オーバー・テン・イヤーズ
マギアレコードとニンジャスレイヤーについて考えてました。
内容としては大体「七海やちよフジキド・ケンジ説」です。
pixiv版 → https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10187803
「この世界に何が起こったか、ですって?」
パラソル付きのチェアに深く腰掛けた少女が、気怠げな息を吐いた。その傍では喪服に身を包んだ幼い少女たちが手持ち無沙汰に遊んでいる。
「私がまどかを引き裂いてから、不安定になった世界はどこかの世界と接続し、歪んでしまった。その歪みに反発するかのように、魔法少女同士の大きな動乱が起きた。結果として、余計に歪んだ気もするけれど」
少女は他人事のように告げた。目の下の隈はもう何年も寝ていないかのように深い。その遥か上には砕けながらも歪に繋ぎ合わされたされた月が浮かぶ。
「公になったわけではないとはいえ、世界は魔法少女の存在を知り、インキュベーターの技術も一部がハッキングされ始めた。挙句の果てには、こんなものが各地から見つかるようになったわ。知ってる?」
少女は澄んだ赤い宝石じみたものを、テーブルの上で転がす。
「マギアストーン。世界中の大企業がこれを欲しがって、雇った魔法少女たちを戦わせている。滑稽よね。どうしてこの石で魔法のようなことが実現できるのか、原理もわかっていないのに」
少女は見せつけるようにマギアストーンを口に入れると、噛み砕いて飲み込んだ。左耳の蜥蜴めいたイヤーカフスの輝きが微かに強くなった。
「肉体を失いマギアストーンで再生した子、魔法少女研究者として有名になった子、ワラキアを再び支配しようとする子、死んだ友だちを忘れられず復讐に明け暮れる子……等しくどうでもいいわ。ただ一人、まどかが幸せなら」
少女は恍惚とした表情をし、自分の身体を抱きしめた。喪服の幼い少女たちはいつの間にかいなくなっている。
「気分がいいから、ひとつ教えてあげる。月を壊した子と、そのお仲間。また楽しいことになりそうよ」
◆◆◆SATZ-BATZ RECORD◆◆◆
重く立ち込める黒雲から重金属酸性雨が降りしきる、いつもと変わらぬ夜。
「安い、安い、実際安い」「13回目の閉店セール」「気持ちですか?」
下腹部に液晶モニタを搭載するサーモンツェッペリンが、上空から広告音声を投げかける。雨に濡れたネオン看板に描かれたオイランが一定間隔で扇情的に首を巡らせ、その下で片目をサイバネ置換したリアルオイランが呼び込みを行う。近くの電柱では赤ら顔のサラリマン同士が怒鳴り合い、一触即発の雰囲気を醸し出す。その光景を浮浪者がちらりと見上げ、すぐに関心を失ったように地面に視線を戻す。不夜城ネオカミハマ。夜が更けるにつれて街は一層騒がしさを増す。
一方、少し外れた路地裏に目を向ければ、口を開くのは光届かぬ闇。
◆AGE OF MAHOCALYPSE◆
「許して……許してください……」
濡れたアスファルトにへたりこみ、壁にもたれた少女は震える声を絞り出した。身を包む白い服……魔法装束は土や血に塗れ、かつてあったであろう華やかさは見る影もない。首元の宝石には澱が溜まり、今にも黒く染まろうとしている。
「許す? お前は何か許されないことをしたのか?」
それを見下ろす青い魔法装束の少女が言った。そして、傍らに立つ4人の少女たちもそれぞれが魔法装束を身にまとっている。
魔法装束……すなわち、魔法少女が虚空から生成する超自然の戦闘服である。
「いや……した、した。この女は、した」
紫の少女が陰気に呟いた。青の少女は横目で一瞥して舌打ちし、続ける。
「確かにしたな。さっさと答えれば、こんなに苦しまずに済んだというのに! イヤーッ!」
「ンアーッ!」
青の少女が頬を張ると、白の少女は無様にアスファルトの上を転がった。茶色の水溜まりが少女から流れる血と混じり合う。
「ハッハハハハ!」「なんたるブザマ!」「ヒヒ……ヒヒヒッヒヒ……!」「えへっ……こういうの、楽しい……!」「マジダッセ!」
見下ろす5人は笑い、傷だらけの少女を罵り、ケマリめいて蹴り転がす。誰も助けになど来ない。このような場所まではメガコーポの武装自警従業員の目も届かない。国家崩壊後の大きな混乱期において、警察も解体された。
「何をしてるんです!」
その時、路地の先から鋭い声が飛んだ。5人はそちらを見た。そこにいたのは、銀髪の大学生ほどの女。だが、明らかに普通の女ではなかった。黒と灰色の魔法装束、全身から溢れ出る謎の威圧感、何より首元の輝く宝石……間違いなく5人と同じ存在、魔法少女である。
「新しいのが来たかァー……」「待て、ヒートスプレッダ=サン」「アァ……?」
青の少女に呼び止められ、ヒートスプレッダと呼ばれた白の少女が不満げに振り返った。その少女の目は白く発光しており、夜闇の中に浮かぶ一対は不吉だ。青の少女はヒートスプレッダの肩を掴んで下がらせると、大儀そうに両手を合わせ、オジギした。
「ドーモ。我々の名前はテンイヤーズ・ギャング。私がリーダーのマッドパドルだ」
「……ドーモ。梓みふゆです」
銀髪の魔法少女……梓みふゆはアイサツを返した。アイサツは魔法少女にとって絶対不可侵の礼儀。古事記にも書かれている。アイサツをされれば返さねばならない。
「ネオカミハマ。良い場所だな。魔獣が多い上に強い、テリトリーがここならグリーフキューブに困らないだろう。蒼海幇とかいうヤクザ組織がシメているのでなければ、絶好の狩場だ。だが……シンセイ・ディストリクト」
みふゆは半身になり、ジュー・ジツを構えた。ベーシックな構えと比べ、やや後ろに構えた右手が背中に近い。
「聞けば、ここは空白地帯だそうじゃないか。蒼海幇の支配もこの場所までは及んでいない。そこでだ」
マッドパドルは両腕を広げ、唐突に宣言した。
「我々テンイヤーズ・ギャングが! まずこのディストリクトを支配することにした!」
「は……?」
みふゆの口から出たのは、意図を理解しかねるような声だった。マッドパドルは馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らし、続ける。
「当然、それで終わりではない。このディストリクトの魔法少女を取り込んだ後、いずれは蒼海幇をも取り込み、ネオカミハマを完全に我が物にする!」
「……わ、我々……でしょ?」
緑の少女がおずおずと口を挟んだ。マッドパドルは再び舌打ちする。
「ああそうだ。我々だ。そして我々は慈悲深い。みふゆさん。明日の夜までにシンセイの魔法少女を全員投降させろ。さすれば、命だけは助けてやる」
「……正気ですか?」
みふゆが尋ねた。その声音、視線が憐れむようなものに思え、マッドパドルを密かに激昂させた。しかし彼女は怒りを抑え込み、赤の少女を振り向く。
「今日は終わりだ。やれ、スネークライター」
「ハァ? わざわざ? アタシが?」
「やれと言っている」
スネークライターと呼ばれた少女の不満の声を、マッドパドルは無視して繰り返した。スネークライターは愚痴をこぼしながらも、ポケットからチープなプラスチック製ライターを取り出し、火を点けた。何らかの魔法の前兆!
