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当然、もっと仲良くして頂けますか? といったことですよ

 この辺りは街一帯が棄てられた地域であり、かつては理路整然と立ち並んでいたであろうビルも、朽ちかけたまま放置されている。雲越しの太陽の光は、歪み砕けた道路や根本から倒れたビル廃墟の灰色をいっそう目立たせ、彼女たちさえ灰色に飲み込もうとするかのようだ。美雨は空を見上げ……立ち止まって振り向いた。

「どうかしましたか?」

 菖蒲色の髪に、泰山木の花の飾りを留めた少女……常盤ななかは、微笑んで首を傾げた。彼女が着ている服は、フリルのついたノースリーブとスカートに振り袖を組み合わせたものである。まるでカートゥーンの魔法少女じみたファンシーな見た目だが、不思議と彼女が纏う雰囲気と調和が取れていた。反対に、周囲の破滅的光景からは、彼女の美しさはやや浮いていた。もっとも、その点は美雨も同様である。美雨の群青色をした瞳の奥には、四枚の翼を生やした花魁の意匠が刻印されている。彼女がアンドロイドである証だ。

「本当に帰る気はないカ?」

「はい。せっかくここまで来ましたし」

 ななかの迷いのない返事に、美雨はこの日何度目かのため息を吐き出した。

「さっきも言ったけど、これはワタシみたいな下っ端のやる仕事ネ。ななかみたいな立場の人間が付き添う仕事じゃないし、何よりもしものことがあっても責任取れないヨ」

「はい。ですから、私は隠れて美雨さんの働きを見学させて頂きます。しっかりこの目で確かめないと、構成員の評価も適切にできないでしょう?」

「もし見つかったら?」

「美雨さんを信頼していますよ」

 ななかはにっこりと笑った。美雨は面白くもなさそうに鼻を鳴らし、ななかの手に握られた鞘を一瞥した。鞘は前後に刀と脇差を収める、奇妙な造りをしていた。いくら他人に笑顔を向けようと、結局彼女が最も信頼するのはこの二振りの刀だ。その程度の気概すらない相手ならば、そもそも上に立つことなど許しはしないが。

 美雨は振り返り、再び歩き始めた。ななかがその後ろに続いた。

 やがて、彼女たちはある4階建ての廃駐車場の一つに入った。美雨は携帯IRC端末を取り出し、この場所の三次元ワイヤーフレーム画像を映す。1階部分には彼女の場所が点として描画されている。そして、同じ場所の屋上、もう一つ赤い点滅があった。それが今回の目標の座標を示す。彼女は端末をしまい直し、両腕を打ち振るった。すると、袖のフリルに隠れた手の甲のサイバネギアから、刃渡り1フィートから2フィートはあろうかという爪が、それぞれ3本飛び出した。サイバネギアには「ソ」「ウ」「カ」「イ」と交差した刀のエンブレムが刻まれている。これは装備が蒼海幇の特注品であることを表している。すなわち、それは同時に、美雨が蒼海幇の中でもそれなりの位にあることも示している。

「ななかはここで待つネ」

「3階までは行きますよ。美雨さんのご活躍を見られません」

「…………」

 美雨はうんざりとした感情を隠そうともせずに振り向いた。ななかは左手でキツネ・サインを作り、キツネの口をパクパクと可愛らしく動かした。美雨はもはや何も言わず、階段を見つけて上った。幸いにも、この建物は階段も頑丈そうで、倒壊の運命からは未だ遠そうだった。

 やがて、3階から屋上へと繋がる階段に差し掛かる。美雨は振り向いた。ななかは頷き、その場で立ち止まった。これ以上は本当に危険であるとわかっているのだ。美雨はほっと胸を撫で下ろし、階段を上り……屋上へと出た。

 殺風景な屋上には四本の腕を持つ一人の女が座り込んでいた。女は上がってきた美雨を認め、驚愕に目を見開いた。その瞳の奥には、美雨と同じく四枚羽の花魁の刻印。アンドロイド……それも意思を持つ。彼女の名はオモミ。

「なぜ……なぜここに」

「罠かとも思ったガ……どうやらオマエは本当のアホネ」

 美雨は手に持った金色のピンバッジを振ってみせた。アンドロイドの視力は、遠く小さな物体のエンブレムを視認することができた。オモミは襟元から同じピンバッジを引き剥がす。ピンバッジが発信するシグナルは、普段は救援要請を出したヤクザのリアルタイム追跡や、指揮ヤクザの味方の状況把握に用いられる。オモミはそれを足元に捨て、何度も踏みつけた。

