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polcaで始めてみた企画と、これからのお金のありかたについてこの3日で感じたこと

クラウドファンディングのCAMPFIREが8月10日にリリースした新しいサービス「polca」を、ローンチの初日から使い始めてみた。

最初にアプリを入れてみて、いろいろな人がツイッターで「#polca」でつぶやいているそれぞれの企画ページを拝見しつつなんとなく思い出したのは、 90年代後半にリクルートから発行されていた「じゃマール」という雑誌。「個人広告」を謳った誌面にはじつにいろいろな一般の個人の「広告」が掲載されていた。あれはもう、ただ眺めているだけでも人間の面白さが溢れかえっている感じで、高校の終わりから大学生の頃、大好きだったなあということが思い起こされた。(今思えば、ソーシャルキャピタルとでもいうものの原点を、私はあの雑誌に感じていた。)

「じゃマール」はさておき。はて、このpolcaという新しいフィールドに、いま自分で企画を出すとしたらなんだろうなあ…とその後、小一時間ほど考えてみたのだけど、結局、この半年くらい具体的に思い描くようになっていた個人的なリトルプレスの制作を始める意思表示をしておくのがよいような気がして、出した。

「リトルプレスの企画制作を始めます」

https://polca.jp/projects/WoqokFFlQDa

なんとなく「ああ、これは自分のような、腹を括りきれていない人間が周りの方から応援してもらうためのものなのかな…!」とピンときたのもある。そのため、企画しながらも実行の際、慎重になりすぎているものを、思い切って、意思表示として出した。

企画ページを立ち上げてみると、さっそく支援してくれる友人たち。本当にありがたい。いつもありがとうございます。

ちなみにpolcaは「フレンドファンディング」を謳い、身近な人たちとの共有に使われることを目的としているため、クラウドファンディングプラットフォームにあるプロジェクト一覧ページのようなものは、今のところ無い…にもかかわらず、ツイッターのハッシュタグなどから知って応援をしてくれる見ず知らずの方(足長おじさん)まで徐々に登場してくださるではないか。

小口で、気軽な、だからこそ大義名分にとらわれない。気前のよさ、ひいては「粋(いき)」に似たものを感じる「楽しいね」「応援してるよ!」の声援の感覚とでもいうか。ひいては、おもしろきことを考える私たちのコミュニケーションこそが、すでに新しい資産になっている、ということの証、みたいなこと。かつて、団体としてクラウドファンディングにも挑戦したことはあるが、それとも全く異なる感覚を味わうに至った。

おもしろいことが始まりそうな気配を見て、さらにそこに入って楽しんでみよう というときの態度(本気度)のようなものを、投げ銭を使って示す、みたいなこと。

「踊る阿呆に見る阿呆〜」の視点でいうと、polcaで企画を立てる張本人は踊る阿呆そのものかもしれないが、その踊り始めてみるという行為はおそらく「お金のためにやっていること」ではない。ただ、楽しいことをしている。

つまりその「お金を稼ぎたいっていうことが第一の目的じゃないんだけど、これをやってみたいんだな」という思いを示す態度に対して、「いやそれやったらいいよ」という言葉とともに少額のお金が循環しはじめるだけで、お金のために何かをしているわけではない人たちは、とてもとても生きやすくなるのではないかな、ともわかった。

“お金より大切なもの”とはよく使われる言葉だが、大前提としてそれを支える根底には基本の生活があり、そのためにお金が必要になってくる。おそらくそれが、かつての芸術家をやしなうパトロンが出していたもの、だと私はこれまで思ってきた。それはコミュニケーションよりもっと根源的なものを“支えてあげている”ように見えていたけれど、やっぱりパトロンは慈善的な意味よりも、そのアーティストがいてくれることの価値が、自分が出している金額より大きいことをわかっていたんだろう。自分で企画を立ち上げてそこに小口の“パトロン”とでもいうべき方々がついてくれたことで、それ自体が社会にとって必要なコミュニケーションなのかもしれない、ということを、身を持って実感できたように思う。