「シケた、使い方だ!」
スネークライターは深く息を吸い、ライターを口の前にかざして吐き出した! 暗闇を割って炎の渦が灰色の少女に迫る! 炎魔法である! 路地は狭く、横に転がって回避することは不可能だ。スネークライターの魔法に地の利がある。上に跳ぶか、バック転を繰り返してT字路まで下がるか。
「イヤーッ!」
みふゆは安全策の後者を選んだ。上に跳んだとして、それを撃ち落とすための策が練られている可能性は十分にある。5人の力量もわからない。侮ることはできない。
バック転から流れるような側転を繰り出し、みふゆはT字路の陰に隠れた。ゴゴウ……3秒ほどして炎が消える。みふゆはすぐさま物陰から顔を出し、魔法少女たちの様子を伺った。
5人の姿はどこかに消え失せており、この場を退いたようだった。残されているのは、うずくまったまま動かない魔法少女のみ。みふゆは駆け寄り、すぐに悟った。何の変哲もないどこかの学校の制服。胸元から零れ落ちた砕けたソウルジェム。見開かれたままの目。絶望に心が耐えきれなかったのだろう。魔法少女は既に事切れていた。
みふゆは歯を食いしばった。固く握られた拳がわなわなと震える。……パシャン。その時、すぐ近くで水溜まりの跳ねる音がした。みふゆはそちらを向かなかった。魔力のパルスで誰が来たかわかっていた。
新たにやって来た少女の深いスリットからはオモチめいて白い足が覗き、スカート部分には散りばめられた星、胸元に提げられた青い月のペンダント、肩から胸部にかけてを守る鎧、腰まである長い青髪。
「……酷いわね」
「はい」
青の魔法少女は……七海やちよはそれだけ言った。みふゆは頷く。
「魔力反応は追える?」
「いえ……何らかのノロイめいた魔法が邪魔をしています」
「そう……」
やちよは死んだ魔法少女の瞼に手のひらを乗せ、ゆっくりと下ろしてやった。魔法少女は安らかに眠るような表情になった。
みふゆが怒りによる震えを押し殺して手を合わせるのを見ながら、やちよは踵を返した。彼女たちにできるのはここまでだ。魔法少女は公の存在ではないし、必要以上のことをする義理もない。
だが……人間の手に負えぬ理不尽、魔法少女の暴力が自分たちのテリトリーを侵そうとしているのであれば。やちよは音声通話IRC端末を耳に当てる……。
サツバツレコード 第4部【エイジ・オブ・マホカリプス】より
【オーバー・テン・イヤーズ】
「フフ……」
マッドパドルは軽快な足取りで住宅街を歩く。今日の宣戦布告は上手く行った。魔法少女を1人殺せたのも大きい。ほとんどはヒートスプレッダの手柄だが、それでも5人で力のない魔法少女をいたぶるのは快い。示威効果は何倍にも上がったことだろう。
5人が宣戦布告をした地域は、噂によればネオカミハマをシメているヤクザ組織「蒼海幇」の管理下になく、空白地帯となっている。単なるヤクザ組織であれば魔法少女の敵ではないが、魔法少女を複数抱えているという噂もある。ゆえに、まずは空白地帯とそこに住む魔法少女を取り込む。そして少しずつ支配領域を広げ、やがてはテンイヤーズ・ギャングがネオカミハマを征服する!
戦闘の才能には恵まれなかったが、幸い優秀な頭脳はある。戦闘はヒートスプレッダやスネークライターのような単細胞に任せておけば良い。賢い者が支配をする、当然のことだ。だというのに、学校の奴らも先生も何もわかっていない。チアマイコ部やヤブサメ部のようなセックスのことしか考えていない、バカほどヒエラルキー上位に立つ世界など……! ヒートスプレッダも最近調子に乗っている……たかがイクサが得意なだけで……! みふゆとかいう魔法少女の、あの蔑むような目……!
「クソッ……」
嫌な記憶が過ぎり、マッドパドルは苛立ちながら辺りを見回した。すると、ちょうど狭い路地に入っていく青髪の若い女がいた。後ろ姿しか見えなかったが、オイランドロイドめいて綺麗だ。マッドパドルは舌なめずりし、そちらに向かって行った。彼女の狙いは誰から見ても明らかだ。ファック・アンド・サヨナラ!
しかしこの犯罪都市ネオカミハマにおいて、そのような出来事はチャメシ・インシデントである。それもこのような深夜に出歩く若い女となれば、自ら人食いズワイキュゥべえのプールに飛び込むようなものだ。哀れな女は気付かずに路地の奥へと進む。その先は……ナムサン、行き止まりである。
(そろそろいいだろう)
マッドパドルは襲いかかろうと足に力を込めた。前を歩く女が振り向いた。その瞳に映るのは恐怖ではない……燃えるような敵意!
(なんだ、何かが……!?)
