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断片

「みふゆって意外とそういうの好きよね」

 夜。みかづき荘、リビングルーム。緑色のふかふかとしたソファに座るみふゆがそちらに意識を向けると、家計簿から顔を上げてこちらを見るやちよが目に入った。

「意外ですか?」

「そうね。読むにしても小説とか、そういうものだと思ってた」

「ワタシは“普通の女の子”なんですよ? 漫画だって読みます」

 みふゆはやや憮然とした表情を作り、先ほどまで読んでいたそれに視線を戻した。それは少女漫画と呼ばれるもので、表紙には百合の花を背景に二人の少女が描かれている。

 無論、みふゆは本気で怒ったわけではない。やちよへのちょっとした意地悪だ。

「それ面白い?」

「もちろん! やっちゃんも読みますか?」

「うーん……」

 やちよは頬杖をついた。あまり気乗りしない様子だった。

「どういう内容なの?」

「普通の恋愛物ですよ。全てが王道で構成されていて、かえって新鮮です」

「ふうん……気が向いたら借りるわ」

 やはり気乗りしない様子だった。みふゆもそれ以上は勧めない。人の好みは十人十色だ。

「ところで、恋愛に興味があるの?」

「そうですね、やっぱり普通の女の子になったんですから。普通の恋愛を経験してみたくもなります」

 なれませんでしたけどね、とみふゆは心の中で自嘲した。やちよはただ無言でみふゆを見る。

「やっちゃんは興味ないんですか? 恋愛」

「特にね。いいと思える子もいないし」

「やっちゃんに釣り合う子となると、求められるレベルは相当高そうですね」

 みふゆはからかうように言った。やちよは小さく唇を尖らせる。

「そんな高嶺の花になった覚えはないんだけど」

「いーえ。やっちゃんの可愛さは充分高嶺の花です。中途半端な子を選んだら、ワタシが許しません」

「あなたは私の親なの?」

 やちよはため息を吐き、再び家計簿にペンを走らせ始めた。みふゆもまた漫画に視線を戻すが、そこに意識はほとんど向けられていない。

(ワタシが付き合うとしたら誰となんでしょう)

 みふゆはクラスメイトたちの顔を思い浮かべる。その中には学年一のイケメンと呼ばれる子や、クラスの顔と呼ばれるほど快活で可愛い子もいたが、彼女の琴線には触れなかった。高望みしすぎなのでしょうか、彼女はぼんやりと考える。

(漫画の普通のパターンで行くと……)

 みふゆはこれまでに見た漫画のパターンを思い浮かべる。その大部分は、突然の転校生か、もしくは幼馴染同士で関係を持っていた。

(転校生と、っていうのは現実的じゃないですよね。それなら……)

 幼馴染と? みふゆは無意識にやちよのほうを向いた。やちよは家計簿に意識を向けていてこちらち気付かない。

(……やっちゃん)

 改めてじっくりと見る横顔は、みふゆの目にいつもよりも美しく、どこか儚げに映った。

 やちよのことを高嶺の花だと思っているのは本当だった。どうして自分が親友になれたのか、みふゆは時々わからなくなる。一方で、やちよのいない人生は想像できないほど、その存在は彼女の奥深くまで入りこんでいた。もし明日、突然世界からやちよを取り上げられたら、一生立ち直ることはないかもしれない。

(やっちゃんと、恋人に)

 それは、些か出来すぎているように思えた。幼馴染で、魔法少女の子と付き合う。まさしく漫画のような展開だ。しかし、それは悪くないように思えた。普通の女の子の普通の恋物語からは離れるかもしれない。それでも、やちよとなら——

 ピンポン。みふゆの思考は玄関チャイムに遮られた。かなえがパトロールから帰ってきたのだ。やちよは家計簿を閉じて立ち上がり、キッチンに向かう。

「ほら、あなたもいい時間だし自分の家に帰りなさい。あとついでに入れてあげて」

「むぅ、わかってますよ。というより、かなえさん合鍵持ってるんですよね? 鳴らさなくても……」

「律儀なのよ、あの子は」

 みふゆは漫画をバッグにしまった。同時に、先ほどまでの考えも脇に追いやった。

 いずれ恋をするときは来るだろう。そのときになってからまた考えればいい。自分たちはまだ若く、時間はまだたっぷり残っている。やちよはきっといつまでも近くにいる。みふゆはそれをひとまずの結論とした。

「では、また明日」

「また明日。明日のパトロールはみふゆだからね」

 やちよはかなえのためのココアを用意しながら言う。みふゆはひらひらと手を振る。

「わかってますよ」

 みふゆは玄関扉を開けた。そこには制服姿のかなえがいた。普段から彼女はあまり感情を表に出さないが、様子を見る限りでは魔女はいなかったようだった。かなえはみふゆを見ると、不思議そうに目を眇めた。

「どうかしましたか?」

「……いや……いつもより楽しそうに見えただけ……」

「そうですか? ……ふふ、そうかもしれませんね。おやすみなさい」

「ん……おやすみ」

 入れ違いになるように、みふゆは外に出た。外の空気は涼しく、彼女の火照った頬を心地よく撫でた。夜空を見上げれば満月がぽっかりと浮かんでいる。背後からはドア越しのやちよとかなえの楽しそうな声。

「ふふっ」

 みふゆは上機嫌になりながら帰路についた。道に人はおらず、彼女を見咎める者はいなかった。

 遥か遠くに聳え立つ無機質な明るさを湛えるビル群に比べ、住宅街のこちらはひどく暗い。みふゆの姿はやがて夜闇に溶ける。月の光さえ届かぬ場所に消える。


みふやち、やちよが気兼ねなく攻めに回れるし大人のCPって感じで割と好きということに気付いた

Photo by Kiwihug on Unsplash

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