土産話(11月エッセイ②)
人への差し入れやお土産を渡すということに苦手意識がある。まずお金がかかる。
高校生の時に、部活の同期の誕生日をみんなでお金を出して祝おうという話が自分の知らないところで進んでいた。お菓子リュックという当時流行っていたものを作るために「ひとり500円徴収します」と言われた。誕生日の2日前に急に言われても、月のお小遣いが2000円だったのでしばらく渋った。
最終的には支払ったけど、勝手に決められたことにお金を取られるのには納得はしていなかった。人のために何かすることは不条理にお金を奪われるものという歪んだ認識がこびりついた。自分の器の小ささがみじめだった。
旅行先でお土産屋さんに行って、渡すものを吟味している時に『これって毎回やらないといけないのかな』と思った。誰から誰まで渡せばいいか分からないし、わざわざ買ったのに自分のお土産が最後まで残り続けているイメージがなんとなく過る。
たまに、とりあえず大容量で安くてその地方にちなんでいるかもよく分からない品物をお土産として渡している人を見る。いざ自分が渡す側になった時に、あからさまにやる気がないお土産と思われたらと思う。
飲食店でアルバイトをしていた時、エリアマネージャーから「お土産を渡す意味って理解してる?」と聞かれた。「“休んで仕事に穴を空けてすみません”っていう意味だからね。みんなはどこか旅行に行ったからとりあえず買っていくっていう認識だと思うけど。」
その時に土日とか周りと同じ休みの中で旅行に行く分にはお土産は必要ないということを知って勉強になった。今までお土産を買わないことに後ろめたさを感じていたけれど、買わなくてもいいタイミングがあることを知ることができて随分と生きやすくなった。
知り合いとライブを見に行く約束をしていた。その当日、地方から自分が飛行機で帰ってくるため、開場時間ギリギリに到着する予定になってしまった。 一緒に行く相手にわざわざチケットを取って貰っているのに、自分の都合で開場時間に間に合わない可能性があるのは申し訳なかった。この気持ちにどのように折り合いをつけるべきか悩んだ。
帰りの空港で博多通りもんを買った。貸しを作る、これで許してほしいということではない。私はあなたに対して謝罪の気持ちがある、つまり誠意があるという見せることでしかないし、それで何かが解決するわけでは決してないけれど、渡してみようと思った。
自分が人に何かを渡すということに初めて気持ちが乗っかった瞬間であったように思う。
また別の機会に旅行先で普段お世話になっている人たちに向けて何か買っていこうと思った。試食して美味しかったきな粉のまぶされた和菓子を購入した。個包装だし、持ち帰りもしやすいので選んだ。
渡した時に「これって粉こぼれるやつ?」と聞かれた。よく見ると、個包装とはいえ、紙で包まれたものだったから、カバンの中で激しく動いたら中身を汚す可能性があった。試食の時、包装の状態までは見ていなくて気づかなかった。
渡して困らないものを選ぶセンスはまだなかった。
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