マッドパドルの首筋に鳥肌が立つ。彼女は困惑しており、即座の行動を取れなかった。
「イヤーッ!」「グワーッ!?」
その時である! 何者かのトビゲリ・アンブッシュが背後からマッドパドルを襲った! マッドパドルは水たまりに叩きつけられる!
「グワーッ! これは……!? グワーッ!」
今の一撃でマッドパドルの脊椎は砕け、立つことすらできぬ! なんたる的確かつ鮮やかなアンブッシュか。青髪の女はアイサツを繰り出す!
「ドーモ。マッドパドル=サン。シンセイ・ディストリクトの七海やちよです」「梓みふゆです」
アンブッシュを仕掛けたみふゆもまた、マッドパドルの後ろからアイサツする。
「バカな……こんな……!」
マッドパドルは血を吐きながら、驚愕に目を見開いた。梓みふゆに宣戦布告してから、まだ1時間と経っていない。気に食わぬ魔法少女がスラッシュに来るとしても、精々明日からだと考えていた。ハヤイ……あまりにもハヤイすぎる!
「テンイヤーズ・ギャング。あなたを一撃で殺さなかったのは、インタビューするためよ」「グワーッ!」
やちよがマッドパドルの背中を踏みしめた。みふゆがその傍らに立つ。
「絶望しないよう、努力してくださいね」
両者の瞳に、背筋が粟立つほどの敵意。マッドパドルは自身が助からないことを悟る……!
◆
果たして、やちよたちはいかにしてこの短時間でマッドパドルの居場所を突き止めたのか? それを知るにはやや時間を遡り、ある魔法少女に焦点をあてなければならない。
ネオカミハマの一角にある建物、夏目書房。昔ながらの本屋でありながら、ネオカミハマを襲った動乱やメガコーポに圧し潰されることなく、今なお店を構え続けている。そして、その一人娘。夏目かこ。彼女はパジャマに着替え、今まさにフートンに入らんとするところだった。
PiPiPi、PiPiPi。携帯IRC端末から着信音が鳴る。かこは首を傾げながら液晶に映る発信者の名前を見る。
「……七海やちよさん……!?」
かこは慌てて通話ボタンを押し、IRC端末を耳に当てる。
「モッ、モシモシ!?」
「モシモシ。夜遅くにごめんなさいね。寝てた?」
「いえっ!」
かこは姿の見えない通話先の相手に対して首を横に振る。
「よかった。夏目さん、少し調べてほしいことがあるんだけど……常盤さんの許可がいるかしら」
「うーん……内容次第でしょうか。それに、うちにあるUNIXだとあんまり大掛かりなことは……」
「そこまでしなくていいわ。ハッキングもいらない。IRC-SNSとか、IRC掲示板を探してほしいだけ」
「そうなんですか? それくらいなら大丈夫だと思います!」
「助かるわ。うちにはUNIXに強い子がいなくて。特にみふゆとか」
やちよの溜め息混じりの声と共に、「特にやっちゃんとか」という挑発的な響きが微かに聞こえる。かこは電源ボタンを押し、UNIXを起動する。ジー……カリカリカリ……。
デロデロリー! 30秒ほどの後、電子ファンファーレと共にUNIXが完全に起動した。かこはLANケーブルの一方をこめかみの生体インプラントLAN端子に接続すると、もう一方をUNIXデッキのLAN端子に接続した!
00110110011001001100001
かこの身体は緑色の0と1の風が流れる、暗黒の空間に浮いていた。スゴイ、テンサイの域を超えた、ヤバイ級ハッカーのみがこの空間を認識するという。それこそはIRCコトダマ空間。誰がその名をつけたのかわからないが、最初からそう呼ばれていた。かこは周囲を書き換え、見慣れた店内を作る。
「ところで、何を調べたらいいんですか?」
「テンイヤーズ・ギャング」
「テンイヤーズ……?」
かこは記憶の引っ掛かりを覚え、考えるように上を向いた。視界に入るのは、遥か頭上に浮かび、ゆっくりと自転する黄金立方体。その近くに黒いモノリスをサーフボードのように操るアカウントと、それを追うアカウント。「ヴォイドサーファー」「インクィジター」とそれぞれのアカウントの上に表示されている。いつからそれを続けているのかすら謎であり、正体不明の恐怖を感じさせた。かこは目を背けるように手近なIRC-SNS空間にダイヴする。
「あ……ありました」
情報はすぐに見つかった。同時にかこの頭の中で記憶と結びつく。
「ななかさんも言ってました。テンイヤーズ・ギャングって名乗る集団が最近ネオカミハマをうろついてるって。モットーは『10年続くギャング』……長いですね」
「いずれこの街を支配する、とも言ってたみたいね。経歴は?」
「モータル相手の一方的な暴力で調子づいた感じみたいです。魔法少女が犠牲になった形跡は今のところなさそうです」
かこは複数の情報源から情報を引き出しながら答える。魔法少女になった全能感から、それまで同じ存在だったはずの相手への暴力に躊躇いがなくなる。やがてそれはさらなる暴力を呼ぶ……。最近のニュービー魔法少女にはよくある話だ。
「やられたのはあの子が最初か、野良魔法少女だけってわけね」
「あの子……?」
「テンイヤーズにこの区で魔法少女を殺されたのよ」
通話越しでも、やちよの抑え込んだような怒りが伝わった。かこは無意識のうちに電子唾を飲みこんだ。
その後、やちよはいくつかの情報を聞き出し、礼を言ってIRC通話からログアウトした。緊張から解き放たれたように、かこは息を吐いた。実際、緊張していたのだ。
今日に至るまでの動乱の日々で、みかづき荘は一度失われた。それは再び再建されたが、みかづき荘とその周辺に対するやちよの執着はより強いものとなった。シンセイ・ディストリクトの特例扱いを認める会議が終わった後、常盤ななかが呟いた言葉を彼女は今も覚えている。
『これ以上の無用な大イクサは、避けたいですものね』
呟いた後、ななかはすぐに冗談だと告げたが、かこには妙に現実味を持って聞こえてならなかった。
果たしてテンイヤーズ・ギャングはどうなるのだろう。七海やちよは怒っていた。かつてその怒りは災害のように戦場を荒れ狂い、敵の魔法少女たちを数多く滅ぼした。ネオカミハマが蒼海幇……ななかの統治の下に平和を享受し、かつて程の力はないとはいえ……。
