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【映画感想】本当に知りたくない事を突きつけられた時の恐怖がやばい【ミッドサマー】

※映画「ミッドサマー」の強烈なネタバレ&ただの感想です、未鑑賞の方はこのページから離れてスコォール!!してください





こんにちは何するためすらぷるためです。

ミッドサマーという映画をご存知でしょうか?アリ・アスターという監督が撮った「暗くないホラー映画」という感じのR15作品で、以前劇場で観てかなりの衝撃を受けました。最近そのディレクターズカット版をnetflixで観たので今回はその感想とちょっとした考察です。

ずっと前から「怖い映画ってだいたい色が暗いけど、ずっと明るい色調で怖くすることってできるのかな・・・?」と思っていたので、今回の映画のトレイラー見た瞬間に、「ついにきた!」と興奮し、公開初日に速攻で観にいきました。

映画の内容は「野蛮な(現代人にはそう見える)風習、文化を持つコミュニティに大学生たちが迷い込んでしまった」というもので、ホラーといえばホラーですが、感想としては「本当は知らない方がいい危険な映像」を観てしまったという印象の方が強いです(汗

ホラーとか恐怖というよりも「危険な映像」ですね。決してこの映画が駄作だとは思っていません。むしろ超傑作だと思っています。個人的にはこの映画で一気に監督のファンになりました。この気持ち悪さはクセになりますねえ、ヒヒヒ

なぜ「危険な映像」なのかというと、この映画、一見ごく普通にしか見えない光景やシーンに少しの違和感があって、不吉な音楽と相まって異様に怖く感じるんですよね、そこが大変不気味で最高なんですけど「本当に怖い映像」とは何か、というと「よく解らない」映像なんだなと、、、

そもそも怖いの本質は「正体が解らないから」だと思うので、映像の方も「あからさまに観る人を怖がらせようとしてる映像」よりも、自分でもなぜ怖いと感じているのか「よく解らない映像」の方が恐怖な気がします。

「ミッドサマー」もそういう類の「なんてことない光景なのにもの凄い不気味」なシーンがいくつかあって、この不気味さは絵で例えると引きこもり小説おじさんの「ヘンリーダーガー」に近い気がしました。

てな訳で私初めてこの映画を観てから丸2年経っているのですが、最近までこの作品のあるシーンがどうしても引っかかっていました。映画を観ている方は共感できると思うんですけど、それは最後、主人公のダニーが笑うシーンです。なんで笑うねん!とずっと思っていました。

他の方の意見が知りたくて考察の文とか動画とかを覗いてみると、「ホルガ村のコミュニティにダニーが馴染むことができて、感情を共有する新たな家族を得ることができたから笑った」という説がありました。確かに自分もそう思ったんですけど映画を見返してみるとそれだけじゃないような気がしてきたので、ダニーが笑った理由のもう一つの説を書きたいと思います。

というのもダニーは最後かなり「しめしめ・・・」的な笑い方だったし、そもそもよく見るとホルガ村の風習と精神が偽物なんだよな・・・(これについては後述します)

自分が思うもう一つの説は、ダニーは新たな家族を得たからではなく、「自分も殺された他の大学生達と同類だということを自覚した」から笑ったのだと思いました、自覚して「吹っ切れた」気持ちで笑ってるように見えるし、個人的にはホルガ村の風習を嘲笑してるようにも見えました。これは自分のことを裏切ったクリスチャンを生贄に選んだことからも、ダニーのエゴが入っていると思います。

もしかするとダニーは最後までホルガ村には同調していなかった気もします。同調していたら最後の神殿を焼く場面で村の人々と共に「ギョエエエエエエ!」と苦しんでいたでしょう、でも笑っていました。ダニーが村人達と同調せずに家族にならなかったとなると、映画のラストの後、後日ダニーは村人達から異教徒とみなされ生贄にされてしまいますね、うわぁ・・・

他の大学生達は、論文のテーマをパクろうとした「クリスチャン」聖書を盗み見しようとした「ジョシュ」先祖様が宿る大切な木にションベンした「マーク」三人とも全員「自分勝手」な行動をするシーンが出てきます

「ジョシュ(ヨシュア)」「マーク(マルコ)」「クリスチャン(キリスト)」という聖書と関係ある名前の人物が村の者に殺害されていく→キリスト教が敗北する、つまり「無償の愛なんてないぞ!全員エゴで動いてるぞ!」みたいな主張が最後「裏切った元カレのクリスチャンを生贄に選んでしまう」というダニーの行動に表れている気がします・・・この部分は知りたくないことを突きつけられてるみたいでキツかったです。

でももっとキツイのは、戦争の無い世界とか争いのない世界をガチで実現しようとするとおそらく全ての人類がホルガ村のコミュニティのようになってしまう、ということですね。ホルガ村みたいになるくらいなら自分は知恵を使って争いを極力避けるよ!

「個が一人一人にある」からこそエゴと争いが生まれてしまう「村を訪れる側」と「全員で一つの個」だが争いがないホルガ村の民という対比が見えるのが面白かったけど、この事実は見なかったことにしたいレベルですね、薄々知ってたけど見たくないヤツ、映画の舞台が夜にならないスウェーデンの白夜で、そこで今まで人類が闇に葬って見ないふりをしてきたようなヤバさが全部明るみに出た、みたいなのを感じました。

「皆が家族で争いが無いホルガ村」は一見楽園のように見えるのですけど決してそんな事は無いでしょう。なぜならホルガ村のあのコミュニティ自体が歪んだ嘘のコミュニティだからです。

そう思ったのは、劇中ででてくる儀式の際に生贄に選ばれた村の人が全員死ぬのを怖がっていたからです。村の老婆がアッテステュパンで崖から飛び降りる時はものすごい辛辣な顔してたし、神殿を生贄とともに焼く儀式も最後は絶叫してたし。村の人が言っていたように生贄が「自分の身体を自然のサイクルとして土にお返しできる最高に幸せな事」ならば、満面の笑顔で崖から飛び降りたり満たされた気持ちで火炙りにならないと逆に変ですよね。(だんだん文が禍々しくなってきたな・・・)

多分村の人間は、風習や決まり事は頭では分かっていても、人間としての生物レベルでは受け入れられなかったのだと思います。誰しも死ぬ直前の極限状態の時は「生きたい」というリビドーが湧き上がりますよね、そんな訳でこの村のしきたりや教養に対する村人の反応や気持ちのズレ具合というのが非常に恐ろしかったです。何処か筋が通ってなくて歪んでいる集団なんですよね。

「90年に1度の祝祭」というのも嘘に感じました。そうなるとホルガ村のコミュニティの維持は伝統や信仰ではなく、同調圧力みたいなので保たれていたんじゃないかと思います。劇中では説明がないですがそういうことも垣間見えて怖かったです。それに嫌気が差して村の男女が夜逃げっぽいことしてるシーンとかあったし、個人的にはホルガ村は「土着信仰を寄せ集めた日の浅いカルト集団」なのだと思いました。そういうのが一番怖いんだって!

おわり







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