『斜陽』と夏の希死念慮
『夏の花が好きな人は夏に死ぬというけれど、本当かしら』という一節があります。太宰治の『斜陽』です。私はこの一節が心に残るくらい大好きです。
よく考えることがあります。「死ぬのならば、どんな時に死ぬか」です。私は漠然と「よく晴れた日」がいいなあと思っています。
「碧虚」という言葉をご存知でしょうか。この言葉、簡単に言うと雲ひとつ無い快晴を表す言葉なのですが、漢字にすると「碧く、虚ろ」です。この言葉を知った時私は衝撃を受けました。雲ひとつ無い快晴を見た時、人はどう思うか。「快晴」という言葉からはポジティブなイメージが湧いてきます。しかし「碧虚」だとどうでしょうか。少しセンチメンタルに快晴を表している気がしませんか。
雲ひとつ無い快晴を見た時に「これは碧く、からっぽだ」と思った人が居ると考えたら、鋭い感性がある人だと思います。
そんな何も無いからっぽの日、それもお日様が照っているような穏やかな日、死を選ぶならそんな日がいいと考えています。
斜陽の一節と碧虚に通ずるものが、夏の希死念慮です。皆様、夏といえばどのようなイメージでしょうか。夏祭り、夏休み、プール、思い出作りには最適な季節です。
日本のお盆は夏なのはご存知かと思いますが、これもなかなか面白いです。上記で挙げたポジティブな夏のイメージに対して、お盆は亡くなった人を偲ぶ季節です。この対比した概念が共存しているのが、夏という季節です。
夏祭り、手持ち花火の最後は線香花火。浴衣の裾を上げて慎重に火をつけていくけれど、パチパチと小さく弾けて落ちていく線香花火。花火の最後を締めくくるには、少し傷心的になります。
夏休み、茹だるような暑さの中、空を見ると、からっぽの青空に一本のひこうき雲が差している。それをなんとなく指でなぞってみたりしていたら、踏切の音がなったから慌てて線路を渡る。
プール、大人になったら縁が無くなる塩素の香り。これだけで、もう、懐古を感じるには十分です。
小さな夏の欠片が積み重なって弾けた瞬間に、夏の希死念慮は刹那的に、情熱的に燃えます。まるで打ち上げたら消える花火みたいに。指でなぞったら消えるひこうき雲みたいに。しばらく香らない塩素の香りみたいに。
私が夏の希死念慮に美しさを感じているのはここです。そんな、初恋みたいな衝動が、夏に希死念慮を感じる所以です。
皆さんは好きな花はありますか?それか、好きな季語はありますか?それに関して、少し思考を巡らせるのも良いと思いませんか。
私は、蓮の花が好きです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?