かこはふとUNIXのディスプレイを見た。そこには無意識にタイピングされた「ナムアミダブツ」の文字が映っていた。
◆
「マッドパドル=サン! どこだ!」
赤い魔法装束の少女、スネークライターが水たまりを跳ね散らしながら狭い路地へ入る。それからやや遅れるように緑のギガンティックツリー、紫のリーラフルーフが続く。彼女たちは皆一様に焦り、戸惑い、恐怖していた。
10分ほど前、4人のIRCチャットルームにマッドパドルからの異様なメッセージが届いた。誤字と余計な枝葉を多分に含んだ『シンセイの魔法少女が来て、私は殺される』というものと、座標データである。スネークライターたちはすぐさま集合し、来ないヒートスプレッダを置いて座標データの場所まで来た。それがこの場所である。
「ね、ねぇ……あれ、本当にマッドパドル=サンからのIRCなのかな……?」
ギガンティックツリーが声を震わせながらスネークライターに尋ねる。
「わからないけど、あのバカはプライドが高い。冗談でもあんなことは言わない。間違いなく、何かは起きてるはずだ!」
「…………」
ギガンティックツリーはスネークライターの手を握った。スネークライターは勇気づけるように握り返す。リーラフルーフは無言。いつもの気味の悪い笑みも鳴りを潜めている。
「どこだ……どこに……!」
スネークライターは重金属酸性雨にイラつきながら、辺りを見回した。その時、1時間ほど前に嫌というほど嗅いだ臭いが彼女の鼻をついた。血の臭い。
スネークライターがそちらを見上げると、他の2人もつられるようにそちらを見上げた。行き止まりの壁、屋上付近。そこにはハルバードに胸を貫かれ、背後の壁に無理矢理固定された、ボロクズのようなマッドパドルがいた。
「ア……」
3人が絶句して見守る中、マッドパドルはビクンと大きく震え、「サヨナラ!」爆発四散した。死して屍拾う者なし……魔法少女の神秘的な生態を表したコトワザの通りに。
爆煙が晴れると、その背後の屋上に、砕けた月を背負った2人の魔法少女が立っていた。2人の魔法少女はアイサツした。
「ドーモ。七海やちよです」「梓みふゆです」
アイサツを受けた3人の少女たちは唖然としており、アイサツを返せなかった。やちよがジゴクから響くような声で告げる。
「アイサツしなさい。スネークライター=サン、ギガンティックツリー=サン、リーラフルーフ=サン」
「…………!」
一番最初に動けるようになったのは、スネークライターだった。スネークライターは克己し、オジギする。
「ドーモ……スネークライターです」「ギ……ギガンティックツリーです」「……リーラフルーフ……です」
3人とも、まるで状況が理解できていなかった。座標の場所に来たら、仲間が惨たらしく殺されていた。そして今、自分たちもまた、同じ目に遭わされようとしている。理解できたのは、ただそれだけだった。
「あなたたちの名前、行動の理由、全てマッドパドル=サンから聞いた。あなたたちの行動は、実際短絡的な思考に基づいて決定されたもの。だけど……シンセイを荒らそうとして、殺しをした……それを許しはしない」
「ウ……ウルッセッゾコラー! アタシたちが何したって勝手だろオラー!」
「……えぇ、そうですね」
みふゆが答えた。その声音は冷たい。
「だから、ワタシたちも勝手にします」
「イヤーッ!」
七海やちよが3人を目掛け、跳んだ! 3人は身構える!
◆
KRAAASH! ハルバードがアスファルトを破砕! 3人はそれぞれ後ろに転がって離れる!
「クソッ、とにかく殺すぞ! こっちは数で勝ってる!」
スネークライターは懐からプラスチックライターを取り出し、炎魔法を使おうとした。しかしやちよが早い!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」
やむを得ずカラテで応戦! ハルバードをかわし、至近距離の炎魔法を狙う!
「イヤーッ!」「グワーッ!」
やちよのアッパーカットがプラスチックライターを砕きながら、スネークライターの顎をヒット! 脳が揺れ、防御姿勢を取れない!
「イヤーッ!」
リーラフルーフが2人を飛び越えながら、魔法少女印を結んだ。そして人差し指と中指をやちよに向ける!
「ノロイ!」
追撃のサイドキックを繰り出そうとしていたやちよは、バランスを崩してたたらを踏んだ。スネークライターは復帰し、一旦後退する。
これこそは魔力による追跡を妨害せし、リーラフルーフの呪い魔法である。その効果は弱く、魔法少女相手では鼻血を出させることすら出来ないが、集中を僅かにでも乱すには充分だ。
「スネークライター……! 今なら……!」
ギガンティックツリーが声をかける。しかしスネークライターは首を横に振る。
「ダメだ……アンタの声も、七海やちよの姿もボヤけて見える……なんだ……!?」
「え……!?」
ギガンティックツリーはハッとして上を見た。梓みふゆが片手を突き出してこちらを凝視している。なんらかの魔法を行使し、スネークライターを妨害している!
「……わ、私がなんとか……!」
「ダメだ! アンタはアタシの後ろにいろ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
ソウルジェムを狙ったやちよのハルバード突き! スネークライターはかろうじて防ぐが、左腕が貫かれる! ギガンティックツリーは壁を飛び渡り、屋上へ!
「ギガンティックツリー……!」
スネークライターは歯を食いしばった。だが、今は目の前のイクサに集中しなければ……!
◆
「イヤーッ!」
ギガンティックツリーは屋上に着地した。砕けた月の光が2人を照らし、風が魔法装束をはためかせる。
「ようこそ」
梓みふゆは腕組みをして言った。誘い込まれた? ギガンティックツリーは恐怖しながらも相手のカラテを推し量ろうとする。みふゆの魔法は恐らくリーラフルーフと同じ呪いか、もしくは幻惑魔法のはずだ。後者であり、かつカラテが弱ければ……勝てるかもしれない!
「来ないんですか?」
腕組みをしたままのみふゆが、挑発するように言う。その構えに緊張感は感じられない。こちらを弱者と見下しているのか、策略の内か。一か八かギガンティックツリーは仕掛ける!
