映画「ボーはおそれている」観て一発で理解できたので感想&考察を語りたい
※アリ・アスター監督、映画「ボーはおそれている」の若干のネタバレ考察を含んでいます。もしネタバレしてしまってもそれは僕のせいじゃない!そんなつもりじゃなかったんだ!僕は被害者だ!
こんにちは何するため、すらぷるためです。
先日大好きなアリ・アスター監督の新作映画「ボーはおそれている」(原題はBeau Is Afraid)観てきました。
今回も「ミッドサマー」以来、監督の例の「危険な映像」が炸裂してました。音と映像の異化効果が凄まじかったです。
「本当に意味がわからなかった、、、あの屋根裏にいたチ○コモンスターなんなん!?」
などと思った方が映画を理解するキッカケになってくれたら幸いです。初めから説明すると結構複雑で長くなりそうなので、個人的に解ったことと面白かった所をピンポイントで書こうと思います。
「よく意味が分からなかった!」と言っている人が多くてモヤモヤするので、、、わたすは理解できましたよ!
ボーが恐れる理由
主人公ボーは気の弱いユダヤ人のオッサンです。ある日母親が不慮の事故で亡くなってしまい、葬儀に参加する為に実家に帰ることになります。
実家に帰ろうとするその道中でボーに様々な災難が降りかかり、、、という話なのですがタイトルの通り劇中でボーはずっと不安でビクビクしています。ここがポイントで
この、何故「おそれている」のかが解ると映画がだいぶ解りやすくなると思います。
ユダヤ教の教えに背いて「罰」を受けるのではないかと「おそれている」ということだと思いますが、これはとても利己的な考えなんですよね
例えば誰かを助けたいから助けるのではなく、助けないと、善いことをしないと「自分が神から罰を受けそうだから」その人を助ける、という論理
観ているうちにボーは結局自分のことしか考えてない存在なんじゃないかと思えてきました。
更にそれがエスカレートして、ボーの持つ本当の欲や願望を、自分の持つ被害者意識で誤魔化していく、話なんじゃないかと思いました。自分が被害者として振る舞っておいて、どんどんと願望が叶っていくという流れです。
最初に母親の訃報を受けた時も、本当は母親の元に帰りたくなかったんですね、毒親だと感じていたし、実家に帰りたいけど飛行機の搭乗時間に間に合わないとか、家の鍵無くした、とかで言い訳してましたし
本心では帰郷したくないと思ったのでその願望が現実に現れていきます。とにかく家に帰りにくくなります。変質者に刺されたり車にぶつかったりetc..
これは前作の「ミッドサマー」の主人公ダニーでも同じことをしていると思っていて、今作の主人公と共通する気がします、ミッドサマーだと
彼氏と一緒にいたいから両親と妹が邪魔だと思う→両親と妹が死ぬ
彼氏の友人達が嫌な奴らで邪魔と思う→友人達が死ぬ
彼氏が浮気して消えてほしいと思う→彼氏が死ぬ
みたいな流れで話が暗すぎて文章打っててダルくなってきましたが、ダニーと同じくボーはこういった自分の利己的で邪悪な心を認めれないので「そんなつもりじゃなかったんだ」と泣き崩れて被害者意識で誤魔化す、という構図なんですね。
それが画面上だとボーが被害者に見えるようなシチュエーションとして表れているんじゃないかと、ボーが理不尽でかわいそう!な話などとんでもなく、すんごい邪悪(誉め言葉)な話です。
こういうテーマ自体も異化効果なんだと思いました。「悲しんでいるようで、実は願望が叶ったからうれしい」みたいな(ミッドサマーのダニーの最後のシーンの笑顔はそういう意味なんじゃないかと思います)
このことは自分の犯した罪に対して必死に言い訳する、最後の洞窟の裁判のシーンでも種明かしされます。
精神異常者「ジーヴス」の正体
以上のことを踏まえると今作で個人的に面白いなと思ったのは、ボーと一緒に入院していた元軍人の「ジーヴス」という男性です。このキャラクター、主人公の次に重要な役なんじゃないでしょうか??
