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アジサイの季節

紫陽花の季節、それは去年、私が人生で初めての出産をした季節。でもそれは、悲しい出産だった。

妊娠発覚

4月に妊娠がわかり、その発覚時、長期の出張中だったのと、全く予期していない出来事で、びっくりしたというのが一番出会ったものの、嬉しいのと不思議な気持ちでいっぱいだった。

つわりから、妊娠が発覚し、出張先で産婦人科へ行き、2週間後にまた来てくださいと言われた。

全ての匂いに敏感になり、疲弊しながらも業務をこなし、でも頭の中はすでに赤ちゃんのことでいっぱい!

三つ子の自然妊娠

それから2週間後の内診で、赤ちゃんの無事も確認され、内診も終わりかけのところ、先生が「ん?ちょっと待ってください。あ、2人いますね…!……いや、3人だ。珍しいですね〜〜〜いやぁこれは。」
びっくりしすぎて、まず泣いた。
なぜだか双子かなぁと予期していたものの、三つ子とは想像がつかなかった。

先ず、自分の人生で妊娠・出産を想像したことがなかったところで、三つ子を妊娠した…!
でも、嬉しかった。その後、色んな人に大変だよ、大変だよ、と、どんなに騒がれようと、嬉しかった。愛する人の子供が一気に3人も!

それから、頭の中は三つ子のことでいっぱい、自分の中に3つの命があって、自分のも合わせたら4つ命があるなんて、神聖で不思議で、なんとも言えない気持ち。


遠くへ住む両親にも報告して、皆が嘘でしょ〜〜と唖然。みんなのびっくりする反応がくせになって、報告するのはいつも楽しかった。

幸せだった、3人産まれてくる事を想像するのも、名前を考えるのも、どうやって養っていくかを考えるのも、全て。

心配は少ししても、断然幸せと喜びが大きく、自分がこんなに子供をもつことで幸せになるなんて考えてもみなくて、それは夫を心から愛しているからなんだと、その現実の素晴らしさにも感動だった。

ハイリスクな妊娠

出張後、居住地に戻った私は、三つ子の妊娠は、ハイリスク妊娠ということで、受診できる病院も限られていて、市役所と相談して、やっとこさ診てもらえる総合病院を見つけた。

初めて、その病院で受診した時、一つの胎盤を3人で共有している事がわかった。 一絨毛膜三羊膜性品胎、それが3人の医学的な名称だった。
その時、「難しい妊娠です、一人の赤ちゃんが他の赤ちゃんの栄養をとったり、もしくは血液が皆均等に行き渡らないかもしれません」、と医師から念押しされた。

だけど、妊娠に関してほとんど無知、そして周りで流産など聞いたことがなかった私は殆ど自覚がもてず、「きっと大丈夫」となぜか自信満々だった。

厳しすぎる現実

現実は、私の想像とは全く違ったものになった。
今でも、思い出すと胸が張り裂けそう。医師に、「1人の心臓が止まっていますね…」と言われた瞬間の気持ち。
そして、2週間後の検診では、残りの2人の心臓も止まっていたという現実。
周りのことなんて何も気にせず、泣き続けた。
人生で一番と言える程、残酷で悲しい事が人生に起こった。

人生に起こることには全て意味があって、神様はその人が乗り越えられる試練しか与えないと言いますが、私はまだ、この意味を探す旅の途中かもしれない。
いつか、それを本当に見つけることができるかは分からないけれど、でも生きてみるしかない。

この世で3人に会えなかったことは、悲しい。でも、そういう感情は私は持っていて良いのだ。悲しみと一緒にいくていく術を身につけるだけのこと。
死んでしまった3人は、もう戻ってこない。

よく言われるのは「あなたたちはまだ若いからね、次があるよ」と。励ましの言葉はとてもありがたい。
でも、違うの。あの子達は、あの子達だけで、誰も代わりはできない。私にとっては、かけがえの無い我が子たち。

母体に負担をかけないように、お空へ還ってしまった親孝行な子達。四日間に渡る出産のプロセスですら、わたしへの痛みは最小限だった。それが尚更、辛かった。

可愛い我が子

3人はわたしに、愛、幸せ、優しさを教えるためにお腹に来てくれた。そして、いつも隣にいてくれる最愛の人の存在の大きさ、私の人生に関わってくれた・そして関わっている全ての人の大切さを教えてくれた。

本当にありがとう、ママにしてくれてありがとう。

まいにちを大切に、自分を愛し、皆にも愛をたくさんあげよう。
シンプルなようで難しいけれど、毎日を丁寧に、矜持を持って、生きていきたい。

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