「イヤーッ!」
ギガンティックツリーのカラテチョップ! みふゆは石のように動かない。チョップはみふゆの首元へ到達し……すり抜けた!
「イヤーッ!」
その時である! 気配のなかった背後から突然カラテシャウトが響く! 梓みふゆ! 腕組みした姿は幻惑であり、本体は背後で息を潜めていたのだ! だが、ギガンティックツリーも無策ではない!
「ムテキ!」
ギガンティックツリーは仁王立ちになり、みふゆのカラテキックを真正面から受け止めた! ビリビリと足を走る痺れに、みふゆは眉を顰めた。
「イヤーッ!」
ギガンティックツリーは足を抱え込み、投げ飛ばす! みふゆはクルクルと回転して着地する。
「今のでわかりました……みふゆさん、あなたでは私に勝てません!」
ギガンティックツリーは自信満々に宣言した。みふゆはカラテを構え直しながら、今起こった現象について考える。
カラテキックをギガンティックツリーに叩き込んだ時、足に伝わった感覚は木のように硬かった。恐らく、それこそが彼女の魔法なのだろう。身体を木のように硬質化する。だが、投げ飛ばされる直前、足に伝わった感覚は普通の人肌めいて柔らかかった。つまり、動いている間は使えないのだ。
何故勝てると踏んだのだろう? カラテを仕掛けられる度に硬質化し、硬質化を解いて反撃する悠長なイクサでもするつもりなのだろうか? みふゆにはそのつもりは毛頭ない!
「スウーッ……ハアーッ……」
みふゆは息を深く吸い、吐いた。周囲の空気が渦巻く。カラテの流れを体内に呼び込む。
「スウーッ、ハアーッ……スウーッ、ハアーッ!」
……チャドーの呼吸。
加齢によって梓みふゆの魔力は減少していった。今では全盛期の幻惑魔法など望むべくもない。ならば死を受け入れるか? 一時期はそれを考えたこともあった。今はどうか? 否。七海やちよは生きているのだ。自分が死なねばならぬ道理はない。故に、生き残るために、彼女は活路を開かねばならなかった。そのひとつが、カラテ……そして、ドラゴン魔法少女クランに伝わりし、チャドー暗殺拳。
「スウーッ、ハアーッ!」
みふゆはカラテをチャージする。今の彼女にはチャージ無しでチャドーの技を放つことができるほどのカラテはない。裏を返せば、それは……。
「……イヤーッ!」
チャージが終わった時、それは体内を充分なカラテが循環していることを意味する! みふゆはカラテシャウトと共に、ギガンティックツリーの眼の前に出現! 虚を衝かれたギガンティックツリーに硬質化の暇は無し。後ろの残像が爆散すると同時に、みふゆは拳を叩き込んだ! チャドー奥義、ジキ・ウチ!
「ンアーッ!?」
それは幻惑魔法の助けを借りており、純粋なジキ・ウチとは呼べぬ代物だ。第二撃の構えもやや遅い。しかし今このイクサにおいては、それは些末なことだ。硬質化させず、殺しきる! ギガンティックツリーの身体が宙に浮く。みふゆは踏み込み、第二撃の拳を繰り出した! チャドー奥義! ジキ・ツキ!
「イイイヤアアアアーッ!」
「ンアアアアーッ!」
みふゆの拳が首元のソウルジェムを砕いた! ギガンティックツリーは路地へと落下していきながら、爆発四散!
「サヨナラ!」
◆
「サヨナラ!」
その声に、スネークライターは反射的に上を向いた。誰かが爆発四散した。誰か? わかっているはずだ。彼女の魔法少女視力は、爆発四散と共に落ちてきた砕けたソウルジェムをしっかりと捉えている。その緑色は間違えようもなく、ギガンティックツリーのものだった。
「イヤーッ!」「グワーッ!」
やちよはサイドキックでスネークライターを蹴り飛ばすと、リーラフルーフを決断的に振り向いた。
「ヒッ!」
リーラフルーフは更なる魔法少女印を結び、やちよに向ける。やちよは構わず、ハルバードを構えて突撃。首元のソウルジェムに届いた。リーラフルーフの身体はハルバードに支えられたまま、腕をがっくりと垂らし、爆発四散した。
「サヨナラ!」
やちよはザンシンし、スネークライターを振り向く。スネークライターは先程貫かれた左腕を押さえながら、やちよを睨みつけていた。
「どうして、ギガンティックツリーを殺した」
スネークライターは震える声で問うた。やちよの瞳に苛烈な怒りが燃えた。
「あなたたちが、それを言うの?」
「……理不尽だ。こんなの……アタシは、魔法少女なのに……! せっかく、魔法少女になったのに……! クソッ……!」
スネークライターの目から涙が流れ落ちた。やちよは平坦な声音で、告げた。
「ええ、理不尽ね。それをハイクにでもしなさい」
「ウワアアアーッ!」
スネークライターはがむしゃらなカラテで飛びかかる! やちよは前転でかわし、ハルバードの石突で冷徹に喉を狙う!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」
スネークライターは首を反らしながら突進! 石突は僅かに右に逸れる!
「イヤーッ!」
スネークライターはオイルにまみれた手を口の前にかざすと、息を吹いた! 手が燃え上がり、炎の渦がやちよを襲う! 覚悟の炎魔法だ!