もう少し、応援 とか、寄付、投資とかってものかと気張って考えていたけど、実際使ってみると、結構違った、というのがつまるところの本音なのだ。

応援の思いが、コミュニケーションツールとしての金銭とともに届くこと。その“なめらかさ”。polcaが謳う「お金をもっとなめらかに。お金でもっとなめらかに。 お金がコミュニケーションと共にある世界を目指して。」の意味は、確かに使ってみることでやっと実感ができた。それは最近よく叫ばれる「個人の時代」において、各個人がインディペンデントでありながらもお互いに支え合うような、とても強く、優しい社会をつくることに繋がるのかもしれない。

普段から編集・執筆・企画としてメディアに関わる自分のような人間にとっては、当然のことながら出版と小口ファンドの相性はよいな、とも改めて思う。そもそも、雑誌って、広告無しでは作れない形でできているものだが、こうして小さな応援者(広告主に近い)の支援によって、はじめの一歩を踏み出せる。雑誌づくりに関わり始めて久しいが、自分で立ち上げようとしてそこにあらためて気づけた。

…と、同時に。

「私、いつも自分の思考の整理のためだけにこんなにツイートしてるけど、これ自体は一銭にもなってないし、どうすればいいんだろな〜」なんてこともよく思っていたが、なるほど。これだったらそもそも自分自身の存在を認めてくれている方からの支援をいただくってことも可能なのか、と。(ファンクラブだとかサロンていうものが、実感としてはそこまで肯定的には理解できていなかったけれど、もっと根源的な、生きる態度に対する投げ銭、みたいなことが個人の時代においては起こっておかしくない、ということが、やっとやっと、少しは理解できた。)

※たとえばツイートに対しても、ツイートへの1ファボ(or 1RT)につきいくら となってしまうと、「うまいこと言ったツイート」が溢れてしまったり、くだらなさも含めた態度を許容するツイッターの最高に適切な自由と緩さがなくなってなんだかなあ…とずっと思っていたが。polcaなどでは、ふだんのその人の態度そのものを応援する っていうことが可能になる。これってすごい、生の肯定だな、と。

その人が今日も生きて、何かを発信してくれることに対する、ありがとうの気持ち とか。そういうものがPolcaでは支払われやすいはず。

(ベーシックインカム構想というか…そもそもこういう時代になってきたら、人が生まれてきて、それなりにがんばって生きてるだけでお金もらえる世の中にならなきゃおかしいだろう現代!とはずっと思っていたけど、それが少し実現している、の、かもしれませんね。)

あとは、編集やプランナーという視点からの感じたことでいうと。結局、企画を考えそれを口に出してみるところにいたるまでで、すでに十分に価値があるのだよという事実にも繋がる気がした。編集者やプランナーをやっていて、すべてが成功してプロダクトアウト支払われないこともありがちな事前の「企画フィー」の部分すら、価値として顕在化(=少額とはいえ金銭も伴う価値の明示)をしてくれる可能性すらある、polcaは。

私が最近よく頭を抱えていた「今は一銭にもなってないんですけど、でもこの人にはこの人を本気で紹介しておきたいんですよね」みたいな行動に支払われるお金。つまり態度経済みたいなことにも少し繋がるのかもしれない。(坂口恭平さんはここ数年、ずっとやっていること。で、たぶん態度経済が進むと、“定価”という概念は意味をなさなくなるのだが。)

いわゆる「ソーシャルキャピタル」 とか。偏愛 とか、極私的な楽しみを続けることこそが価値であり、それがお金になるって、こういうことなのか、と少し理解できたようにも思います。そうか、これって本当に未来だなあ。やっぱり今ってリンダ・クラットン氏が言うところの「LIFE SHIFT」の真っ只中だなあ、 って思いました。

そんなこんなで、ものすごく散漫ではありますが、新しいアプリ「polca」で企画を立ち上げてみて最初の3日間に感じたことたち、でした。

(最後に重ねてになって恐縮ですが…よかったら、polcaでの企画 の応援もよろしくお願いいたします。)


(※本記事には価格が設定されていますが、無課金で最後までお読みいただけます。内容はこちらで終了です。お読みいただき、ありがとうございました!)

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鈴木です。読んで、リアクションいただき嬉しいです!ありがとうございます
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「サーフと文学」。 鈴木の脳内にあることをつらつらと書きます。The note written by Emiri Suzuki. twitter @emr_81
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