元軍人で精神異常者というだけで、最初に観たとき「これ後々絶対暴走するやつだ!」と思ってハラハラしてましたが、案の定、森の劇団員襲撃するし屋根裏のチ〇コモンスター倒そうとするしでめちゃくちゃでしたね。正にハジケ祭りの如し、ボボボーボ・ボーボボーはおそれていました。
というか、ボーを追跡してるだけなのに森の劇団員ごと皆殺しって、劇団員が可哀想で理不尽すぎるだろ!と思ったそこのあなた、これにもちゃんと理由があって、実は今回の感想で一番言いたい事だったりします。
私映画のパンフレット(装丁が独特で良い!)見て確認しましたがジーヴスは母親モナの会社の従業員リストに顔写真が載っていませんでした。なので母親のモナの手下では無いんですね
何故かというと、この人物こそが、主人公ボーの中にある「本当の気持ちや欲望が具現化した存在」だからです。
ボーが入院する家で夜を過ごすシーンで、ボーが、ベッドを使うのを罪深いと思い、リビングのソファで寝ていた女の子(トニー)に「やっぱり僕ソファで寝るよ」と言うシーンがあります。
いままでのことを踏まえると、「本当はトニーのベッドで寝ていたかったが、ユダヤ教的に神に罰せられるのが嫌なのでソファで寝ることにする」といったボーの気持ちがあると思いました。だから「ソファで寝るよ」とボーは発言したんじゃないかと。(これも結局利己的な行動)
すると不満げなトニーが何故かジーヴスの元に行き、この事を告げ口するような展開になります。精神異常者のジーヴスはボーの中にある本心そのものなので、このシーンはトニーがボーの眠っていた本心を叩き起こしている様に見えました。
「あんたの理性、ベッドじゃなくてソファでねるつもりよ!」みたいな感じで告げ口したのだと思います笑
ジーヴスという存在がボーの本心の部分、と解るとこの後から更にヤバくなっていきます。ボーは自分の「本心」を認める事ができず、まさにジーヴスから逃げ続けるのですが、とうとう追いつかれて森の劇団員ごと虐殺されそうになります。
森の劇団員達はユダヤ教の「ヨブ記」の演劇をしていて、放浪していることから、彼らは「迫害されていた頃のユダヤ人達」を表しているのだと思いますが、ジーヴスがその集団を皆殺しにするということは、ボーの本心でどこかユダヤ教を否定したい思いがあったのだと思います。
なんとなくこの劇団員の集団が純粋な人達というか聖人ぶってる感じがあってボーの本心(ジーヴス)がそういう存在を許してなかった様な気がしました。
劇団員のオッサン、可愛いてんとう虫のコスプレとかしてましたからね!
またこのシーンで特に印象に残ったのが、ジーヴスが自身をマシンガンで撃ちながら、貫通した弾で彼の後ろにいる人間を殺すシーンです、あれは強烈すぎるし、とても的確な画だと思いました。
なぜあのようなアホな殺戮をしたのかというと、あの行為は「自分が被害者になりながら相手を殺せる」手段だからなんですね。
私は人を撃っていない「流れ弾」が後ろの人に当たったんだ、とか色々と言い訳できるパターンです。
もうこういう話になってくると、センシティブな話題になってしまいますがイスラエルとパレスチナの問題を思い出してしまいますし、実際ボーはユダヤ人なのでジーヴスはイスラエルそのもの、もしくはイスラエル兵のメタファーになるんですよね。
自身のことを被害者だと思えば、誰が死のうが加害者(だと思い込んでる)側の国にいくらでも無差別に爆撃できる、というロジックでしょうか、自身が悪だと認めない限り殺戮は止まないと思うし、以上のテーマが「ミッドサマー」でも同じくこの映画の邪悪な要素になっているのだと思います。
屋根裏のチ〇コモンスター
この映画でもう一つ強烈なシーンと言えばやはり屋根裏にいた巨大なチ〇コですよね。最初に観たときは、急に過度なB級映画をぶっこまれて思わず「は?????」となりましたが、あそこでもジーヴスがやってきてチ〇コを倒そうとします。
あのモンスターは、ボー自身が認めたくない自身の性欲を表しているのだと思いました。当然認めたくない対象なので本心であるジーヴスが表れて倒そうとします、抵抗空しくあっけなく返り討ちに合うのが笑いました。性欲には勝てなかったか・・・
最後まで変わらなかったボーの態度
最後にボーはボートに乗りながら大観衆の前で裁判を受けるのですが
ここでも徹底して被害者意識の言い訳です。仏教の悪人正機説でしょうか、「自身の罪を認めなかったという罪」でボーは案の定、ボートが爆発して映画は幕を閉じました。
以上のことをまとめると「自分は悪ではない」と思っている人が実は一番ヤバい、という話ではないでしょうか??自分はそう感じました。
アリアスター監督の映画は毎回考えさせられるし画作りも強烈で今回も最高でした!
終わりに余談
この映画を「コメディ」でなく別の言葉で表すなら「闇のボボボーボ・ボーボボ」なんですよね。どいつもこいつもハジケリストだったし、この映画「ユダヤ人ハジケ祭り!」みたいな感じじゃない!?
それと気になっていることがもう一つ、母親のモナの家に画家のゲルハルトリヒターの「ビルケナウ」の絵が飾ってあった気がするんだけど、、、一回しか観てないから見間違いかもしれない。もし「ビルケナウ」だったらまだまだ考察の余地がありそう・・・
おわり
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