「イヤーッ!」
だが、七海やちよには届かなかった。やちよはバック転でスネークライターの上を飛び越え、着地と同時に背中側からハルバードを突き刺した。
「アバーッ!」
ハルバードの刃は、首元のソウルジェムを的確に貫いていた。スネークライターの手が、なおも抗うようにハルバードの柄を握ったが、やがて力尽きた。
「サヨナラ!」
スネークライターは爆発四散した。サツバツとした風が爆煙を払う。やちよはその場に落ちている4つの砕けたソウルジェムを拾い上げると、壁を蹴り渡り、屋上に向かった。
屋上ではみふゆが正座し、チャドーの呼吸を行っていた。みふゆはやちよがやって来たのを認めると、チャドーをやめて立ち上がり、よろめいた。やちよはその身体を受け止めた。
「ありがとうございます。やっぱり昔みたいな無茶は、中々できませんね」
「もう、おばあちゃんみたいなこと言わないで」
「やっちゃんだって同い年のくせに……」
みふゆは頬を膨らませた。やちよは微笑み、すぐに表情を引き締めた。まだ1人、残っている。
◆
「シューッ……」
廃ガレージの中央で、白の魔法装束の少女、ヒートスプレッダはアグラを組み、メディテーションを行う。ガレージは随分前になんらかの理由で捨て置かれたもので、そこをヒートスプレッダが勝手に己の場所にしている形である。明かりは砕けた月の光だけだ。
先程のマッドパドルからのIRCは少なからず彼女を困惑させたが、彼女は無視してアグラ・メディテーションを続けた。たとえ本当にマッドパドルが殺されたとしても、どうでもいいことだからだ。テンイヤーズ・ギャング自体、彼女にはどうでもよかった。なぜなら、自分だけが特別だからだ。
「シューッ……」
ゼンが深まり、あの時の記憶がニューロンに浮かび始める。ヒートスプレッダが特別になったときの出来事が。
ヒートスプレッダの眼の前に立っていたのは、襤褸切れめいたフードを被った女だった。目深に被ったフードの中は闇だったが、生き物とは思えない無機質な赤い瞳だけが光っていた。
『オマエは……なぜ……』
ヒートスプレッダは困惑していた。彼女は祝福を受け、多幸感に満ちあふれていた。だからこそ、困惑していた。その女はトリイをくぐって荒野に突然現れ、ヒートスプレッダにカツアゲされていたヤンクを金色のリングで殺し、何もわからないままの彼女を祝福したのだ。
『何故? KYUKYUKYUKYU! MOKYUKYUKYUKYUKYUKYUKYU!』
女は笑いながら背を向けた。何もかもを侮蔑するような、冷たい笑いだった。ヒートスプレッダは手を伸ばす。
『待て! 名前……名前は!』
『ボクの名前か? サツべえ』
……ヒートスプレッダは武器もなければ、固有の魔法も持たない魔法少女だった。ケンカで培ってきたカラテがあったため、そのせいで困ることはなかったし、コンプレックスに思うこともなかった。しかし祝福を受けたことで、彼女は改めて幸せを味わった。特別になった。
……ヒートスプレッダの瞼がヒクついた。彼女は目を開いた。辺りはシンとした静寂に包まれている。バイオ動物の声ひとつしない。……不気味なほどに。
「いるなァー……」
ヒートスプレッダは呟いた。彼女の瞳に白い光が灯った。
「いるよなァー!」
ヒートスプレッダは立ち上がり、真上を見た! KRAAASH! 天井が砕け、青の魔法少女がハルバードを真下に向け、落下してきた!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」
ヒートスプレッダは足を高く上げ、ハルバードの刃を横から蹴った! 青の魔法少女はバランスを崩すも、ヒートスプレッダの肩を蹴って反動跳躍、距離を取った。ヒートスプレッダは先制アイサツを繰り出した。
「ドーモ。ヒートスプレッダです」
「…………!」
青の魔法少女はアイサツを返す。
「ドーモ。ヒートスプレッダ=サン。七海やちよです」
「……テメェだけじゃねぇなァー……」
ヒートスプレッダは首を巡らせ、斜め後方のコンテナを見た。数秒して、灰色の少女がその陰から姿を現した。
「……ドーモ。梓みふゆです」
「そうかァー……マッドパドルが殺されたっていう話は、本当だったッてワケかァー……」
「ええ。でも1人だけじゃないわ」
やちよはヒートスプレッダの足元に小さな何かを投げた。ヒートスプレッダはそれを見た。赤、青、緑、紫。4つのソウルジェム。
「後はあなただけよ」
「…………」
剣呑な視線同士がぶつかりあい、空気に満ちたカラテがミシミシと音を立てた。両者はジュー・ジツを構え、隙を伺うようにジリジリと横に歩いた。ヒートスプレッダはいちいち理由を問いただしたり、考えたりはしなかった。立ち塞がるならば、ただ殺すだけだ。
しかし同時に、彼女は正体不明の重圧を肩に感じていた。それはまず間違いなく目の前のやちよから出ているものだった。言葉にし難い……時の重みとでも言うような……不自然な感覚だ。それがヒートスプレッダの魂、ソウルジェムを本能的に恐れさせ、攻めあぐねさせている。
(クソが……なんだ……?)
ヒートスプレッダは苛立ち、瞳の光を強くする。
「イヤーッ!」
その時である! シャウトは彼女の右後方から発せられた! みふゆである! 彼女は背後の空間を掴んだ。触れた箇所から靄が発生し、隠されていた獲物が露わになる。それは3フィートはあろうかという巨大なチャクラム! 幻惑魔法で背中に隠し持っていたのだ! みふゆはヒートスプレッダ目掛け、投げつける!
「ヌウーッ……!?」
ヒートスプレッダは目を見開いた。チャクラムが面制圧と呼べるほどの数に分かれたのだ!
それこそはみふゆの幻惑魔法である。ヒートスプレッダは知る由もないが、蒼海幇によって調達されたそのダイチャクラムにはマギアストーンが埋め込まれている。それにより増幅された魔力が、恐るべき数の幻影を生み出しているのだ! 並の魔法少女であれば、圧倒され戦意喪失する者もいよう!
「イヤーッ!」
ヒートスプレッダは魔法少女第六感に任せて側転! 幻影のチャクラムが身体を通り抜ける!
「イヤーッ!」
間髪入れぬやちよのハルバード袈裟斬り! ヒートスプレッダは身体を反らして回避!
「イヤーッ!」
回避の勢いを利用した断頭チョップ! ハルバードの柄で防ぎ、足を払いにいく!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」
ヒートスプレッダはチョップの勢いで回転しながらジャンプ、空中後ろ回し蹴りを繰り出す! やちよはバック転で飛び退く!
「イヤーッ!」「させません!」
追撃をかけようとしたヒートスプレッダに、またもダイチャクラムと無数の幻影! ゴウランガ! なんたる息の合った連携!
「チイーッ!」
ヒートスプレッダは諦め、地を這うほどに伏せる! 頭上を幻影が通り過ぎる!
