すぐ影響されるよね。

価値観の凝り固まった人間にはなりたくないし、新たな発見を見つけることは自分自身の新陳代謝をする上で必要なことだと思っている。そのために小説や記事、エッセイなど、触れたものから得たことを誰かに言語化して伝えることを中学生の頃からよくしてきた。

あれは最近見たYouTubeの話をしていた時だったか、高校生のある時、部活で同級生の女子から「あんたって、すぐ影響されるよね」と言われた。その瞬間、背筋がぞわぞわとし、体が気持ちの悪い熱さに包まれていく感覚があった。要は「なんか、めちゃくちゃ恥ずかしかった」のである。

色んな価値観を吸収し、様々な物事に関して関心を持つことはカッコいいことだと思い込んでいたけれど、他人からしたら「周りに流されやすい芯のないミーハー人間」でしかないのかもしれない、そう思った。それから数年間、自分の好きなものを面白いと思ったものを語るのが少し怖くなった。しかし、今考えれば、その言葉によって物の見方に良い変化をもたらしたのかもしれない。

誰かに何かを語ることは少なくなったが、色々なものに関心を向けることはやめなかった。その中で、今までよりも、一歩引いて何が面白いのか、何から何を感じ取ったのかを冷静に見るようになった。影響されることは何も恥ずかしいことではないと思っている。だけど、「自分はどう見たのか」という視点を持てていなかったのではないかと感じた。

○○の何が面白かったのか、○○がどういうものだったのかというあらすじだけではなくて、自分はどういうところに興味を持って、どういうところから何を得たのかという視点があれば、世の中のどんなエンターテインメントでも何かを得られるし、楽しんで見られると思う。

これからも好きなだけ影響を受けていきたい。人の優しさや思いやり、苦悩や葛藤に至るまでビンビンに感性を磨いて、自分で自分を面白いと思い続けたい。



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