな部分を破壊し始めました
自律神経が壊れ、消化器官が壊れ、脳が混線し始める
そしてやがて起き上がれなくなってしまっていました

わずかな希望

私が死なずに済んだのは本を読んでいて
今は存在しないけれど好きな人間が数人いたことでした。

中島らも、やなせたかし、ニーチェなど
彼らはいずれも人間の罪の意識と向き合い自分を許してきた人です。

中毒症の自分、正義を疑う自分、神を疑う自分・・
わたしがわたしのなかで嫌いだったところを好きにさせてくれた人。

少なくともこういう人がいたからこそなんとか生きていました。

それから当時聴いていたamazarashi、椎名林檎、竹原ピストル・・
死地をさ迷っている人への歌を歌い続けるすごいアーティストの手により
なんとかこの世界に希望を持っていました。

選んでいたのは私なので、私は生きたかったんです。 
自分が嫌いすぎて生きていていいのだろうかと
自分を責め続ける気持ちが
本心より大きくなりすぎてしまっていたのでした。


究極のストレス発散方法『嫌い』と向き合う

わたしはどこでも基本いい子ちゃんで問題を起こさないタイプでした。
なぜならいい子じゃない自分が嫌いだったからです。
本心では嫌いなひとはたくさんいるのにひた隠しにしていました。

『誰かを悪いというのはとても難しい』という歌詞が
東京事変の透明人間という曲にあるのですが、まさにそんな感じ。

でも、それって嘘だったと気が付いたのです。
何を当たり前なと思うかもしれませんが、いい子すぎると忘れてるんです。
薬も過ぎると毒となるとは正にこの事。

私はとにかく嫌いな人の特徴を書き出し始めました。
・嘘をつく人
・人のいう事をききすぎる人
・利己的な人
・感情的な人
・なんでも笑い話にしてしまう人 

しかしこれは、自分の中にも隠しもっているものなのです。
なぜなら持ってないとそもそも認識できせん

よく自己啓発では逆のことをするといいということもありますが
(もちろんそれも素晴らしい自分の一部なので大切です)
結局ここを丸ごと受け入れないと成長できないんだと身に沁みました。

許すこと

相手の嫌いな部分は自分の中にも経験としてあるものです。

嫌いの一つずつを取り出して自分がその嫌いなことを行っているシーンはないか?ということを丁寧に思い出してみると、過去の色々な出来事があふれ出してきました。

例えば、感情的な人が嫌いというのは
親に対して感情的になる自分を嫌いだと自己認識している。

また、嘘をつく人が嫌いというのも、
友達にいいたい事があっても適当な嘘で誤魔化してる自分が嫌いという
自己認識があることに気がつきました。

文字にしてみると非常に単純な構造ですが
答えが自分の中にしかなく、かなり自分に集中しないと導きだせません

自分に集中する方法

私たちは知らぬ間に色んな人の影響を受けています。
SNSをみれば他人の思考がのぞけるので広告以上に影響されています。
戦地の映像や罵詈雑言を無視できないSNSは思考の坩堝・・蟻地獄です。

いきなり切るのは難しかったので
・ノートに書きだしまくる
・オフラインのゲームをする
・SNSで情報をとらない
 ということを続けました。

ここで大事なことがたくさん、たくさん許すということです。

もし自分がボスなら何をしたら昇格させるか?

もう一つのきっかけがイギリスのセラピストさんの動画でみたこの質問に
『もし自分がボスなら、もっと許すことをしたら昇格させる』という答えが出てきたのです。自分でも意外すぎて驚きました。

許したら体調がよくなってきた

許すという言葉は抽象的すぎて腑に落ちていませんでしたが
嫌いを減らす作業』だと気づき、許しまくった結果、
勝手に体が夜眠くなり、早寝早起きになりました。
あんなに自分は夜型人間だと思い込んでいたのに信じられませんでした。

自律神経も整ってきたのか頭痛もありません。
食事も勝手に体によさそうなものを選ぶようになりました。

全部『心から』だったんだと気がつきました。
病は気から、いや心からということを体感する日々です。

そこに愛はあった

この記事を書いている私は私のことが大好きです。
本当に心から自分を尊敬して愛することができています

嫌いな人に出くわすとありがとうとすら思うようになりました。
病気を通して自分を愛することができるようになりました。

気がづけばそこに愛があったのでした。

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