「クソッ、クソッ! なんで……!」

「ワタシがここに来た意味、わかるナ」

 美雨は死神じみた足取りで、オモミに向かって歩いた。オモミは、元は同じ蒼海幇の戦闘員だった。アンドロイドの戦闘能力は基本的に一般ヤクザよりも高く、それゆえ重宝される。しかし、調子に乗ってみかじめ料を2倍取って半分を自分の懐に入れ始め、それを咎めたヤクザメンターを感情のままに殺したのが運の尽きだった。蒼海幇を追われる身となった彼女は、今ではこんな辺鄙な場所に隠れ忍ぶ始末……。だが、彼女の考えの浅さは、想像よりも遥かに早くこうして死神を運んできた。

「うるさいッ! いつも上から目線で調子に乗って……あの小娘に気に入られてるッてだけでいい気になって! 私だってトレーニングは積んできたんだ!」

 オモミは両脇に差したブロードソードを抜いた。四本腕による二刀流である。

「第一、小娘がトップなのも気に入らなかったんだ……! 私のほうが強い、腕一本で殺せる、なのにどうして……!」

「……ヒトツ」

 美雨は指を一本立てた。

「ななかはオマエよりもきっと強いネ。……フタツ」

 美雨はもう一本指を立てた。

「ななかはオマエなんかより、よっぽど頭がいいネ」

「ザッケンナコラーッ!」

 ヤクザスラングと共に、オモミが襲いかかってくる! 美雨は深く腰を落とし、左両腕によるブロードソード振り下ろしを半身になって回避。勢いで右足を軸に回転しつつ、爪を顔に向けて横薙ぎに振るう! 右両腕で振り上げられたブロードソードがそれを防ぐ! 爪を上に弾かれた美雨は姿勢を崩した。そこへ両両腕による二刀突き! 美雨は敢えてそのまま後ろへ倒れ込む。目の前を死の刃が通過する。そのまま振り下ろされるブロードソードを横に転がって回避しつつ、美雨は爪を振るい、相手の右下腕を切り裂いた! だが!

 美雨は距離を取って起き上がった。敵の右下腕は、確かに表面のオモチシリコンを裂くことはできた。しかしあのような腰の乗っていない攻撃では、やはりフレームにまで損傷を与えられてはいない。

「ちょこまかとウザッたい……!」

 オモミは苛立ったように屋上の床をブロードソードで強く叩いた。美雨は冷静に分析する。こちらもアンドロイドの身体ではあるが、ブロードソードの攻撃をまともに喰らえば、当然ただでは済まない。最悪その一撃で決着がついてしまう。こちらにも重い武器が欲しいところだが、無いものをねだってはいられない。ならば……!

 美雨はクラウチングスタートじみて身体を沈め、オモミへと一直線に駆け込んだ!

「馬鹿め!」

 オモミは嘲笑い、X字に振り下ろす斬撃で美雨を迎え撃った! ブロードソードは美雨をバラバラの残骸へと変え……否、消えた!

「これ、はっ……!」

 否、消えたわけではない。オモミの動体視力は捉えていた。斬撃が届かんとする瞬間、深く沈み込んだ美雨が更に加速し、後ろへと通り抜けたのを。もはや後ろを確認する暇すらなく、オモミは横に跳ぼうとした。その左上腕の付け根を、刃が貫いた。

「ピガーッ!」

 オモミはノイズ混じりの叫び声を上げた。左上腕はそのまま肘辺りを掴まれ、ブチブチと音を立てながら胴体から引き剥がされる! 疑似痛覚がオモミのニューロンチップに激痛をもたらす!

「ピガーッ!」

「イヤーッ!」

 右下腕にも同様に爪がねじ込まれ、引き剥がされる! 「ピガーッ!」オモミの絶叫! こうなってはもはやバランスを保つことさえ難しい。ブロードソードを握ったまま、オモミは無様に床に倒れる。

 引き剥がした腕を無造作に放り捨てる美雨の瞳は今、うっすらと光っている。エネルギーを短時間に多く引き出し、身体能力を上げているのだ。敵は戦意喪失しただろうか? どうあれ、油断せずにこのまま仕留めるべし! 美雨は飛び上がり、全力のストンピングで頭部を破壊せんとする!

「AAAARGH!」

 しかし、オモミはブロードソードを捨てて、転がってこれを回避。一瞬後、頭部のあった場所のコンクリートをストンピングが砕く。オモミはそのまま一目散に逃走を始めた! その先には先程上ってきた階段!

「まずいネ、そっちは……!」

 美雨はその背中を追おうとするが、自ら砕いたコンクリート床に足を取られてスタートダッシュを失敗、初速が出ない! 『熱が上がってきています。背部放熱プロセスを開始しますか?』視界の端に出てくる通知も鬱陶しい! その間に、オモミが階段へと到達を果たそうと……!