「イヤーッ!」
やちよの踵落とし! ヒートスプレッダは横に転がるワーム・ムーブメントで回避! KRAAASH! 床破砕!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」
起き上がりながらのジャンプチョップ! やちよもまたチョップで受ける! チョップ同士がぶつかり合い、鍔迫り合いめいた状態と化した。お互いの殺意が至近距離で衝突する!
「テメェ……思ったよりも強くねえなァー……!」
「…………!」
やちよは目を見開く。ヒートスプレッダは続ける。
「不自然な動きしやがってよォ……手でも抜いてやがんのか? 病気にでもなってたか? エエ?」
「答える必要はないわ……!」
「アァ、その通りだなァー……!」
ヒートスプレッダの目の光が強くなる。同時に、ヒートスプレッダに触れている部分が熱を持ち始めた。やちよは訝しみ、顔をしかめた。空気がブズブズと音を立てる。熱はコンマ1秒ごとに強くなる!
「クゥッ……!?」「イヤーッ!」
ヒートスプレッダは不意にチョップ腕を引き、やちよの体勢を崩した。そして、熱を持って輝く掌をキドニーに叩き込んだ! ZZGGGGGT!
「ンアアアアーッ!?」
恐るべき光が、熱がやちよを焼いた! やちよは血を吐き、前屈みになりながらくずおれる!
それこそはヒートスプレッダがサツべえから授かった祝福、光芒魔法である。超自然の熱と光で敵を内側まで焼く。ヒートスプレッダはカイシャクのチョップを振り上げる。
「やっちゃん!」
みふゆのインターラプト! ヒートスプレッダはカイシャクを取りやめ、そちらに向き直る!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
至近距離カラテ応酬! やちよは立ち上がろうとし、果たせず、うつ伏せに倒れた。敵の一撃があまりにも深く、重く入った。イクサは一撃が趨勢を決めることも珍しくない。視界がマンゲキョめいて回転し始める。
「やっちゃん! チャドーです! チャドーの呼吸です!」
みふゆの声が遠くに聞こえる。やちよはブッダが垂らした蜘蛛糸めいてその声を頼りに、意識を繋ぎ止めた。そして、呼吸した。
「スウーッ……ゲホッ……スウーッ……ハアーッ……ゲホッ……スウーッ……ハアーッ……」
やちよは痛みを堪えながらチャドーの呼吸を行った。痛覚遮断はできない。彼女の肉体はもはや死体ではなく、ソウルジェムを持つ存在ですらないからだ。
最後の動乱の折。魔法少女でありながら、インキュベーターの定義した魔法少女にそぐわない歪な存在……無法少女になってから、彼女のカラテ、魔力は共に大きく減じた。魔力の枯渇による死はなくなったとはいえ、ソウルジェムという効率の良い魔力貯蔵庫は失われ、自らの体内だけで魔力を賄わなければならなくなった。
「スウーッ……ハアーッ……スウーッ……ハアーッ……」
やちよは顔を上げた。視界が安定し、みふゆとヒートスプレッダのカラテが見えた。ヒートスプレッダの猛攻にみふゆが攻撃に転じられていない。
このブザマは油断のせいだ。やちよはそう己を断じた。短絡的なノーフューチャーのギャング。かつて戦った魔法少女たちと比べれば、遥かに簡単な相手だろうと踏んでいた。その上、現在の自分のカラテがどの程度なのかさえ、満足に把握できていなかった。
「スウーッ……ハアーッ……! スウーッ、ハアーッ……!」
これでは鶴乃にすら笑われてしまう。かつてのカラテを、魔力を取り戻さなければならない。シンセイ・ディストリクトを守るために。もう二度とみかづき荘を失わぬために!
「スウーッ、ハアーッ!」
やちよは床を殴り、ハルバードを掴んで立ち上がる! ZZGGGGT! 光芒魔法がみふゆの肩を掠め、数滴の血が舞い散る!
「イヤーッ!」
やちよが飛びかかる! ヒートスプレッダはみふゆをケリ・キックでノックバックさせ、やちよを迎え撃つ!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
互いを喰らい合うかのようなカラテ! もしここにモータルがいたならば、何が起こっているのかすら理解できないまま、MRS(魔法少女・リアリティ・ショック)を起こし失禁していたことだろう。みふゆはダイチャクラムを手にじっと見守る!
「イヤーッ!」
やちよの回し蹴り! ヒートスプレッダはブリッジ回避、そのまま水面蹴りを繰り出す!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」
やちよは小跳躍回避! そこへ姿勢を戻したヒートスプレッダの右ストレート! やちよはクロス腕で空中ガード! 後ろへノックバックする!
やちよは着地しながらハルバードを構え、ヒートスプレッダを凝視した。脚に、全身に圧縮された緊張が走った。ヒサツ・ワザが来る。ヒートスプレッダにはそれがわかった。彼女は右掌に最大の光芒魔法をチャージした。廃ガレージ全体が明滅し、太陽がこの場にもたらされたかのように明るくなる! みふゆは思わず目の前に腕をかざし、光を遮る!
「イイイヤアアアアーッ!」
やちよの全身の緊張がバネめいて解放され……恐るべきスピードとカラテでヒートスプレッダに迫る! アブソリュート・ツキ! ヒートスプレッダは右掌を叩きつける!
「イヤーッ!」
光芒魔法はやちよの髪を幾筋か焼いた。ただ、それだけだった。やちよはヒートスプレッダのタタミ3枚分ほど後方で停止し、マイめいてハルバードを回転させた。ヒートスプレッダの右腕がずり落ち、首元に空いた穴から血が噴き出した。ソウルジェムは砕けていた。
「アバッ……こ、んな……サツべえの祝福を受けた、オレが……こんなッ……ARRRGH!」
ヒートスプレッダは体内に残された魔力を振り絞り、なおも動く! 左手を獣の顎めいて構え、傷口から血飛沫と共に光芒魔法を溢れさせながら、やちよの背中に迫る! 距離、タタミ2枚分! やちよは振り向かず、ただ立っている。距離、タタミ1枚分!
