せやな

Twitterの普及に寄る、世間の2ch化

先日、こういうツイートを見かけた。

リツイート

TwitterにはTwitterが普及するに連れて生じた日本のTwitterの中だけで通用するテンプレロジック(定型論理)が存在する様になった。
定型論理には、定型に則っていれば、その定型が通じる場所では相手を論破し易いという特徴がある。論破は一種の成功体験である。成功体験であるがが故に、その成功体験に味を占めてしまうと、それは麻薬となってしまう。
また、論破は「論理で相手を撃破する事」であるが故に、それに成功した自分を「賢い」と勘違いさせる性質がある。
定型論理に寄る論破とは、「賢さ(≒論理的である)から来る成功」ではなく、定型論理をどれだけ記憶できるかという「記憶力から来る成功」だ。
「記憶力からくる成功」を「賢さ(≒論理的である)からくる成功」と勘違いした状態を引き起こさせる「自分が(ただ暗記が得意なだけな事を)「賢い(≒論理的である)」と勘違いさせる性質を持つ麻薬」それが、定型論理だ。

この、定型論理という麻薬にTwitterが汚染された結果、Twitterはかつての2chと同じ様な空間と化した。

別の言い方をするならば、日本のTwitterの状態は、かつて欧米によって阿片漬けにされた清国(現:中国)の様な物だろう。

上記のツイートに対し、この様なリプライを付けている人がいた。

この人のツイートの中で定義されている「世間」とはインターネット外の世界なのだろう。

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インターネットの普及の過程で2chが一般化していくに伴いインターネット外の世界がテンプレロジック(定型論理)を重視する傾向に染まっていったのではないかという意見だ。
おそらく、2ch以外の要因もあるだろうが、その趣きもあるだろう。

インターネット外からの要因とインターネット内の要因が合わさった結果、「世間」(インターネット内とインターネット外)の両方が定型理論を重視する-2ch化-していったのが、西暦2000年以降、2019年現在までの日本なのだろう。

この先、インターネット内外問わず、日本がどうなっていくかなど解る物ではないが、夢のツールと言われ、遠くの人と繋がる事が出来ると信じられたインターネットというツールは、繋がる事も出来たかもしれないが同時に、対立や分断を促進したとも言えるのが2019年12月時点での話だろう。


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