 その時である。階段から弾丸じみて影が飛び出してきた。影は菖蒲色をしていて、左手で鞘、右手で刀の柄を握っている。

「ななか……!?」

 美雨は驚愕した。それはオモミも同じようであったが、すぐさま正気を取り戻すと、残った二本の腕でななかを殴りつけようとした。

 もしオモミの拳をまともに喰らえば、ななかは死ぬだろう。彼女はアンドロイドでなければカートゥーンめいた超人でもない、全身生身のただの人間である。だからこそ、美雨はついて来させることを渋ってきたというのに……!

「イアイ!」

 オモミと交差したななかは、振り抜いた刀を鞘に戻した。然り、戻した。イアイである。

 彼女の背後、オモミはそのまま少し走り、やがてよろめいた。ズルリ、と首がずれ、階段をサッカーボールじみて落ちていった。その後を追うように、胴体が階段に打ち付けられてパーツを撒き散らしながら下へと転がっていった。

 ななかは立ち上がり、ふぅと息を吐いた。そして美雨を見て、微笑んだ。

「我慢できず、出てきてしまいました」

 その表情に、反省の色は微塵もない。美雨はさすがに苛立ったが、呑み込んで爪をサイバネギアに戻し、オモミの持っていたピンバッジを拾い上げ、背部放熱プロセスを承諾した。肩甲骨辺りのフィンが開き、放熱を開始する。

「ななかは自分の命が大事じゃないって、よくわかるヨ」

「大事ですよ。今回は……そうですね……気まぐれです」

 その気まぐれが今まで何回起こったことか。そもそも、ななかは出会った頃から……。

 美雨は首を横に振り、思考を打ち切った。考えたところで何もない。それより、やることはやった、後は帰るだけだ。ななかの横を通り過ぎて、階段を降りる。

「ワタシの評価は、これで十分にできたはずネ」

「はい。元々完全にできていましたから。それより……」

 ななかは美雨の隣に追いつき、IRC端末の画面を見せた。美雨は眉根を寄せて画面を見る。そこに映っているのは一枚のアスキーアート写真だった。肉饅を頬張って幸せそうな表情をした銀髪の女と、表情は控えめながらも両手に肉饅と餡饅を持った青髪の女がいる。画像を送る技術はIRC自体がロストテクノロジーであるため発明されていないが、色分けされた文字から辛うじてそれが読み取れた。雰囲気や背景のネオン看板から推察するに、昼の中華街といったところか。美雨は青髪の女に見覚えがあった。

「これ、七海やちよネ」

 七海やちよ。彼女の名前はこの神浜市に住むティーンエイジャーであればほとんどが知っている。それほどまでに有名なモデルであり、美雨たちも何度か『平穏な』話し合いをしたことがあった。

「そうです。そして、手前に写っているこの銀髪の女性……見覚えありますか?」

「知らないネ。神浜大の友人じゃないのカ。なぜそんな……」

「どうやら、最新型の戦闘用アンドロイドらしいですよ」

 美雨は訝しむようにななかの目を見た。ななかの雰囲気は冗談を言っているようでもない。

「またアンドロイドカ。どうしてそんなのが、七海やちよと一緒に歩いてるネ」

「気になりますよね。……直接尋ねれば、きっと早いでしょう」

 美雨は時間を確認した。昼過ぎ。……まだ時間は十分にある。美雨は蒼海幇構成員IRCに七海やちよの現在地情報を求めつつ、ななかに対して問うた。

「……それにしても、七海やちよとそのアンドロイドに会って、何を尋ねるつもりカ?」

「当然、もっと仲良くして頂けますか? といったことですよ」

「……そうカ」

 もし七海やちよが蒼海幇を快く思っていなかった場合……快く思っていないのはこれまでの邂逅でわかっているが……戦闘用アンドロイドを差し向けられればかなりの驚異になる。だから探りを入れる。それが美雨の目的であり、ななかの目的でもあるはずだが……ななかは冗談がわかりにくい。

「それより、行くなら着替えてからネ。目立ちすぎるヨ」

「……そうですね。割と気に入っている服なのですが」

 彼女たちは屋上からの階段を降りきって、2階への階段を降り始めた。破壊したアンドロイドなど気にも留めず。蒼海幇の回収班に回収されるのが先か、テックスカベンジャーに身ぐるみ剥がされるのが先か。それはななかたちの気にするところではない。

 廃駐車場の外に出て、美雨は空を見上げた。つられてななかも見上げた。雲のフィルターを取り去った太陽は思う存分地上に光を投げかけ、砕けた道路の隙間や道端に生える僅かな草花の緑色を照らし出していた。


【サイバーパンクみふやちシリーズ】本編第n話に続く

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