「ARRRRRGH!」
「そこまでです」
外より来ったダイチャクラムがヒートスプレッダの首を刎ね飛ばした。頭を失ったヒートスプレッダはよろめき、仰向けに倒れ、爆発四散した。
「サヨナラ!」
砕けた白いソウルジェムがパキン、と音を立てて床に落ちた。みふゆは安堵の息を吐いて変身を解き、やちよを見た。やちよもまた変身を解いた。だが彼女は腹部を押さえてその場にへたりこんだ。
「やっちゃん!」
みふゆは慌ててやちよの傍まで走り、視線を合わせるように屈んだ。
「やっぱり……久々のイクサは、疲れるわね」
やちよは強がるように微笑んだが、額からは脂汗をかいていた。熱が未だ彼女を苛んでいるのだ。
「もう、やっちゃんだっておばあちゃんみたいなこと言ってるじゃないですか」
みふゆは微笑み返し、やちよを抱え上げた。やちよが抗議するようにもがいた。
「ちょっと……」
「帰りますよ。おとなしく年下に叱られましょう」
「……気が重いわ」
それきり、やちよはみふゆの腕の中で静かになった。みふゆは廃ガレージを出ると、屋根を飛び渡りながらIRCメッセージを送った。
廃ガレージの中には、破壊の爪痕と、5つの砕けたソウルジェムだけが残されていた。遺体や身体の一部のような彼女たちを識別するためのものは、どこにも遺されていなかった。
◆
「「タダイマー……」」
みふゆの肩を借りたやちよは、小声になりながらゆっくりと玄関ドアを開いた。どうか慈悲深き怒りでありますようにと祈りながら。IRCである程度の事情は説明してある。情状酌量の余地はあると理解してくれるはずだ。……そのような現実逃避の思考をしながら。
「…………」
案の定、その祈りは届かなかった。リビングのフスマを開けた瞬間、眉を吊り上げたパジャマ姿のいろはが、待ち構えたように立っていた。やちよとみふゆは気まずそうに目を見合わせる。
「ほら、謝りなさいよ」「なんでですか。大怪我したのはやっちゃんじゃないですか」「私はいいのよ」「意味が……」
「やちよさん、みふゆさん」
ジゴクの炎すらも凍りつかせるような声に、2人は肩を震わせた。いろはは腹の底から絞り出すように、言った。
「私、怒ってるんですよ」
それは本気の声であり、数ヶ月に一度聞くかどうかといったものだった。やちよとみふゆは頭を下げた。
「「ゴメンナサイ」」
……やちよとみふゆの傷がいろはの治癒魔法によって元通りになり、釈明のために座ったところで、いろははようやくその張り詰めるような怒りを解いた。もっとも、怒りが収まったわけではなかったが。
「どうしてそんな危ないことを、私たちに内緒でしたんですか? 死んでたかもしれないんですよ? 私じゃ戦力にならないって言うなら、せめて鶴乃ちゃんかフェリシアちゃん、かなえさんだって」
「こんなことに、もうあなたたちを巻き込みたくなかったのよ」
マグカップに入ったお茶を飲みながら、やちよが言った。みふゆが追随する。
「いろはさんたちには既に充分手を汚してもらいました。同族殺しなんて、これ以上させるわけにはいきません」
いろははぐっと唇を噛んだ。魔法少女同士の動乱が、失われたいくつもの命の記憶が呼び起こされたのだ。快い記憶ではない。いろはは食い下がる。
「でも、やちよさんたちだって、本当は殺したくないんじゃないんですか?」
「そうね。戦わないで済むなら、それが一番よ」
「だったら」
「でもね、それ以上に。私は平和を守らないといけないの」
やちよはマグカップを両手で握った。みふゆは横目でそれを見る。
「やっと、やっと手に入れた平和なの。失いたくないのよ。もう、二度と。奪わせは……」
「やっちゃん」
次第に剣呑な目つきになっていくやちよの肩に、みふゆは手を置いた。やちよはハッとして「ごめんなさい」と言い、俯いた。
「ワタシもやっちゃんと同じ気持ちです」
みふゆはいろはと目を合わせて言った。
「死にたくないと願ってやっちゃんと争って、自棄になってキョートに行ったらそこでも大イクサが起きて、やっとみかづき荘に帰ってきたと思ったらバラバラになって、知らないうちに月が割れて……」
最後のはやっちゃんのせいですけど、とみふゆは付け加える。
「こんな大変な思いはもうしたくないですし、させたくもないんです」
いろはは何も返すことができなかった。何を言っても、もはや無駄だと悟ったのだ。
「わかりました。納得はできませんけど……」
「ありがとう。ところで」
やちよはテーブル上のタロットカードを指さした。いろはがあっと声を上げた。
「私、メルに昨日も言ったわよ。占いは禁止だって。いろはも聞いてたわよね?」
「そ、それは……フェリシアちゃんが、どうしても週末の天気を知りたいって……」
「あの子たちは……もう……」
「いいじゃないですか、ちょっとくらい」
「みふゆ、あなたがそうやって甘やかすから調子に乗るのよ。いろは、起こしてごめんなさいね。もう寝なさい」
やちよが立ち上がり、空になったマグカップをシンクに置いた。いろはとみふゆも立ち上がり、それぞれバラバラと動き始める。
「やちよさん、みふゆさん、オヤスミナサイ」
「オヤスミナサイ」
「オヤスミ。みふゆ、お風呂どうする? 先、後?」
「え? あの広さで別々に入るんですか?」
「あなた、絶対悪戯するでしょ……」
「しませんよ! 今までだってしなかったじゃないですか! ちょっとしか」
「ああ、帰るのね。オタッシャデ」
「もう!」
やちよは自分の部屋に着替えを取りに行きながら、先程のイクサを思い出した。ヒートスプレッダが死に際にこぼした名前。サツべえ。マッドパドルを拷問した際には出なかった名前だ。
サツべえという人物が裏から糸を引いていたのだろうか。祝福とは何を指しているのだろう。やちよは顎に手を当てる。嫌なものを感じる……。
「やっちゃん」
みふゆがやちよの部屋に来た。やちよは思考を中断した。
「どうかした?」
「今日だけパジャマ交換しません?」
「しないわよ」
やちよは着替えを手に、部屋の電気を消した。フスマが閉じられると、部屋に入る光は微かな月明かりだけになった。やちよとみふゆの話し声は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
【オーバー・テン・イヤーズ】終わり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?