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0.アンガスの墓地跡

私の最も古い記憶はアンガスの墓地跡でのことだ。太陽の光と見紛う程ベタついた月の明りに映し出された私の影。そのシルエットをなぞるように意識が輪郭を持ち始めた。その場所はかつて祭壇として用いられた由緒ある土地なのだが、地中に眠るお友達の皆様方はかつて人間であった事が認識できないほどには腐食が進んでおり、大自然と人間とを分かつ境界は既に失われていた。ちなみに、いわゆる魂と訳されるようなエネルギーもとうに消え失せていて、どうやっても皆様方と再び相まみえることはできない。そんな場所だ。

はじめに意識にとびこんできたのは、先ほどお話した通りの私自身の影。漆黒の森の中、月明かりによって作りだされた人の形をした影法師が私の動きに合わせてもそもそと揺らめいていた。次の記憶は渇望。私は胸部に痛みを伴う凄まじい熱を感じた。強烈な生への渇望が私を襲ったのだ。それは死への抗い。生物としてしての最期の瞬間まで渇きにのたうち回り、嗚咽を洩らしながら衰弱していく自身への拒絶であった。このままではいけない。渇きを満たすのだ。甘く香る貴方の血の一滴でもいい。いや贅沢は言わない。渇きを癒して頂けるのであれば神にも悪魔にもなろう。天は大地に雨を流し、海の砂は月を見上げ、そして夜は終わり世界は光り輝くだろう。それほどに当たり前に、純自然的なことのように私は渇望していた。他を殺し同化せよ。弱者の肉を食み、我が血とせよ。声なき声が私にそう語りかけていた。美しく残酷な生への渇望。殺せ殺せ殺せ。

幸運にも私の両の手には魂あるものの遺骸があった。そして何度もなんどもそれらを口へ運び、すりつぶし、舌で味わった。私は意識を持たぬうちからこの忘れられた祭壇を這いずり回り、虫ケラや草花といった弱々しい生物の命を奪っては口から消化器官へと流し込んでいたようだ。まるでモンスターのようにね。

しかし私は助かったのだ。もう胸は苦しくない。あまい生命の雫を、我が血に染まるまで堪能することができたのだから。ヒリヒリと焼けつくように痛む胸を満たした。渇望は消えた。しかしなお、私の意識は混濁したままで、ゆらゆらと蠢く自身の影を呆然と見つめていた。

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そのままどれ程の時間が流れたのか私にはわからない。1時間だったのかもしれないし、あるいは3年ほどそうしていたのかも。なぜなら、ある瞬間を迎えるまで私は自身が意識を持ってそこに存在している事にすら気づいていなかったのだ。そうした中、私の中でも最も鮮明な記憶のひとつとなる衝撃的な出会いが訪れる。私が朧げに見つめていた私自身の影を別の影が覆い隠したのだ。背後から感じる強烈な悪意。もしくは畏怖そのものといったドス黒い感情に飲み込まれ、私は身震いをした。誰かがいる。私以外の、それもとびきり邪悪な何かが。

朽木が風に軋むような声。

私は恐怖と混乱の中にあった。彼は私に「立て」と言ったように思う。理解する時間も熟考する時間もなかった。いや時間は無限であったのだが。しかし私は命じられるままに実行をした。まずは座り込んだまま地中のお友達と同じように根を張りそうだった脚をふるふると動かした。二つ折りの膝を伸ばし指先に力を込めた。頭を前方へ突き出し重心を移動させる。そうして、恐るおそる、少しずつ、視線を高くもたげていった。

耳をすます。今は、何も聞こえない。

前を見ると重なっていた影は消え、束の間の安堵を私にもたらした。そして気づく。彼の声に呼び覚まされるようにして、私の意識がはっきりと自身の存在を認識していることに。私はここにいる。よし、確認しよう。私はまず手を握り、指と手のひら、手首、汚れた腕を震わせて存在を確かめた。次に無様に折れ曲がった背骨をピンと伸ばし胸を張った。足先にも感覚はある。指先を器用に動かせて神経を巡らせる。すぅ、と空気を吸い込みながら目を開いた。そこには月明かりに染まる夜の世界が広がっていた。静寂は子守唄。湿った空気の匂いは母の温もりのように安らかだ。頭上に輝く星々は笑い、どこまでも続く地面は私の存在そのものを撫でていた。

ふと、私は声の主を探そうと思いたった。

ゆっくりゆっくりと時間をかけ、そして音を立てぬよう注意をしながら振り返っていく。指に力がこもる。心許なさが増していく。耳はもう背を向いている。視界の端が肩の後ろを捉える。もう戻れない。

しかしそこに生物と思われる影はなく、月明かりに照らされた群生林に沈む墓地跡だけがあった。なんとも言えない喪失感を抱えた私は、気怠い身体にさらに大量の外気を吸い込むと大きなため息をついた。どうしたというのか。何もわからない。しかし、私は自身の存在をしっかりと認識していた。それだけが発見であった。自身が何を知りたいのかさえも理解できぬ焦燥感、虚無感に対し胸のはりさける想いであった。後で感じたことではあるが、この激昂こそが私が私たるアイデンティティとなったのだろう。私はその場で絶叫した。

2017/05/10 更新
2015/04/05 作成

#小説 #ヴァンパイア

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